出版社とその権利 | こんな本があるんです、いま

出版社とその権利

出版社で働き始めて30年以上が過ぎた。本づくり、特に組版が目まぐるしく変化した30年だった。活字、和文タイプ、写真植字、日本語ワープロ、パソコンの編集ソフト……。アナログからデジタルへの劇的な変貌だ。

複製の技術も大きく変化した。そもそも出版の仕事は、著作物を複製して頒布する仕事だ。出版社は著作物を複製する技術者集団のネットワークを組織し、商品として流通・頒布するルートを確保する。複製は特殊技術だった。それがコピー機の普及によって誰でも手軽に複製が可能な時代になった。

著作物の流通も、インターネットの普及でこれまた誰でもが発信可能な時代になった。誰でも複製可能・発信可能でインターネット上にはありとあらゆる情報が溢れている。

この30年で、出版社が握っていた特殊技能は、大概のものが誰でもできる、誰でも利用可能な技術になってしまったわけだ。じゃあ、出版社はなくてもよい時代になったのか。そんなはずはない。

飲み屋でのよくある会話。「お仕事は?」「出版社につとめてる」「へえ、本を書いてるの!」「あ、それは作家や著者が書くの」「印刷するの?」「いや、それは印刷屋さんにお願いするの」「本を作ってるのよね」「うん、でも本の形に仕上げるのは製本屋さん」「本を売ってるんでしょ?」「お客さんに売るのは書店さん」「じゃ、あなた何やってるの???」。

どんな著作物を、どんな形で読者に届けるのか。それを判断し、リスクを引き受けて作品・情報を著者と共に磨き上げ、自社ブランドの商品として責任をもって発行・流通させる。どんなに本づくりの技術が変わろうと、届ける媒体が紙であろうと電子データであろうと、そこのところが変わることのない出版社の仕事だと思う。飲み屋では説明しにくいんだけれど。

この出版社の仕事の価値が認められる法的な権利を、現在、出版者は持っていない。現在、出版者が持っているのは、著作物を紙の印刷物の出版物に複製し独占的に頒布する「設定出版権」のみだ。出版を取り巻く環境の急激な変化の中では、その権利のみでは対応不可能なことが多すぎる。まず、現在の「設定出版権」は電子書籍など電子媒体には対応していない。また、出版した著作物の利用について許諾したり、使用料を請求する権利は、「著作権者」には認められているが、「設定出版権者」の出版社の権利としては法的な保証がない。グーグル訴訟問題、海賊版対応、自炊問題……、複写技術や電子的技術の向上によって起きてくる新たな問題の前で、出版社の無権利ぶりがくっきりと浮かび上がった形だ。出版社が権利者として主体的にそのような問題に対応できないことは、著作権者にとっても不利な事態を招きやすい状態を生んでいることは明らかだろう。

流対協ではこの間、私たち出版者にも、レコード会社、放送局、実演家などと同様に「著作隣接権」が不可欠だと主張してきた。そしてその流れは、出版関係者の共通な認識になりつつある。

4月27日には、中川正春元文部科学大臣が座長を務める「印刷文化・電子文化の基盤整備に関する勉強会」が「(仮)出版物に係る権利」の創設を目指す試案を公表。大手出版社、作家、超党派の国会議員などで構成されるこの勉強会の影響力を考えた私たち流対協は、4月19日付で、勉強会に対して要望書を提出。出版社に「著作隣接権」を与えるべきでだと求めていた。「(仮)出版物に係る権利」試案にはカッコつきで(著作隣接権としての出版物製作者の権利)と付され、紙・電子を含めて「出版物の製作に発意と責任を有し、出版物原版を最初に固定した者」としての出版者に、「複製権」「送信可能化権」「譲渡権」「貸与権」を与える内容になっている。

この方向は私たちの要望書の方向と合致しており、賛成だ。同勉強会が6月に行うという中間まとめに向けて、私たちは、試案が保護期間について、レコード製作者など既存の著作隣接権の保護期間50年より短い25年を提示していることには再考を求めているが、この方向で「著作隣接権」の法制化が実現するよう、声を上げ続けていきたい。

●水野久晩成書房/流対協副会長)

※『FAX新刊選』 2012年6月・220号より