「君の名は。」
この映画、ついに二度目の視聴です。
そこで新たに見えた「文字」の意味。
主人公二人がお互いの名前を忘れないようにと、互いの名前を掌に書こうとするのですが・・・
しかし、黄昏時は過ぎ、三葉は瀧くんの掌に横に一線しか書けなかった~。
そして瀧くんが三葉の掌に書いた文字は
「すきだ」
の三文字・・・
名前ではなかった・・・
(じれったい)
しかしこれがヒントになってまた文字のはかなさを知りました。
文字にすると心が伝わらない、ニュアンスも伝わらない。
本当の心が読めない。
歴史も文字にしたものから推測していくと、途中で詰まる。必ず疑問が出てくる。
そういえば「千と千尋の神隠し」でも、千尋の「尋」を魔法使いに取られてから「千」だけになったとき、彼女は自分の記憶が消えましたね。
文字とは便利だけど怖いものがあるのです。
お経も同じこと。経文を読んでも文字を追えば「音」が醸し出されないのです。
でも、「文字」ではなく、「音」を読めばどうでしょう。
確かに音ならスラスラ心が入るのです。
文字ほど「が」という闇に落ちるツールはないと思います。
私がなぜ『ほつまつたゑ』が他の史書より興味をそそるのか、といえば
和歌形式になっているからです。
それは文字ではなく「歌」なのでス~と馴染むのです。
縄文時代から神代の時代は決して複雑なんかじゃなかったはず。
単純でストレートだった。そんな気がします。
さて、今回のleafツアーに行く意味はかなり大きいと感じます。
いや、今回ほど大きい意味があるツアーは今までには無いでしょう。
今回訪れる聖地には、伊弉諾、伊弉冉を揃って供養していたエネルギーを感じます。
博多の道路陥没事故は、住吉神社のすぐ横で起きました。
住吉神社は、日本中に600社ほどある「祓い」という意味の深い神社です。
今回の博多は全国の住吉神社の中でも三大住吉神社の内の一つにあたるのです。
祭神は、伊弉諾(イサナギ)と、水の神三神(底筒男、中筒男、表筒男)を祀ります。
『ほつまつたゑ』では、
伊弉諾が亡くなった妻、伊弉冉(イサナミ)に三度会いに行った後、完全にこの現世に戻り、黄泉の世界に一度でも触れた肉体と魂の穢れを祓うために、初めに「熊野川」(音無川)で禊いだのです。
一番初めに禊いだのは、九州の那珂川ではなく、現在の熊野大社の元跡地にある「大斎原」(おおゆのはら)の横に流れている川なのです。
この大斎原の場所はちょうど、熊野川、音無川、岩田川の中州にあたります。
伊弉諾は確か四度禊いでいます。
今回の博多の住吉神社の水の三神は、伊弉諾の二度目の禊ぎの時に生まれた神です。
この陥没のニュース番組で、こんなことをアナウンサーが言っていました。
「この近くには住吉神社があります。この神社の神様は水の神をお祀りしているので、水の神さまの障りではないかともいわれているようです。」
ニュースで過激な発言だなあと思いましたが、確かにこの近くの住人たちはみなさん住吉さんを大切にしていて、お水の神様がお怒りなのかもしれないと感じているようです。
今、自然の力を甘く見ているような行動が多く、私はなぜか悲しい気持ちになります。
今回のツアーには色々な意味と仕掛けがあります。
もうすでに私の中に出始めています。
とても楽しみです。
ツアーの報告はまた帰ってきてからに・・・
今年の最後に予定している曼荼羅の図を描くお守り作り・・・・・
夢を見てくれた方がいました。
そして許可が下りたという証拠でもありました。
この曼荼羅図を描くことで、個人個人の方の気が縄文から続いてきた「あめなるみち」の回転になる気がします。
私の夢に出てきた北斗曼荼羅。実際に夢通りに見つけました。
その中で今回描くものは「火」の曼荼羅だと思います。
アメリカ次期大統領のトランプ氏の算命も占ってみました。
その結果はこの次の記事で見てください。
伊弉諾と伊弉冉が揃って出ること、そしてキーパーソンの神様がいた!
それはまたいつか書きたいです。
(書いていたら突然文字が消えました。ツアーから戻るまではまだ書けないようです。)
みなさんと一緒にがんばりましょう!
これから神社に行く方、どうぞお願いいたします。
「結んでください。時を!」
今回も読んで頂きありがとうございます!
※まだ「君の名は。」を観ていない方、今ライブ感で観ないと時が過ぎてしまいますよ~
一度観た方は是非二度観てね!何かに気が付く不思議な映画です。