【重度知的障がい児を育てているお母さんへ】

 

 
こんにちは。
花岡知恵です。
 
三年前に書いた記事を少し書き換えて再度あげます。

今日、久しぶりにパパさんとカフェ巡りして(タロを誘ったが来てくれなかったw)話す機会があったんだけど、生きるとは、死ぬとは、魂とはっていう深い話から(パパさんがふっかけて来た)

なんでうちらは一緒になったのか?

という話題に。

私は即答したわけよ。

そりゃあんた、hanaちゃんをこの世に生み出すためでしょーよ笑


 
 
はい、この貴重な学びとなるhanaちゃんをこの世に生み出すために結婚したんだと思います笑




 さて、そんな私も順風満帆に来たわけではあひません。
 
hanaの障害がわかったころは、今の穏やかな生活は全く想像もつきませんでした。
 
私はもともと大学病院でナースをしていました。
hanaの育児時間が終わったら夜勤もやるつもりでした。頭は硬いし、マニュアル信者だし、将来は看護師長とかになるんだろうなーと思ってました。
 
しかし、色々な人に大人しい大人しいと言われていたhanaが、後追いもしない、つかまり立ちもしない1歳を超えた辺りから、
 
なんかこの子変なのかも??
 
と思い始めました。 
 
一歳半検診で大きな病院を紹介してもらい、
検査もしてもらいましたが原因は不明。
 
当時は手をひらひらさせる行動や
水や光に固執する行動が自閉症っぽかったので、
自閉症に効果があるという、ABA(応用行動分析)に基づいた早期療育を開始しました。

空きを待ち続け、始めたのはhanaが2歳半の時です。
 
民間での療育をお願いしていたので、私が働いたお給料は全て、、、いやそれ以上、、、療育に消えて行きました。

でも、辞める気はありませんでした。

お金がかかるからという理由で療育を今しなかったら、将来絶対後悔すると思ったのです。
 
セラピストさんに頼まず、親が自宅で療育するという方法もあります。

けれど私はhanaに厳しくしてしまい、何より私のストレスがハンパなく、自分がメインでやるのはやめました。
 
もうABAのために働いている状態。

働いているから、hanaとの時間が取れない。
『なんか私矛盾してるなぁ』
と気づきながらも辞められませんでした。
 
hanaを普通の子にしたかったからです。
 
 
2年くらい経過してから
 
あれ?もしかして、このままやっても
hanaは変わらないかも、、、
 
と密かに思い始めました。
 
もちろんABAのおかげでできるようになったことも沢山あります。

でも普通学級に入れるようになるに違いない
私が思い描いていたhanaの姿とはまるで違っていたのです。
 
ものすごくショックだったし、認めたくなかったし、お金をかけた分受け入れたくなかったです
 
悔しかったし、結構落ち込みました。
 


そんな私の気持ちがラクになる方法、それはこの世に1つしかありませんでした。
 
それは
 
hanaを変えることを諦めること
 
でした。
 
諦めるというと、とてもネガティヴな印象に感じるかもしれませんが、決してそうではありません。

hanaをなんとか変えてやるというコントロールしていた気持ちを手放した

と言った方がしっくりくるかもしれません。
 
今は本当に安らかな気持ちでhanaと過ごしています照れ
 
 
 (hanaちゃん1年生の時。今は抱っこすると足がついてしまう笑)
 
私はまだ子育ては12年の新米です。
 
12年はきっとまだまだ短いです。
 
でも短いなりに、この6年間信念を持ってブログを書いてきました。

私が書くことで伝えたいことや教えたいことは、子どもの障害を軽くしたり、子どもの能力を伸ばしたりする方法ではありません。

しかしながら、お母さんの気持ちがラクになることはできると思います(^^)
 
金脈ハナコとか、時々(いや結構)ぶっ飛んだことをしていますが、障がいのある子を育てていても、親はいつだって自由で幸せなんだということを示せたらいいなと思います。

これからもっとぶっ飛んでいくよ笑