100kmも走ってどこが楽しいの? | 走りながら、食べて、聞いて、考えて!

100kmも走ってどこが楽しいの?

隠岐の島ウルトラマラソンが終わって一週間後、サロマ湖ウルトラマラソンが開催されました。
伝統あるサロマ湖ウルトラマラソンは、北海道民だけでなく全国各地が集まる大会です。
私の知っているラン仲間もたくさん参加していました。
サロマ湖ウルトラマラソンは第30回、隠岐の島ウルトラマラソンは第10回と、歴史も3倍、重みがある大会です。

サロマもエントリー開始から数分もかからずエントリーが締め切られました。
隠岐の島も、以前は締め切り間近でも余裕でエントリーできましたが、今年は3日ともたなかったみたいです。

なぜ、こんなにウルトラマラソンなんていう、通常の人間が走ろうとは思わない大会に参加するようになったのでしょうか。

ひとつは、やはり東京マラソンの影響で、徐々にフルマラソンへの参加が厳しくなっていることは承知のとおり。
それに加え、最近は、もっと自分の限界を試したいという人などが増えたのかもしれないと感じています。
トレイルランでも、30km程度の距離でも本当は非常に負荷が高く、厳しいものですが、最近はハセツネの71・5kmどころか、100kmや160km級の大会も増加し、さらに、そのエントリーも厳しくなっています。
さらに、世界中には、砂漠や、ジャングルなども走るアドヴェンチャーレースがあり、そこへのエントリーも増えています。
ロード中心のマラソンでも、南アフリカのコムラッズや、スパルタスロン、バッドウオーターなどにも続々日本人も参加しています。

こうした人達は、自分がやっていることの異常さ(一般の方々空見れば)をあまりそうは思わず、非常に楽しそうに走ったあと、報告をしてくれます。

でも、実際には、走っている時は相当苦しいはずです。

でも、不思議とゴールしたあとに、苦しさを忘れるほどの感情が沸き起こってくるのです。

そういう私も、100kmを初めて走った時は、ゴール直後も「もう二度と走りたくない」「もう、これで走らなくていいんあ」という感情になりました。

でも、不思議なことに、数分たつと、「やれたのだから、もっとやれるかも?」って思うんですよね。人間ってそういうものなのかもしれませんね。

自分が「やれた」ということは、経験になり、経験は自信になります。
そして、その「やれた」ことは難しい厳しいものであればあるほど、達成感が大きくふくらみます。

人間はそもそもそういう生き物なのかもしれなせん。

でも、

無理すると、疲労骨折などにもなりかねませんので、100kmウルトラマラソンに参加されたみなさん、ぜひ、ケアを十分に・・・。