慶長出羽合戦・現地調査1 | 『下手の横好き』

慶長出羽合戦・現地調査1

7月11日~13日

現在デザイン中の

「慶長出羽合戦~北の関ヶ原・最上義光最大の危機(仮)」

2泊3日の現地調査である。

羽田から山形空港へ1時間。

初日は4か所を攻める。

東根城 東根市東根本丸 


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室町初期、三浦一族の小田島長義が築城。

最上義光が天童城(なめたらあかん)を攻めた時

東根城も落ちて里見景佐が城主となる。

関ヶ原の時、上杉の志駄義秀、下吉忠に攻められたが

落ちず。

最上氏改易で廃城。

東根小学校が本丸跡。

小学校入口
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「大けやき」が有名らしい。


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遺構は水掘跡以外ほとんどなし。


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続いては

長瀞(ながとろ)城 東根市長瀞楯の内


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鎌倉時代に築城と言うが、本格的な城郭化は

最上氏の支配下となってからで最上満家の隠居城とも。

最上義光が拡大した。

最上氏改易後は鳥居氏の支配を経て天領になる。



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城域は民家が立ち並んでいる。


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一の堀も溝化
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二の堀が最も昔の姿を残している
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三の堀は寂しすぎる
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次はこの日最大の難所となった

楯岡城 村山市楯岡楯山


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こちらも鎌倉時代の築城。

室町期に最上満直の四男・楯岡満国が入る。

その後、最上義光の弟・楯岡光直が入る。

関ヶ原では落ちなかった城の一つ。

最上氏改易で廃城。


薮化が進んで道がよくわからない
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手探りで進むと石垣発見
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その後も道が見えないが薮をこいで進む
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もう全く道がわからない。

危険が危ないので引き返す。汗だく
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ここは冬場に再挑戦が必要と認む。



1日目最後は

延沢城 尾花沢市延沢古城山


ザックリすぎる案内図選手権優勝候補

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天文16年(1547年)延沢満重が築城。

能登守満延が武勇を発揮し

関ヶ原時は子の遠江守光昌が活躍。

最上氏改易で廃城。


虎口
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井戸跡
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馬場跡
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判りにくいが枡形虎口
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櫓門跡
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本丸到着
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本丸にある推定樹齢1,100年の大杉勝男(勝男はいらん)

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初日はこれまで。

つづく