皆さん、こんにちは。
年末を迎えると、占いコーナーが盛んになる時期ですね。
さて、今回は
「占い」とは?
について「天成る道:あめなるみち」から考えていきたいと思います。
私はこれまでメンタルケアカウンセラーとして多くの方々に接してきました。
最近では「占い」を使い、より的確な判断が可能になったことは良かったと思いますが、
ここで問題なのが、世論では「占い」と聞けば、
怪しい・・・
占いなんて信じない・・・そんなの迷信だ!
占い師は怖い。霊感が強そうで怖い・・・
そんなの要らない!
良いことだけ信じる・・・
このように「占い」という枠は誤解を受けるようになってしまいました。
しかし、その「占い」を利用して天下を取ったつわものがいます。静岡に大きな影響を及ぼしたあの徳川家康です!
彼は天海僧正という密教の僧から「占い」という真実の姿を知りました。
それまでは家康はそんなものは迷信だと一喝していたのですから・・・
またこのお話しも非常に面白い展開があるのですがね・・・またいつか機会があれば・・・
さて、私が目指している「真の占い鑑定士」とは、単に「良い」「悪い」とか、強制することを伝えることではないと感じていました。
でもそれを言葉にできなかったので、伝える時期を待っていました。
「天成る道:あめなるみち」についてです!この言葉が真の占いの本質だったのです!
そして今回、やっとその的確な言葉を文字で表現できるような出来事があったので、こうして書かせていただきます。
真の鑑定の在り方をお祭りで!
※12月30~31日の二日間、お祭りを開催します!
「パワーストーン祭り」
期間中、パワーストン30パーセントOFF!(レア玉など一部除外あり)
(パワーストンのつかみどりもあるよ!)
~日南代の所に来てくれたパワーストーンたちの説明です~
パワーストーンを扱うお店が数年後には潰れてしまう。という話をよく耳にします。
それだけならまだいいのですが、店主の健康を害していくのも珍しい話ではありません。
(私はなぜ今こうして自然に居られるのだろう?)
そう考えた時、こんな思いが湧き出るのです。
(前世で勾玉を首から下げて祈っていたかもしれない・・・)
それは生まれながらにして既にあった感覚だったのかもしれません。
だから石たちは私の願いを聞いてくれました。
聖徳太子からの縁で(詳しく書くと長くなる話なので割愛します・・・)鉱山を買い取った神主さんから、掘り出されてすぐに石が手元に来るようになりました。
その後、世界中から目利きのバイヤーさんを紹介して頂き、美輪明宏さんとのご縁もあり・・・
今もこれからも石たちが運んできてくれたご縁は続いています。
だから私は石たちに言い切れないほどの大きな敬意の念と感謝の思いがあるのです。
そう、私が選んだパワーストーンたち・・・その力は半端じゃありません!
進むべきことを補佐して助けてくれるという絶対的な自信があります!
またその石が持つ輝きは、お店に届いてから更に増して行くので不思議です。
恋運暦にも載った経歴と、パワーストンに負けないパワーを持ち合わせるための辛い過酷な修行をしてきた私の選んだ石たちどうかを信用してください。
石たちは正直です。地球ができた時からずっと地下深くで待機していたのです。
あなたのところに園があってきてくれたのですから・・・
化学的にも根拠があるのです。電子構造を持っているので、肌に付ければ生体電流の循環を助けてくれます。
またこの時、午前中は「曼荼羅’マンダラ)お守り」制作と、午後には私の鑑定と、手相鑑定士による現在から未来の動きを伝えるイベントを開催します!
曼荼羅のお守りは、弘法大師・空海の孫弟子が台湾に真言宗を伝えた私の父方の祖先から頂いた曼荼羅図です。
これを一人一人書いて、一年間の肌守りとしてもらえるように、凄いお守りを作ります!
ここでは詳しく書けないくらいの内容なので、別の記事で書かせていただきます。
そして午後からになる私の鑑定は、天海僧正創始の鑑定です。これをもとに、パワーストーンの本当の力を感じていただける30分になると思います。一人ずつ鑑定する時間を作ります。
また手相鑑定も是非!こちらも今現在の手相を確認して、どんな線を伸ばせば良いのか、アドバイスを受けられる鑑定です。外部からお呼びします。
またお祭りに関しては別のページで説明します!
12月30日、31日、石たちとお待ちしています!
それでは本文に戻ります!
また長文になりますけど、よろしければお付き合いください。
それは数日前にやってきました。
夜、一本の電話がありました。
その電話の内容はある方の娘さんのお産の件でした。
先ほど早産で緊急入院してしまい、もしかしたら胎盤剥離で、母子ともに危険な状態かもしれないという切羽詰まった電話でした。
慌てた声、不安そうな心が伝わってきました。
私はとにかく検査の結果を待ちましょうと伝えました。
そしてその電話の最中に、お腹の中にいるお子さんの声の叫びが聞こえてきました。
(ママが早く出てきて!もうこんなに辛いのは嫌だよ!っていつもいうから早く出てこようとしているんだ。)
という声。母親の願いに忠実にしただけだっていう声と、あともう一つ声が聞こえます。
それはこのお子さんの声ではなく、年配の方の声でした。
(そんなに私たちの一族の血筋が邪魔なのか!!)
という怒りの声でした。
この二つ目の年配の怒りの声の正体は後ほどわかるのですが、この声について
電話をしている娘さんのお母さんに問いかけてみると、確かに一つ目の言葉は
娘さんが最近常にお腹に向かって言っていた言葉だそうです。
そうしてみると、まだ生まれていないお子さんは、ママの声をしっかりキャッチしているのです。
更に二つ目の声について、娘さんのお母さんに少し質問してみました。
「もしかしたらですけど、娘さんの御主人、つまりこの子のお父さんのことで良くない発言をしていませんか?」
すると
「はい、確かに娘と二人で常にお婿さんのことを悪く言っていました。」
やっぱり・・・
お腹の中のお子さんを守っているのは両家のご先祖様です。これは確かです。
御主人側のご先祖さまが、自分の可愛い子孫であるこの子のお父さん(御主人)のことを悪く言う言葉を拾っていたのです。
残念ながら、この声は私の感覚でしか捉えることができませんが、これが確かならば、そしてこの子が生まれてくるしっかりとした目的を持っている子ならば、この言葉をすぐに撤回し、懺悔したら、結果が良い方向に行くはずです。
私は霊能者ではありません。ですから人の「命:めい」を操作する権利はありません。もちろん霊能者であっても絶対に命を操作してはいけません!
この子の本来の生まれて来る目的、役目である「命:めい」があれば、必ず生まれてきてくれる!という宇宙の法則を知っていたので、心を落ち着けて、《まずは懺悔しましょう》と伝えました。
もちろん天の御オヤを通して、私の祈り方で祈らせていただきました。
「命:めい」は決していじらず、星の法則にしたがった修法でね・・・
そして次の朝、店に電話が入りました。お母様からです。
そして結果は、
「母子ともに無事に生まれました!御心配おかけしました!祈ってくださってありがとうございました!」
という喜びの声でした。
未熟児で生まれましたが、指しゃぶりもして元気な声をあげていたそうです。しばらくは保育器の中で育つようですが、本当に良かった良かった
この一連の出来事で、
「私に何を教えてくれてるのか」
を自問自答しました。
そして浮かんできた言葉は
「天成る道:あめなるみち」
でした!」
それまで私の感覚で「天成る道:あめなるみち」とは、
和合、調和、助け合う、認め合う、支え合う、褒め合う・・・
などの合意の意味で、非常に広義で分かりにくい曖昧な言葉だと思っていたので、具体的にわかりやすくブログに書けないことだと感じていたのです。
この言葉ほど難しく、どう伝えたらいいのか、また自分自身でどうやってこれを実践したらいいのかが分からないけれど、必ずその答えが分かる時が来ると信じて待っていました。
しかし、この「お産」を通じた一件ではっきりしました。
『ほつまつたゑ』の全文から「天成る道:あめなるみち」について書かれている歌を探し、一つずつその意味をかみしめてみました。
そして今回ヒントになったことは「親子の繋がり」ですから、この繋がりの中にこそ
本当に知りたい「天成る道:あめなるみち」の答えがあると信じて調べ続けました!
すると、なんと短時間でその箇所に導かれたのです。
それは十四章全体に書かれていました。
『世継告る祝詞の文:よつぎのるのとことのあや』
という題名です。
世継ぎとは、男の子を産む意味について書かれています。
昔から日本は男系が後を継ぐという形式だったのです。
天皇家はもちろん、一般の家でもそうです。
それが今ではお婿さんを迎えなければならないようになってしまった。
または跡を継ぐ子が絶えるお宅が増えました。
つまり跡継ぎになる子が生まれないということです。
これには大きな事柄が作用していたのです。
その事柄とは、「天成る道:あめなるみち」という法なのです。
これは天地人の法則です。これから人は逃れられません。
1:本当の意味での先祖とは?
2:本当に結び繋ぐべきなのはどこと?
3:子を作る営みの大切さとは。
4:人は誕生しする以前より、胎内で受精した直後に何かが入る。何が入るの?
5:自分の生まれてきた役目とは?どうしたら知ることができるの?
これらのことについてこれから何回かに分けて書いていきます。
なぜ映画の「君の名は。」がロングセラー大ヒットになったのか?
それは「結び」がテーマだったからです。
この「結び」が「天成る道:あめなるみち」なのです。
誰と出会い、誰と人生を共にするのか、どういう役目があり生まれてきたのか?
人は必ず生まれてきた意味、役目があると良く聞くけど、それはどうしたら知ることができるのか?
これらの問に確実にお答えできると思います。
ただし、『ほつまつたゑ』という叙事詩をどこまで信じるかどうかです。
『ほつまつたゑ』は「わからない」「難しい」「信じない」と拒否反応してしまえば、開く扉も自分で閉めてしまうからです。
巷には様々な歴史書があります。どれもみな少しずつ違います。
例えば竹内文書などは、『ほつまつたゑ』の舞台である縄文時代よりも前の時代のことが細かく書かれています。『ほつまつたゑ』はまだ新しい時代の、特に天照大御神の時代のことを中心に書かれているので、縄文時代末期であることが分かります。
しかし竹内文書は『ほつまつたゑ』よりもはるか昔の歴史から始まっているので、この立証できない時代の文字化された(記号、図形)などの証拠になる時代測定はできません。
故に本当に竹内文書が正しい史書なのかは誰にも精査できません。
でも、わたしたちには独特な霊感があります。それが強く残されていながら生まれて来た人たちがいることは確かです。
彼らが感じたこと、受け取ったことにもし嘘があれば彼らの生命体はとっくに痛い目にあっているはずです。
そういう人で短命でこの世を去った人は多くいますがよね。特にメディアに出たり、お金儲けに走り出したら早くこの世を去るみたいです。
しかし中には耐え忍んでしっかりとしたお役目を受けて、人を教化(きょうけ)する役目で生まれて来た方もいらっしゃいます。
人の為に霊能力を使い、本人も現実面でも苦しい人生を選びながら耐え抜き、孤独になり、それでも強く生き抜いて立派に貢献していらっしゃる方も数人存じています。
ですから私は決して『ほつまつたゑ』だけを信じているわけではありません。
(誤解の無いように書かせていただいています)
ただ、なぜ私が『ほつまつたゑ』は素晴らしいのか、なぜ自分でもこの「天成る道:あめなるみち」を全うしたいと願うのかと言えば・・・
他の歴史書には決して書かれていない「道」という「人としてのあるべき基本的な価値観」を、神代の時代から一番大切にしてた内容がはじめから最後まで貫き通し、重要な箇所は三度も同じことを書いているという点です。「道」のみを書いています。それにまつわる事件が起きて来る内容なのです。ここが『ほつまつたゑ』は素晴らしいと思う点です。
更に言えば神々の失敗談を、嘘偽りのない恥ずべきこともしてしまった出来事として書いています。
それはなぜかといえば、後世に必ず人の心が穢れ、人たることを忘れ、その魂は「ケモノ」化するときが来るだろうと、予言している点も尊敬に値する史書だと思うからです。
それが今の時代ではないでしょうか!
更にさらに、『ほつまつたゑ』だけはそれを文章ではなく、「和歌」形式の「五・七調」で書いているのです。
なぜ「和歌」形式なのか、これは暦の節、24節気が関わっているからです。
その節目である「5」と「7」の数字の重要性をすでに知っていた時代の方が書いたということです。
「暦」は非常に重要な意味があります。暦を無視した生活をしていると、地球全体に穢れが蔓延します。それを地球自身が自己浄化システムでひっくり返してきたのです。これが大地震や天変地異などです。それでも人はまだ悟れずわからず、ついつ大陸が沈んだのでしょう。
私が強く皆さんに伝えたいことは、
神さまは決して架空の形がない存在ではなく
私たちと同じ人間で、罪も穢れもある存在
で、
スーパーマン的なものではない!
ということです。
何のための神社なのでしょうか?
スーパー的な存在に救いを求めて祈れば、何でもできる神さまが助けてくれる?
それが神社におわします神様のお役目なのでしょうか?
これは絶対に違います!
「天成る道:あめなるみち」を忠実に守られていらした方々が神々なのです。
そういう道を人に伝えてくれる場所が神社であり、その道の実践者が神々なのです。
ですから個人的な願いなどしてはいけない場所なのです。とてもできません。
反対に神々を労ってあげてください。
「神さま、いつもご苦労様。そしてがんばって人を道に導いてあげてくださいね。私も頑張りますから。一緒にやりましょう!」
というように声掛けしてあげたくなるのです。
しかしその道という知識があった時代の神々たちでさえ、「天成る道:あめなるみち」を破り、罪を犯してしまった結果、祓い清めの場として、祓いのシステム(聖地や神社)を作った場もあります。
代表的な祓い清めの場所は、熊野大社本宮跡地である大斎原(おおゆのはら)や、出雲大社、八重垣神社、高千穂神社、高野山、鹿島神宮と香取神宮、伊富岐神社などです。
その他、全国でつぶされて封印されてしまった神社がたくさんあります。
それらを復活させるのは、まず私たちが毎日「天成る道:あめなるみち」を取り入れ、無理のない、心豊かなひと時を送り続けることです。
毎日が当たり前に訪れるわけではありません。でも今日は朝が来たのです。しかし同じ日は一日も無いはずです。その素晴らしい一日をどうか大切にして欲しいのです。
そういうことを気付かせてくれるために神社参りがあるのだと思います。
神社に入ると、神様たちはきっと私たちの心を見抜いていらっしゃるでしょう!
この人は「天成る道:あめなるみち」を実践した生き方をしているなあ・・・
こいつ、まだ気が付かないのか、仕方がない、教えてやるためにきっかけを与えようか・・・
もうすぐだなあ。いつ頃気が付くかなあ・・・楽しみだなあ。
なんて思っていたり。。。
ではではいよいよ本題へ!
1:本当の意味での先祖とは?
「天成る道:あめなるみち」とは(2)へ続く