西九州はヨカところ(3)
2日目に先ず向かうは
「唐船城」
佐賀県伊万里市有田町大木
築城は古く 承久2年(1220年)源栄が築城。
これらの石垣は後世の積み直しとのこと。。。
でも、それっぽい(どれっぽい?)ので喜んで攻める4万の大軍。
現ご城主様がお出ましになったところで、次の城へ。
2つ目は有名城「佐賀城」佐賀市城内
天正12年(1584年)に沖田畷で討ち死にした竜造寺隆信の城
村中城を鍋島直茂が拡張した。
「本丸歴史館」になっている復元本丸御殿。
ここに、毒舌キャラ登場。
長い廊下。
ボランティアの宮永さん によると
資料でわかるモノは忠実に再現し、わからないところは
テキトーに作るのではなく正直に「わかりません」ということにしている。
左にワープしかけているのが宮永さん。
宮永さん「どこから来たとね?唐津から?」
我々「いいえ東京方面から来ました」
宮永さん「じゃあ、ぶたれることもなかとね」
我々「?佐賀と唐津って仲が悪いんですか?」
宮永さん「うん。いろいろ習慣とかもちがうんでね」
「酒を注ぐときも、佐賀は相手から注ぐ
唐津は自分から・・(佐賀弁で聞き取れず)」
「唐津の小笠原長行は五稜郭のあと行方不明になってたバッテン
アメリカに渡ってたと言うが、御茶ノ水あたりに隠れてたバッテン(断言)」
「(唐ワンのモデルになった兜のこと)鉄だと重たかバッテン
木でヨカって小笠原は言った・・・(佐賀弁で聞き取れず)」
という感じで唐津を貶める発言連発で笑いをこらえるのに一苦労。
立派な食い違いの虎口。
ありがとうございました宮永さん。
これからも唐津人じゃないことを確認してから解説をお願い致します。
この日 最後の城攻めは
「鹿島城」
佐賀県鹿島市高津原字城内
今は鹿島高等学校の敷地で赤門は現存。
佐賀鍋島藩の支藩で初代・鍋島忠茂は直茂の二男。
前身は常広城は水害が多く、文化4年(1807年)に
造営が完了し鹿島城になった。
三代・直条(なおえだ)は吉良上野介に高級有田焼を送って
無事に鍛冶橋内番御馳走役を務めることが出来たとか。
水掘りもバッチリ。
日本で一二を争う堅固な高校である。
石垣も小ぶりだがガッチリしている。
風情のある近世城郭でした。
この夜は島原半島の小浜温泉に宿を取る。
温泉客もそこそこ多く盛況。
露天風呂も満員。
地方の観光地が賑わっているのは結構なことでゴワス。
旅館に帰って、酔っ払いながら
ウォーゲーム日本史「長篠・設楽原合戦」を西新宿鮫さんとPlay。
ルールの不明確点があって再戦を誓う。
残るは1日。