自分が師と仰ぐ、日本少年野球
研究所 佐藤洋さん。
昨年・一昨年と佐藤さんがスタッフ
アドバイザーとなっているMFTのサ
マーキャンプに参加し、大きなきっ
かけをいただいてきました。
今年も、答えを見つけに、そして自身
を高めるためにも、キャンプに参加す
る予定です。
今、こうやって子どもたちへの指導
のあり方について、メッセージを発
信できるのも佐藤さんのおかげ。
佐藤さんと出会ってから、大きく価値
観が変わりました。
そして、少年野球の現状に危機感
を感じました。
世の中の勘違い指導者含め、分かっ
ていない大人たちに、少しでも”あるべ
き姿”を伝えられれば・・・。
そういう思いで書いています。
佐藤さんのブログで、紹介したい記事
がありますので、以下からどうぞ
きっかけ作り ”親の期待”
親の子どもに対する過度の期待。
親の立場としては、気持ちは分から
ないでもありません。
なぜなら以前は自分もそうでしたから。
しかし・・・。
しかしです。
それは、”諸刃の剣”になるのは間違
いありません。
仮にそれで子どもが親の期待に応え
たとしても、それは必ず親自身に返っ
てきます。
しかも、取り返しのつかない代償と
して・・・。
”子どもへの過度の期待”
これはつまり親が子離れできていない
ということを意味するのかと。
ということは、子どもも親離れできて
ないということが言えると思います。
つまりは、なかなか子どもが自立でき
ない状態にあるということです。
親の期待が強いと、子どもは自分の
ためではなく、親のために頑張ろうと
します。
背伸びして、親にとっての”良い子”
を演じてしまうのです。
しかも、かなり精神的に無理をして
いる状態で・・・。
だから、子ども自身も親にとって”悪
い子”になることに対して、罪の意識
が芽生えます。
ちなみに、親にとっての”良い子”
とは、
期待に応える子
あるいは応えようと頑張る子
”悪い子”とは、
期待に応えられない子
あるいは応えようと頑張らない子
つまりは、全ては親にとっての都合
の良い・悪いで、その子の価値を決
めてしまっているということ。
運よく期待に応えられた子。
確かに満足感はあると思います。
自信もつくことでしょう。
しかし、あくまでも親のためにした
ことで、自分が心の底からしたくて
したことではありません。
”やらされてやったこと”です。
だから、それでは精神的に続く
わけがありません。
そう、楽しくなければ続かない
のです。
期待に応えたあとは、待っている
のは、その苦痛からの解放感に
よる”燃え尽き症候群”。
途中で辞めてしまうということに
なるでしょう。
もちろん、全てがそうなるかどうか
というのはありますが、そうなる可
能性は高いと思っています。
非常に怖いことではないでしょうか。
ちなみに、燃え尽き症候群につい
ての過去ログです


小学生の燃え尽き症候群は怖い・・・
”親にとってのあるべき自分”
”子ども自身が望む本当の自分”
良い子は、前者のイメージが先行
します。
期待が大きければ大きいほど、
自分を犠牲にすることでしょう。
そうやって自分を見失った子は、
自分の人生
自分の生きる喜び
自分の生きているという実感
を失ってしまう。
すなわち、主体性のない
”自分がない人間”
に成り下がってしまう・・・。
これは、決して大げさなことでは
ないと思っています。
こういう子は、恐らく感受性の乏しい
無気力な人間になってしまうことで
しょう。
期待に応えられない子もしかり。
そういう自分を責め、自信を喪失し、
価値のない人間と思い込んでしま
うかも知れません。
自分は今までのブログの中で、
”子どもは全然悪くない”
”子どもに罪などない”
と再三にわたって書いてきました。
要するに、大人が全て悪いのです。
大人が子どもをこうやって追い詰
めているのです。
なぜ、それがわからないのか
佐藤さんもブログで書いています。
”やって出来ること”
”やったってできないこと”
何でもかんでも
”頑張れ、頑張れ”
”やれば出来る”
と言うわけではない。
そこには”判断”が必要だと・・・。
”ヒット打てなかった”
”三振した”
”エラーした”
”勝てなかった”
”優勝できなかった”
”甲子園出場できなかった”
・・・
だからどうだっていうのでしょうか
それらは人生においては何ら重要
な意味を持たないと思っています。
なぜなら、全ては頑張った結果に
過ぎないからです。
むしろ、そこに向かってがんばった
ことを認め、評価しなければ子ども
たちは救われません。
失敗や挫折は人生にはつきもの。
そこに大人が寛容になること。
そして、それを認めること。
それができれば、子供たちはそれ
らを糧にできると思っています。
それくらいのことを笑い飛ばす度量
と心の余裕が大人には必要ではな
いでしょうか
佐藤さんのブログの最後に書いてい
る言葉。
親が果たせなかった夢を、子どもに
託すのではなく、子どもには子ども
の夢を掴んでほしいと願う
全くもって同感です。
大人は子どもにとっての
”ドリームサポーター”
であるべきで、
”ドリームキラー”
であってはならない・・・。
佐藤さんのブログを拝見して改めて
そう感じた次第です
研究所 佐藤洋さん。
昨年・一昨年と佐藤さんがスタッフ
アドバイザーとなっているMFTのサ
マーキャンプに参加し、大きなきっ
かけをいただいてきました。
今年も、答えを見つけに、そして自身
を高めるためにも、キャンプに参加す
る予定です。
今、こうやって子どもたちへの指導
のあり方について、メッセージを発
信できるのも佐藤さんのおかげ。
佐藤さんと出会ってから、大きく価値
観が変わりました。
そして、少年野球の現状に危機感
を感じました。
世の中の勘違い指導者含め、分かっ
ていない大人たちに、少しでも”あるべ
き姿”を伝えられれば・・・。
そういう思いで書いています。
佐藤さんのブログで、紹介したい記事
がありますので、以下からどうぞ

きっかけ作り ”親の期待”
親の子どもに対する過度の期待。
親の立場としては、気持ちは分から
ないでもありません。
なぜなら以前は自分もそうでしたから。
しかし・・・。
しかしです。
それは、”諸刃の剣”になるのは間違
いありません。
仮にそれで子どもが親の期待に応え
たとしても、それは必ず親自身に返っ
てきます。
しかも、取り返しのつかない代償と
して・・・。
”子どもへの過度の期待”
これはつまり親が子離れできていない
ということを意味するのかと。
ということは、子どもも親離れできて
ないということが言えると思います。
つまりは、なかなか子どもが自立でき
ない状態にあるということです。
親の期待が強いと、子どもは自分の
ためではなく、親のために頑張ろうと
します。
背伸びして、親にとっての”良い子”
を演じてしまうのです。
しかも、かなり精神的に無理をして
いる状態で・・・。
だから、子ども自身も親にとって”悪
い子”になることに対して、罪の意識
が芽生えます。
ちなみに、親にとっての”良い子”
とは、
期待に応える子
あるいは応えようと頑張る子
”悪い子”とは、
期待に応えられない子
あるいは応えようと頑張らない子
つまりは、全ては親にとっての都合
の良い・悪いで、その子の価値を決
めてしまっているということ。
運よく期待に応えられた子。
確かに満足感はあると思います。
自信もつくことでしょう。
しかし、あくまでも親のためにした
ことで、自分が心の底からしたくて
したことではありません。
”やらされてやったこと”です。
だから、それでは精神的に続く
わけがありません。
そう、楽しくなければ続かない
のです。
期待に応えたあとは、待っている
のは、その苦痛からの解放感に
よる”燃え尽き症候群”。
途中で辞めてしまうということに
なるでしょう。
もちろん、全てがそうなるかどうか
というのはありますが、そうなる可
能性は高いと思っています。
非常に怖いことではないでしょうか。
ちなみに、燃え尽き症候群につい
ての過去ログです



小学生の燃え尽き症候群は怖い・・・
”親にとってのあるべき自分”
”子ども自身が望む本当の自分”
良い子は、前者のイメージが先行
します。
期待が大きければ大きいほど、
自分を犠牲にすることでしょう。
そうやって自分を見失った子は、
自分の人生
自分の生きる喜び
自分の生きているという実感
を失ってしまう。
すなわち、主体性のない
”自分がない人間”
に成り下がってしまう・・・。
これは、決して大げさなことでは
ないと思っています。
こういう子は、恐らく感受性の乏しい
無気力な人間になってしまうことで
しょう。
期待に応えられない子もしかり。
そういう自分を責め、自信を喪失し、
価値のない人間と思い込んでしま
うかも知れません。
自分は今までのブログの中で、
”子どもは全然悪くない”
”子どもに罪などない”
と再三にわたって書いてきました。
要するに、大人が全て悪いのです。
大人が子どもをこうやって追い詰
めているのです。
なぜ、それがわからないのか

佐藤さんもブログで書いています。
”やって出来ること”
”やったってできないこと”
何でもかんでも
”頑張れ、頑張れ”
”やれば出来る”
と言うわけではない。
そこには”判断”が必要だと・・・。
”ヒット打てなかった”
”三振した”
”エラーした”
”勝てなかった”
”優勝できなかった”
”甲子園出場できなかった”
・・・
だからどうだっていうのでしょうか

それらは人生においては何ら重要
な意味を持たないと思っています。
なぜなら、全ては頑張った結果に
過ぎないからです。
むしろ、そこに向かってがんばった
ことを認め、評価しなければ子ども
たちは救われません。
失敗や挫折は人生にはつきもの。
そこに大人が寛容になること。
そして、それを認めること。
それができれば、子供たちはそれ
らを糧にできると思っています。
それくらいのことを笑い飛ばす度量
と心の余裕が大人には必要ではな
いでしょうか

佐藤さんのブログの最後に書いてい
る言葉。
親が果たせなかった夢を、子どもに
託すのではなく、子どもには子ども
の夢を掴んでほしいと願う
全くもって同感です。
大人は子どもにとっての
”ドリームサポーター”
であるべきで、
”ドリームキラー”
であってはならない・・・。
佐藤さんのブログを拝見して改めて
そう感じた次第です
