1.【出会い編】歴史街道丹後100kmウルトラマラソン
2.【トレーニング編】歴史街道丹後100kmウルトラマラソン
3.【故障編】歴史街道丹後100kmウルトラマラソン
4.【装備編】歴史街道丹後100kmウルトラマラソン
5.【レース前日】歴史街道丹後100kmウルトラマラソン
6.【レース直前】歴史街道丹後100kmウルトラマラソン
7.【本番pt1】歴史街道丹後100kmウルトラマラソン
8.【完結編】歴史街道丹後100kmウルトラマラソン



40kmを過ぎると流石に体が慣れていない

距離を走っていることもあり、

あちこちが痛くなり始めました。

ランニングノート ~走り書き~



46kmのエイドで特産品のうどんを頂き

気持ちの面では全く折れることなく

距離が伸びれば伸びるほどテンションも上がってきて

50km辺りでのヴォルテージは最高潮でした。

そんな表情を捉えた1枚。

ランニングノート ~走り書き~


後ろに写る選手の位置を見ると分かる通り

高低表では平坦に描かれたコースも

こういった細かいアップダウンの繰り返しで

私の膝は確実に悲鳴を上げ始めていました。

50km通過タイムは

5時間54分04秒(7'48"/km)

スタートから6時間。

気温もぐんぐん上昇をはじめ

おそらく27度を越えていたと思います。

エイドには体にかけるための氷水が

バケツに用意されており

私はエイドに立ち寄るたびに頭から

氷水を浴び、体の冷却を図りました。

そして預けたドロップバックを受け取れる

56km地点の第2関門に到着。

関門制限時間の50分前でした。

これまでにヒップバックに入れていた4個の

エネルギージェルを全て消費していたので

預けていたドロップバックから

新たに4個を補充し、バナナ、ようかん、

アンパン、梅干と特産品である

ばら寿司を頂きエネルギーを補給。

ランニングノート ~走り書き~


そしてここからが今回最大の山場である

高低差400mを越える峠越えの始まりです。

エイドの方達に

「死なない程度に死ぬ気で乗り越えてください!」

という、何とも恐ろしいエールを頂きいざ峠へ!

ランニングノート ~走り書き~


60kmの通過タイムは

56kmのエイドでの休憩が加算され

7時間25分51秒(9'06"/km)

トレイル練習で坂道には精神的な慣れがあったとは言え

60kmという未知の距離を走った後に現れた

凄まじく急峻な上り坂。

ランニングノート ~走り書き~


この上り坂を登っているときから左足首に

今まで体験したことのない鈍痛が走り始めました。

テーピングで補強していた左足底筋膜炎の痛みも出始め

明らかに体の動きが鈍くなりました。

3km程上ったところで今度は急激な下り坂。

ここで私の足首は悲鳴を上げました。

一歩踏み出すたびに激痛が走り

まともに踏み込むことが出来なくなりました。

そして65km辺りから、さらに急峻な上り坂。

下りで足首をかばったせいでしょうか。

今度は突然左膝に激痛が走り始めました。

60km地点から約10kmこのような激しいアップダウンが続き

70kmの通過タイムは

8時間59分05秒(9'18"/km)

この区間は殆ど走れず大変に苦しい

上り坂の10kmでした。

そしてようやく

73.4km地点の第3関門に到着。

関門制限時間の35分前でした。

ここでは預けたドロップバックから

苦しいときに飲もうと思っていた

VESPAをバックに補充しました。

ここで、相部屋だった方と一緒になり

お互いの状況を報告。

私は足首と膝の激痛からこの先

耐えられるか分からない旨を伝えました。

向うも足に激しい疲労があり

殆ど走れない状況のようでした。

そんな苦しい状況の中お互いエールを交換し

10kmの激坂を下る道のりが始まります。

左足底、左足首、左膝は

もうとっくに悲鳴をあげ

もう走るな、もう走るなと体に

危険信号を送り続けているようでした。

それでも私は

「もうどうなっても良い!」

「何が何でも完走したい!」


という気持ちに支配されておりましたので

体の拒絶反応を無視し続けながら10kmの激坂を

一歩一歩文字通り悲鳴を上げながら下ってゆきます。

一歩踏み出すことに「うっ」っと声が出るほどの痛みが

体全体を走り抜けましたが、それでも私には

リタイアという選択肢は全くありませんでした。

そして苦しい苦しい10kmの激坂の下りが終わり

80kmの通過タイムは

10時間50分36秒(11'06"/km)

やっと下りきった。。。

時刻はPM15:20

87.2kmの第4関門の閉鎖がPM16:38

残り1時間20分で7.2km・・・

まだイケる!

この辺りのエイドで氷を頂き

靴下の中とタイツの中に氷を入れて

直接足首と膝をアイシング。

少しの希望を残し再び歩みを進めます。

そして下りきったと思った80km地点から

再びゆるゆるとした上り坂が出現。

もはや歩くよりも遅いスピードで

痛みと戦い、時計とにらめっこを

繰り返しながら一歩一歩歩みを進めました。

激しい痛みはありましたが

気持ちは俄然前へ!前へ!

という力に溢れていました。

しかし。

体の方はとっくに限界を越えていました。

そして16時28分。

85kmのエイドに到着。

87.2kmの関門まで残り2.2km。

残された時間はあと10分。

それまで強気で押してきた気持ちが

ここでプツっと途切れ

「もう限界だ・・・」という気持ちに支配され

途端に心が折れました。

そして関門時間の16時38分。

私の長き旅は85kmのエイドで

DNFという形で幕を下ろしました。


※最終記録
()内は10km毎のラップ
10km 1:10:52(------)(7'06"/km)
20km 2:12:31(1:01:39)(6'06"/km
30km 3:20:11(1:07:40)(6'42"/km)
40km 4:35:54(1:15:43)(7'30"/km)
50km 5:54:04(1:18:10)(7'48"/km)
60km 7:25:51(1:31:47)(9'06"/km)
70km 8:59:05(1:33:14)(9'18"/km)
80km 10:50:36(1:51:31)(11'06"/km)



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その後収容バスの窓越しから

まだ戦いを続けているランナーさんの姿を見ながら

フィニッシュ地点に搬送されました。

ランニングノート ~走り書き~


ここで長き100kmの旅を終え、

次々とゴールを果たすランナーさんの姿を

目にした途端に得も言われぬ感動から

自然と涙が溢れてきました。

最後のストレートを駆け抜けてくるランナーさんに

こころの底から「おめでとう!」と声をかけ

ハイタッチで迎え入れながら来年こそは・・・

と言う、強い思いを胸に抱き

私のウルトラマラソンは

18時30分、本当の終わりを迎えました。

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左足首靱帯と左膝半月にダメージを残し

故障と言う形で幕を下ろした私のウルトラマラソン。

レース中に痛みは伴いましたが、

不思議と「もう止めたい」と言う気持ちは

一度も芽生えませんでした。

次こそは万全の体制を整え

またあの夢のように楽しいウルトラの舞台へ

舞い戻れるようにこれからゆっくりと調整を始めようと思います。

長き記事なりましたが最後まで読んでくださった皆様。

ありがとうございました。

そして大会運営者の皆様、

楽しい夢舞台をありがとうございました。

-完-