奥三河城攻め③
作手城(三河亀山城) 新城市作手清岳字城山
奥平貞俊が応永31年(1424年)に築城という。
その後4代に渡ってこの地を治め、元亀年間には武田氏に従っていた。
信玄が死ぬと徳川家康に従い、家康は奥平貞能の子、貞昌を長篠城に入れて
武田氏に備えたが、武田勝頼が大軍で包囲して長篠合戦の発端になった。
貞昌は、信長から一字をもらい信昌と改名、家康の長女・亀姫を娶った。
関東移封で上野甘楽郡3万石を賜り、関ヶ原後四男である松平忠明が
作手1万7千石を賜った。
山家三方衆の一角、奥平氏の本拠地。
道の駅で賑やかでしたが城跡に行く人は少ないような・・・
田峯城 愛知県北設楽郡設楽町田峯
文明2年(1470年)菅沼定信によって築かれたという。
菅沼氏は奥三河に勢力を広げ、長篠、野田、島田の各菅沼氏の
宗家として田峯菅沼氏がある。
菅沼定忠は武田勝頼に従って長篠合戦で大敗。田峯に戻ると叔父の定直等が反乱を起こして
入城できず、信濃に落ちたが、翌年田峯を急襲して裏切った者96人を惨殺した。
本丸の復元屋敷。入場料200円
ご子孫寄贈の鎧兜。
ウソ天守の100倍ましな櫓。
蓬莱山
これにて奥三河城攻め終了。