偶然という重なり | 涼夏のまだまだやりたいこといっぱいある。

涼夏のまだまだやりたいこといっぱいある。

まさにタイトルどおり。まだまだやりたいこといっぱいあるんです。まさやんの曲からいただきました!

日記はまさにやってることやりたいことを書いてます。

まじまじとほぼ日手帳を見ていたら
8月15日のところに
糸井さんのことばが載っておりました。



この世知辛い世の中の流れの中でも「先祖の霊」というものが、
あることになってる。「霊」というものを信じるとか信じないとか、
いろんな考えがあるけれど、この日本という島国では、夏のある時期に、
「先祖の霊」にまつわる行事があって、国中の人が休んだり
故郷に戻ったりする。案外、宗教的なところもあるじゃない、日本人。
そして、どういう偶然か「お盆・先祖・霊」の時期に
終戦記念日があるんですよねぇ。



確かに小さい頃私は終戦記念日だからお盆があるってはじめ
勘違いしていた。
でもそれは違う。
お盆というものは昔からあった。仏教が伝来する前から。
お盆として確立したのが仏教と結びついてからというだけのことだ。



御先祖様の霊が帰ってくるからと8月15日は基本的に
おばあちゃんの家に行き、墓参りに行った。



世の中も今はお盆休み。帰省ラッシュも始まっている。
なくなった先祖が帰ってくるという意味もあるけれど
離れていた家族が集まるということでは
正月同様、日本では重要な伝統だと思う。



自分の存在を作ってくれている御先祖様が帰ってくるということの
大事さは小さな頃から自分の中に植えつけられていて
必ずお墓参りにいかなくっちゃと思えたりする。
私はどちらかというとこういう見えない存在を信じているタイプです。
思いは必ず残り、誰かに引き継がれ、繋がるものだと思っています。




もし終戦記念日があの日でなかったら
今頃お盆の重みはどうなっていたんだろうか。


次第に薄れゆく日本の古き良き文化たち。
宗教というものへの思いがあまりない現代人。
先人たちとのつながりがなくなりかけている昨今。



偶然かもしれないがこれはある意味必然だったのかもしれない。


あの日ラジオの中から聞こえる声を
日本の人たちは一体どんな思いで聞いたのでしょう。

あの場にいなかったからこそ思うことは色々ある。


終戦から50年以上。実際に戦争を知らない人たちの方が
多くなってきた。
だからこそ忘れてはいけない出来事。


私ももちろんその時のことを知らない。


ただあの時を忘れないように戦争を知らない年代の人たちが
あの頃を描いたりする。


「日輪の遺産」も戦争を知らない浅田次郎氏が書いた話だ。
あの場にいたのではないのだろうかと思える
非常に鮮明な記憶のような描写。


まさに「あの声」をあの中の人たちはどのように聞いたのか。


「日輪の遺産」そして「地下鉄に乗って」はつながる作品だという。
「一刀斎夢録」から「日輪の遺産」「地下鉄に乗って」「シューシャインボーイ」まで。


浅田氏の作品の中には繋がった思いが見える気がする。
作品の中の色が同じ気がする。


後者2作はすでに映像化されている。
「日輪の遺産」の公開も間もなく。


終戦記念日の翌日、一足早くじっくり見てきたいと思います。



あの頃の人たちの思いを感じてつなぐために。