ちょっとした驚きモモの木 16世紀
学研新書「秀吉の接待~毛利輝元上洛日記を読み解く~」
を購読。
毛利家家臣が上洛の様子を綴った日記の解説。
天正16年(1588年)に輝元が上洛して関白秀吉に謁見。
京、大和郡山(大納言秀長)、大坂で豪勢な接待を受けつつ
政治的人脈を作っている様子を描いている。
少し驚いたのは、秀吉が席を外したときや 同席してるときも
上壇の座に何と「木下(豊臣かなぁ)秀俊」、後の小早川秀秋が
座っていること。
しかもまだ6歳か7歳っすよ このガキゃー
そういえば
司馬遼太郎「関ヶ原」にも、秀吉が一時期 跡継ぎにとまで
考えてた時期があった みたいな記述があったよにぇー とか
そもそもは毛利家に養子にしようとしたら小早川隆景が察知して
引き取ったとか 色々話がつながって為になり申した。
なのに、このボケなすときたら。。。。
「なに裏切っとるんじゃ!金吾~」
と、西軍ファンが大ブーイングっすよ。
でも、秀吉の 可愛がり(相撲界関係なし)具合と
冷遇(まあ、それでも地方の大大名にしてやってるけど)具合が
彼をこうさせたんじゃないのか。。。(安易な〆になってるなぁ)
というような収穫のあった読書でした。