11月19日の朝から雨。
天気予報では一日雨。
しか~し、私は前の日に無茶を言った。
「どうしても雨を止ませてくだされ!出来るならばお天道様の光を少しでも余呉湖へ!」
せっかくの余呉湖の景色だもの。晴れ渡っている余呉湖は最高なのだ!
晴れていたらこんな感じでしょう↓
しかし、雨ならば湖の周りを歩けない。湖の湖面が見えない。
いや、私たちツアーに行くみんなの心が通じたら、必ず雨は止み、晴れ間がのぞくはず!
そう信じて出発しました
ツアーの名前は
バスガイドさんに聞かれました。
「あめなるみち」って聞いたことあるんですけど、どういう意味ですか?
「U~~nn」
答えるのが難しいけど、一言で言えば
「天地の法則&和合」って言ってみました。
またこの言葉の意味は後に書きたいと思います。
さてさて・・・道々休憩してバスが停車すると、雨が止んでくれましたよ。
傘などいらず、そしてコートも必要ないほど暖かい一日でした!
本当に感謝です。
先ずは一日目は滋賀県西浅井町にある「塩津神社」へ。
雨上がりの神社はキレイですね!
ここは、海幸彦と山幸彦の兄弟争いの時、山幸彦(彦火々出見尊)を助けた「塩土翁」(しほつちのおきな)を祀っています。
配社には彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫をお祀りしています。
彦火々出見尊は神武天皇の祖父に当たるのです。
木花開耶姫(このはなさくやびめ)のお子さんで、木花開耶姫は三つ子を生みましたが、彦火々出見尊は一番下の男の子です。つまり「山の神」です。それも富士山の神です。天照大神に富士山を守るように命じられた名家です。
この山の神が豊玉姫という海神族の方を嫁にもらったということは、海と山の一族が一つになったことを意味します。
これにより日本は統一への機運へ動いていったようです。これより二代後、つまり神武天皇の時代にいよいよ日本統一へ向かっていくのです。
塩土翁は神武天皇東征の時、躊躇する神武を
「あなたしかこの国をまとめる力をお持ちの方はいません。この国を統一してください。」
と説得された神様です。
また、翁は地震で起こる潮の力を調節する「潮満玉・潮乾玉」(しほみつ玉・しほひる玉)の霊力を持っていると云われています。
私はこの神を「しほじい」と呼んでいます非常に物知りの神であったはず。
さて、この塩津神社は実は二回目。前回来た時、不思議なことがありました。
勾玉の首飾りを戴いたのです。鳥居のところにお立ちになっていらした年配の方から。
「あなたに必要なものです。今後日本中をお参りするとき、この勾玉を下げて行きなさい。」
やはり私の前世は巫女か何か?!
そのお礼に私は必ず皆さんをここにお連れしたかったのです。
そして今回も不思議なことが起きました。
今度はお連れした『ほつまつたゑ』講師の小野寺氏が団体で祈祷にいらした中心にいらっしゃっる宮司さんらしき方から、余呉湖の歴史について書かれている郷土史を戴いたのです。
一冊しか無い本を戴いて、小野寺氏は大変な喜びようでした!
私には勾玉の首飾りで小野寺氏には本ですか!
それぞれ役割に応じたものを戴けるのですね。
この神社はとても空気が透き通っていました
入ると神馬がいました。こういうものがある神社は格式高い神社です。
昔は生きている馬がいたのですけどね・・・
拝殿の左には「愛宕神社」がありますが、階段が斜めっていて、雨上がりで滑る感じ・・・
石段がガタガタ・・・直すお金がないそうです。
「行きはよいよい、帰りは怖い~」
石段を登りきると愛宕神社があります。
愛宕の神は火伏せの神。
伏見稲荷と一緒に祀ることが多いですね。
そしてこの後、余呉湖へ!
とりあえず塩津神社では雨は止んでいるぞ。
この調子で頼むよ!お天道さん
余呉湖に到着!
何と雲が湖面の上にかかり、幻想的~
まるで龍が舞い降りたような雲じゃないか
あまりの幻想図に現実的に映り込んでみました。
あら、この方も遠くを眺めているようで・・・
広島から参加されてくださいました。
余呉湖にも天女伝説があります。
どういうわけか、天女の生んだ子の一人が菅原道真さんなんて・・・?変だよ~。
静岡県清水区に三保海岸があるけど、三保の松原にも天女伝説があるし・・・
もしかしたら天女って、悟った女性のことなのかな~あ?!
「私の手の届かぬところに行ってしまった愛する人よ~」
なんていう男性の嘆きが伝わってくるような気がしました。
この木に羽衣を掛けたそうですが・・・
この木は伝説の看板をみれば「柳」らしいのですけど、どう見ても柳ではないような?
天女になった気分~
余呉湖前で記念写真です。
余呉湖は、100~200万年前、琵琶湖が形成されたときの湖で、今から三万年前に琵琶湖と分れたといわれています。
一番初めに琵琶湖は今の三重県伊賀市平田という場所に地殻変動で出現し、伊勢湾を流れていたのです。まだ鈴鹿山脈も無かったといいます。
この場所は「大山田」という場所で、琵琶湖の名前も「大山田湖」と名付けられていました。
「案山子:かかし」という歌がありますが、この歌詞に
[山田の中の一本足の案山子]
という歌詞の「山田」とは、この「大山田湖」があった辺りのことだと考えられます。
神代の時代には鈴鹿山脈がありました。鈴鹿姫(栲機千々姫)がお亡くなりになった場所ですから山脈のことは書かれています。
ですから私たちは神代の時代より更に古く、出現した水源に行ったのですね。
そして現在日本一大きな湖でもある琵琶湖ですが、世界的に見ても、世界で三番目に古い古代湖ですって。
そして旅はいよいよ石川県白山市に入ります。
宿泊は片山津温泉。
その2につづく・・・