以下の国々の言葉を見てみれば、如何に韓国、中国、北朝鮮の従軍慰安婦強制連行や南京大虐殺が、嘘っぱちか理解できると思います。
そして如何に私たちの祖先が素晴らしい日本人であったかも知ることができます。
今の日本を見ていると果たして英霊の皆様が命を捧げて闘った甲斐があったのでしょうか?
今回はインドとビルマの声。
★ラッシュ・ビハリー・ボース(インド独立連盟の初代総統)
イギリスを印度から一掃しない限り、日本の理想とする大東亜共栄圏の確率は不可能なのである。
東条首相は深くこの点に艦みられ、去る二月二十六日シンガポールの演説に於いて、我々印度人に対し、一日も早くイギリスの束縛を脱却し、「印度人の印度」を建設することを要望された。
ここに東条首相の断乎たる印度援助の声明を聞くことを得て、実に天にも昇る悦びである。
今こそアジアの復興する時が来たのだ。
今こそ印度を復興する日が来たのだ。
★A・M・ナイル(インド独立連盟の指導者)
インドの独立はわずか、一、二人の人物や組織によって達成されたものではなく、勇敢な指導者のもとで、さまざまな状況の変化に助けられながら、それこそ大勢の人々が並外れた努力を払った結果だったからである。
状況の変化といえば、日本が始めた大東亜戦争も、それが日本自体にもたらした結果はともかく、そのひとつだったといえるだろう。
日本は確かに敗北を喫しはしたが、イギリスの歴史家アーノルド・トインビーも、日本が西欧に対して戦いを挑んだことは世界史全体の流れ、とくに東西関係のありかたに重大な変化を生じさせたと指摘している。
西洋も、東洋をおろそかにすることはできなくなったのである。
わたしは日本が始めた大東亜戦争がその結果はともかく、植民地だったインドをはじめとするアジア諸国(アフリカその他の諸国にしてもしかりだ)の独立を早めたことは間違いないのだから、インドもその点については日本に感謝しなければならないと思っている。
しかしインドはすでに述べたとおり、そのことを忘れなかったし、印日平和友好条約の締結にさいしても、日本に対しては好意的だった。
★K・サブラーマンヤム(国防次官・国際政治学者)
日本の当時の行動は他の帝国主義勢力がしたことと異ならず、客観的な歴史はやがてアジアの植民地主義の終焉への日本の貢献をきちんと記録するだろう。
東南アジアで日本軍がアメリカ、イギリス、フランス、オランダの植民地占領軍をすばやく撃破したことが戦後の帝国主義勢力のアジア復帰を困難にしたのだ。
中国の指導者たちが日本軍による自国民の苦痛を語ることは正当化されるかもしれないが、他のアジア諸国について語る資格はない。
★T・R・サレン(歴史学博士・国立歴史調査評議会理事)
日本は、ある特別な動機により戦争に踏み切りました。
アジアの地域が独立すると、日本は共栄圏を設立しようとしましたが、イギリスやアメリカは、ヨーロッパ帝国主義に代わって、日本が居座るつもりだと宣伝しました。
しかし、それは日本の目的ではありませんでした。
東南アジアにおける日本の目的は全く別のことでした。
日本の目的は外国の武力をアジアから駆逐することにあったのです。
ヨーロッパの歴史家も正しい認識により日本を評価しており、現在では日本が戦争に踏み切ったのはアジアにおけるヨーロッパ支配を終結させるためだったということに同意しています。
★M・L・ソンディ(ジャワハルラール・ネルー大学教授)
第二次世界大戦の後、東南アジア諸国はインドネシア、インドなどすべてが、次々に独立を達成しました。
アジアにおける日本の軍事行動は、世界のどの場所で行われた軍事行動とも本質的に異なったものでした。
なぜなら、この軍事行動は、アジア人がアジアにおいて名誉ある地位を見出そうとした、政治的、社会的、そして思想的な衝撃を持っていたからです。
いま、歴史家が評価すべき重要な出来事のひとつは、日本の場合、アジアのナショナリズム或いはアジアの誇り、すなわち、アジアの言葉による将来への展望という意味が、常に存在したことです。
★シシル・ボース(ネタジ記念館館長・スバス・チャンドラ・ボースの甥)
インドの独立には、国民軍の国への忠誠心が大きな影響を与えました。
しかし、我々国民軍を助けてくれたのは日本軍でした。
インパールでの戦争で、六万の兵士が、我々のために犠牲となってくれたのです。
我々インド人は子供に至るまで、この日本の献身的行為を、決して忘れてはいけないし、感謝しなくてはならないのです。
事実、大東亜戦争はインドの解放を願った独立戦士にとっては天の賜であった。
戦争初期の日本軍の輝かしい軍事的勝利は、暴虐野卑な英国の支配に喘いでいた何百万のインド人に歓喜と勇気をもたらしたのである。
『ビルマ』
★バー・モウ(初代首相)
真実のビルマ独立宣言は、一九四八年一月四日ではなく、一九四三年八月一日に行われたのであって、真実のビルマ解放者は、アトリー氏とその率いる労働党政府だけではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。
★ウ・ヌー(初代外務大臣・首相)
歴史は、まさに高い理想と目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民族の解放と福祉のためにのみ、生命と財産を犠牲にした例を一つくらい見るべきだ。
そして日本人は人類歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える。
(昭和二十三年八月一日のビルマ独立式典の演説より)
★コドマイン(ビルマ三十人志士・ビルマ独立義勇軍将校)
私の人生で今日ほど幸せだったことはない。
わが国土から英国が追放され、偉大なアジア民族が馳せつけて他のアジア民族を解放してくれた。
我々に古代の遺産と国土と自由、宗教、文化を取り戻してくれた。
私は死ぬ前に、この幸せな日を三留ことができた喜びに泣いた。
★ボーバラ(ビルマ三十志士・ビルマ独立義勇軍将校)
私たちはボーモジョに感謝しなければなりません。
私たちビルマ人には、師という人には、常に尊敬の念を忘れないという精神があるので、(陸軍大尉・南機関の)泉谷さんなどの恩師には、いまでもひざまづき敬意をあらわすのです。
独立運動の最中、困難に直面したときは、お互い憎みたい気持ちも起こりました。
しかし、大きく眺めてみるならば、日本の人すべてに感謝しなければならない、というのが本当の気持ちですね。
★ボー・イエトウ(ビルマ三十志士・ビルマ独立義勇軍将校)
ビルマが独立を得るために以前から長年、国民はいろいろな形で進めてきました。
特にビルマ独立義勇軍をはじめ、ビルマ防衛軍、ビルマ愛国軍、それぞれの兵士が国民とともに一丸となって戦ってきたのでビルマは独立が得られたのだ、と信じています。
それらに与えた大東亜戦争の効果とは、ビルマ独立義勇軍のために軍事訓練をしてくれた。
教官自らも軍に加わった。
武器をくれた。
ボモージョ、鈴木大佐をはじめとする日本の教官たちがそのような協力をしてくれたことは実に意義深いことでありました。
★【尖閣国有化】衝撃!石原都知事の親バカと戦後保守の結託★
栗原家と日本政府の「尖閣売却合意」報道の後、情報が錯綜してその真偽が不明な状態が続いていたが、チャンネル桜が独自に入手した情報に拠れば、やはり報じられているように「尖閣国有化」「避難港整備拒否」という流れになっているようである。「民族派」と言われてきた石原慎太郎都知事であるが、息子の「総理総裁」の座に目が眩んで晩節を汚したと断じざるを得ない。この期に及んでは、これまで公にしてこなかった情報を交えながら、石原都知事の変節を糾弾させていただきます。また、日本の軍事的自立を挫こうとするアメリカの戦略と、それと談合した習近平副主席の「芝居」について予告しておきます。
★【討論!】反日韓国をどうするか?★
パネリスト:
黄文雄(作家・評論家)
鈴木隆行(「在日外国人」「男女共同参画」「人権問題」研究家)
三浦小太郎(評論家)
水間政憲(ジャーナリスト)
三橋貴明(経済評論家)
村田春樹(外国人参政権に反対する会東京代表・自治基本条例に反対する市民の会会長)
渡邉哲也(作家・経済評論家)
司会:水島総