7月のお盆、そして8月のお盆がもうすぐやってきます。
一年が過ぎるのは早い!
さて、お盆には旧と新がありますね。
そこで今回は、私の経験に基づいたお盆の意味を書きたいと思います。
元々仏教では7月13日から16日までと言われていますね。
最近では13日から15日までの三日間だけになりましたね。
では本当の意味でのお盆とは何なのでしょう?
実はお盆とは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という言葉が元です。
更に「七日盆」ともいい、15日が祖先の霊体を祀る中心の日なのです。
関東から中部地方は1日から準備をするので「釜蓋朔日(かまぶたついたち)」といい、地獄の蓋が開く始まりの日にあたり、この月に当たる月は地獄に閉じ込められていた祖霊たちが下界(この世)に降りて来て、元々住んでいた家や懐かしい思い出の場所にやってくると言われています。
さて、大切なのは、殆どのこうした年中行事は奈良時代から文献が残されていますが、全て「旧暦」で行っていたことを忘れてはなりません。
ですから釜蓋朔日に当たる月は今の新暦では7月なのですが、本来は約一か月遅れの8月に当たるのです。
さて、先ほど関東から中部地方にかけては1日からお盆の準備を始めると書きましたが、その他の地方では7日を始まりとします。
ここから「七夕」という日は本来、「お盆」を示すのです。つまり地獄の蓋が開いて、祖霊たちが懐かしい人たちに会いに来るという行事なのです。
そのため、本来7月7日の七夕は、織姫と彦星が一年に一度だけ会えるロマンチックな日なのではなく、この日はお盆の期間中で、心身の穢れを祓い清め、厄災を祓う禊(みそぎ)の行をするという大切な大切な日なのです。
そして時代が下ると共にだんだん省略可され、お盆は13日から15日までとなってしまいました。
また中国から入ってきた「星祭り」が一般化し、7月7日が七夕の行事として抜き出されました。
さて、この七夕の日に全国的になぜ水に関する行事が多いのでしょうか?(だから統計的にこの日に雨になる確率が多いのかな?)
それは本格的な15日を迎える七日前に水による祓い禊を行うためなのです。
この水による禊をされた有名な神様は、「伊弉諾(イザナギ)尊」です。
そこで思い出してしまうのが7月5日から発生した九州の大雨による被害です。
お盆最中に起こってしまった水の災害。
これは何かを祓い清めなくてはならない者が大勢いることを意味すると考えられないでしょうか。
そこで日本の古代にあった出来事をひも解くとそこには、九州地方で多くの戦いの現場となっていたのです。
神武東征から始まり・・・
弥生時代後期、倭国の大乱が起こり、卑弥呼による連合体を一括して統治。その後男性が後継者になって王として立ったが、諸国は従わず抗争が続いて死者多数。
その後、卑弥呼の血統を継ぐ13歳のトヨが女王に。
この弥生時代に争い始まっています。
その理由は水田による稲作が始まり、貧富の差が出て奪い合い、殺し合ったのかも知れない、と考えられます。
争いの証拠とするならば、九州の北部から伊勢湾沿岸辺りで非常に高いところに「ムラ」を作っり、堀を作った跡があるからです。
非常に高い場所というのは遠くに居る敵を早く察知できるようにするためだと考えれています。
また大陸から、銅剣(どうけん)、銅矛(どうほこ)、銅戈(どうか)あるいは鉄剣(てっけん)など金属製の武器が伝わってきました。戦争によって傷ついた人骨が、一つの遺跡から大量に発見されてはいませんので、決定的な証拠とはいえませんが、武器の破片が刺さった人骨は、多くの遺跡から発見されています。特にこれらの武器の多くは北九州からの発見なのです。
その後古墳時代になると更に権力争いは激化し、ヤマト王権が倭国を統一したのですからもちろん大勢亡くなっています。九州から統一し始め、全国を統一して行きました。
これだけ多くの犠牲があった地方が九州なのですから、古代の霊体たちへの本当の意味での供養をしなくてはおさまらないと思います。
本当の意味での供養とは何なのか?です。
それは古代の歴史を正しく表記するということではないと思います。
昔の資料など残されていませんし、現に残されたものでもそれが為政者の手で書き換え塗り替えられた歴史ではない、本物だといえる確たる証拠がないからです。
それよりも必要なことは、住んでいるその土地、その場で犠牲になられた者たち、あるいは霊的に強烈な力を持った神的な存在であった主に対して、尊敬の意を示し、弔うことが急務だと思うのです。
それが私の訴えたい「お盆」という意義なのです。
祖霊や祖先とは遡れば、一体いくつの霊体になってしまうのでしょう。
それは無限でしょう。
その中でも私たちは輪廻転生してくるのですから、祖霊=現在の自分なのかもしれません。
ですから祖霊の幸せや安堵無くして現在の自分の安堵が無いのです。
さて、最後に悟られたお釈迦様が、その座した姿を弟子たちに見せた「蓮華の花」の意味について書いて締めくくります。
7月13日から5日間は七十二候の「蓮始開(はすはじめてひらく)」という期間です。
この意味は蓮の花が咲き始める頃という時節なのですが、蓮の花は丁度7月~8月にかけて咲く夏の花なのです。
仏教では、お釈迦さまの悟りを方便として喩えたのが「蓮の花」なのです。
蓮は泥の中に生まれても汚れなく清らかに咲くことから「清浄無比の花」と尊ばれています。
多くの仏典に「蓮華(れんげ)」の名で登場し、仏像の台座にも蓮の形になっています。
泥水の中にしか育たない、蓮の花のように、どんなに苦難があろうと必ず大輪の花を咲かせ、そして次の未来の子孫に実をならせ、蓮という意味を残そうと思いませんか?
不動明王のような明王以外の如来や菩薩たちは蓮華に座しています。だからきっと如来になる前、菩薩になる前は非常に狂うくらい苦しかったのでしょう。
でも立派にそのお役目を果たされて、光を放たれていらっしゃいます。蓮華の上で!
さて、お盆の行事の一つである七夕のもう一つの意味は、「ハタ」は神を迎える依代としての旗、「タナ」は神を祭る祭壇である棚からきているのです。
七夕を「たなばた」と読ませるという意味も「秦氏」と原始キリスト教との関わりもあると思いますが、今回は割愛します。
そしてお盆の盆棚にも蓮の花を模した盆花を飾り、蓮の葉はご先祖様や仏様にお供え物を捧げるための器として使われます。
このようにお盆とはただの少ない期間を祖霊たちに手を合わせて感謝するだけではなく、
心身の穢れを禊ぐための月間
であり
また祖霊=現在の自分
を知る期間
でもあり
古代に犠牲になって国を守ってきた魂に弔い
さらに
恨みや悔みで亡くなった地獄界に落ちた者たちを快く迎い入れ、その悔みを聞いてあげ、そして諭してあの世(宇宙)に帰り星になり、もう一度再生を促す
時でもあるのだと私はそう思っています。
毎年、7月~8月の二か月間は、新も旧も関係なく、あの世の者たちが自由にやってくる期間なのです。
ちなみに、新盆と旧盆ではどちらに来るのですか?という問いかけに対してですが、答えは祖霊たちの気持ちの自由、気ままに・・・
なのです。
自分の村では旧盆だから8月にこようなどと、意識の大きい方に来る方もいますし、自由人なら、せっかくなら両方遊びに来よう!という方もいます。これは私の体験談からですのであしからず・・・
九州の災害を今後起こらないようにするためには、過去に亡くなっている激戦地の跡地に現在住んでいるかもしれないという、感謝と弔いの行動を起こしてもらえたらきっと大きな災害は起こらないと信じています。
ただ一度祈りの旅に出たところで納得するようなエネルギー体ではない気がしますがどうでしょうか。。。
富士山周辺は不思議と護られています。それは富士山を聖地として山の木を保護し、山の神にマグマの火に祈りを捧げている方が大勢いるのかもしれませんね。
九州の大分には宇佐八幡神社があり、福岡には天満宮があります。
ここが北九州のキーポイントなのだと思います。
比咩大神とされてしまった宇佐八幡の主祭神の女神は宗像三女神です。なぜ伏せてしまうのか・・・
また天満宮には菅原道真公が中心に祀られていますが、そうではなく自然の星の天体という意味が「天満」なのです。
それが人になってしまいました。
また長いブログになってしまいましたね・・・
お盆の二か月、どうぞみなさん「水」に関する事故に充分起気を付けてください。川遊び、海遊びなどをするときはこの7月~8月末まではどうぞ地元の神社に手を合わせてから、出来たら現地にある神社にお参りしてから遊んでくださいね。
もちろん先祖様にも「行ってきます。いつも見守ってくれてありがとう!」と一言を忘れずに・・・
供養に一番効くのは、
『般若心経』読経
と
真言宗の
です!