豊前・豊後城攻め1
9月13日
毎年恒例の城攻めツアーに出陣じゃー。
ボ、ボ、ボウ、ボボボ、ボウオ~。馬引けーイ。
と、新幹線、ソニックに乗り継いで到着したのは
中津城 中津市
今回の参戦メンバーは過去最多の6名
西新宿鮫、庭猟師、ますやま、豚山ゴリ子、まあ、龍虎
総勢6万の大軍である。
前者5名は午前中から陣を張って
地元老人と交流していたらしい。
もとは南北朝時代に中津江太郎判官という豪族が
居城していたが現在の場所とは違うところだった。
現 山国川のデルタ地帯に築城したのは
ちんば禿でおなじみの黒田官兵衛孝高で
天正15年(1587年)のことである。
貝原益軒著「黒田家譜」によると
城井(宇都宮)鎮房暗殺のいきさつは以下の通り。
城井氏反乱が収まって2か月後、
100人程度の城兵しかいない中津城に突然200人の兵で
助命のお礼と称して鎮房が現れた。
黒田長政は、鎮房に策謀ありとみて先手を取って打ち果たした
となっている。
案外大河で描かれてるのに近いんじゃマイカ?
これぐらいしか遺構がないのよねー
続いて向かうは
日出城 大分県速水郡日出町
築城は慶長6年(1601年)、木下家で唯一積極的な東軍だった
北政所の実兄・木下家定の3男・木下延俊。
3万石を与えられる。
縄張りは、細川三斎(忠興)である。
そして桂文珍・・・じゃなくて滝廉太郎像があり
南側は、すぐ海がが開けている。
たった3万石の小大名の城とは思えない立派さ。
ハードルが低かったので、余計に感嘆したヨカ城でゴワした。
1日目 終了。 つづく