ほしいものは執着をやめたとき手に入る | だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

日本からは見えにくい、知られざるニューヨークやニューヨーカーのこと、たまにプライベートなことを書いています。

こんにちは、コモンるみです。


今日は独り言です。
ご興味のある方だけどうぞ。


バブルが終わりかけていたころ、すべてをリセットするつもりで
ニューヨークに飛び出してきました。

というと、向こう見ずにあまり深く考えず勢いで来てしまったと思われるかもしれません。
わたしは意外なことに石橋を叩きながら渡るタイプなんです。笑
他のいい方をするならば、それを迷走というかもしれません。

迷いながらも1年がかりで入念な計画を立て、会社を辞めることは半年前に編集長と副編集長に極秘で伝え、迷惑をかけないよう準備をし、当時働いていた会社には
5年間有効な報道ビザをサポートしてもらうことも忘れませんでした。

貯金が底をついたとき、すぐに帰国しなくても雑誌などの仕事をして収入を得ることができるよう労働ビザの道はしっかり確保したのです。


が、そこまで計画してきたニューヨークでしたが、それでも最初の2年ほどは(読売アメリカで働き始める前のフリーランスのころ)、人生で一番苦しかった時期と重なりました。
住んでいたのは、まだまだ危険がいっぱいのNYという無法と混沌のアスファルトジャングルです。

ミッドタウンのレストランで、入ってきた強盗に背中の辺りで拳銃を突きつけられるという災難に遭ったのもその頃でした。

そんな具合に、普通に日本で生活をしていたら起こりえないことを次々と経験しました。

道を普通に一人で歩くことも、パーティで新しい人と知り合うことも、地下鉄に乗ることさえも、なんでこんなにも大変で勇気がいるんだろう。。。


あの強くて優しい鳥居晴美ちゃんでさえ、90年代にNYに住んでいた数年は本当にきつかったっていうんだもの。

独りでどこの組織にも属さずにこの街に住むのは相当きついってことなんですね。


日本でわたしが当たり前のように身につけていた「自信」はコテンパンに打ち砕かれました。
ぬるま湯&バブルニッポンで、
澱のように体にこびりついていた意味のない奢り、
虚飾にまみれたライフスタイル、
空虚で浮薄いつも長続きしない恋愛といったものは逐一はぎ取って一旦ゼロに戻す。
ある意味辛くしかし必要不可欠な儀式を黙々と遂行することに費やしました。


わたしは自分に「ない」ものをどんどん羅列し、
自分の不幸を確認するような作業もしました。笑


一体なんだったんでしょう。



たとえば夫と知り合う前、道で妊婦さんを見かけるだけで涙が出てくるほど「子供がほしい」と思った時期が半年ほどありました。

といっても、子作りにはパートナーが必要ですがその具体的なパートナーもいないまま。笑

ただ、妊婦服を着る自分に憧れる一方で、自分が子供を持てる可能性はゼロに近いという諦めがあり、そのジレンマはキツかったです。

子供はその一例にすぎません。

当時の自分にないものをたくさん羅列し「無」や「無念」を自分に突きつけてとことんまで落ち込んでみました。


とても辛い孤独な作業でした。
だけど、ニューヨークってところは孤独のブラックホールにはまるとどうしてもこんな病的なことをしたくなるの。


折しも、失恋。笑
よ~し、こうなったらとことん行けるところまで不幸せ路線を行ってみようじゃないの! ってな感じでした。


愛の反対語は憎しみではなく、無視であることをみなさんはご存知ですよね。

憎しみは愛の合わせ鏡です。
憎しみという感情が「存在」すればまだ愛の余韻はそこにある。

憎しみも何もない状態。
だれにも愛されず憎まれもしない、世界中から隔絶されたような「無」の状態。
そんな状態におかれたところから始めました。


バブルのニッポン時代はその時代の先端を行くスポットにはまり、どんちゃん騒ぎの中で自分を見失いかけていたわたしにはそんな作業でリセットすることが必要だったのかもしれません。


そんな辛い儀式を通じ、本当にほしいものは「ない」、なくてもいいものは実はたくさん「もっている」という確認作業をするうち、だんだん見えてきたことがあります。


本当にほしいものなんて、実はそれほどたくさんあるものじゃないということです。



そして全然どうでもいいと思っていたものの中に、「もっていてよかった」と思えるものが結構あることが感謝とともに見えてきました。

そしてもっててよかったと思うのは、マテリアルではなく目には見えないものであることがわかってきました。


ちなみに「日本で受けた教育」はそのひとつです。
今でも感謝する機会がたくさんありますが、日本にいるときはまさかそんなことに感謝する日が来るなんて想像をしたこともありませんでした。


それは学歴という意味ではなく、学校で学んだこと以外にも日本という社会で学んだ常識や教養などです。

それらが実は世界基準でも十分に通用することがわかり、一旦ぺちゃんこになってみた後に自分をもう一度ふくらませていく時、本当にありがたい道しるべになり役に立ちました。


それまではまるで空気のように思っていた家族、両親が健康に暮らし、自分のことを愛し気にかけてくれているということも、たとえ会えなくてもこんなにも自分を支える力になるんだと初めてわかりました。



欲しいのに手にできないものをとことん厳選し、
いらないものは意識的に自分からはぎとり、
出来る限り「無」に近い状態を意識してみたとき、
あら不思議、それでもちゃんと生きていることに気づきます。

そしてない状態でも日々はそれなりに流れていく。

こうして、アメリカ人が得意な、ないものにフォーカスするのではなく、あるものに感謝するということがついに、わたしにとっても意味のあることになっていきました。



砂漠で遭難し、水筒に水が半分しかない場合、
「もう半分しかない」と思うか
「まだ半分ある」と思うか。



わたしのような迷走名人で周り道をいっぱいしないと正しいところにたどり着けない人間は、こんなプロセスでも踏まない限り、人生の真理なんて絶対理解できないし、あるものに感謝なんて到底できないんですよね。笑



ある時期、結婚はしなくても子供はほしいとまで思った時期があったんですが、それがふっきれたのもそんな苦しい迷走の挙げ句のことでした。


少しだけ悟りを開き、将来、独りでどこかでのたれ死にするかもしれない、それも一興と腹をくくったあたりから、何か吹っ切れニューヨーク生活が意義のある楽しいものになっていったのです。


そして友だちに紹介された夫にある日曜日の午後、わたしから思いきって電話をかけました。

比奈子ちゃんじゃないけれど、わたしの知らない世界を知っているかもしれない人とお話がしたいなと思ったのです。



吹っ切れていたわたしだったからこそ、会話も弾み、気がつくと1時間以上話し込んでいました。

そして電話を切る前に彼が一言いいました。
「きみとは結婚することになる気がする」


まだ顔を見たこともなく、少し年上だとわかっていたわたしに向かってです。



すみません。本当に独り言になってしまいました。


そのとき、ほしいものは執着をやめたときに手にはいるって真理かもしれないって初めて思いました。



ないものにこだわるのではなく、あるものに感謝しフォーカスして生活するほうが幸せという真理が、頭では分かっても体でどうしてもわからないなら、一度とことん、こだわるのが一番です。笑


そこで吹っ切れた時なのよ。
涅槃の境地が見えるのは。



今でも時々思います。
すべてが思い通りになっていたらわたしはNYに来る必要はなかった。
NYに来ていなかったらここまでないものを突き詰める機会もなかっただろうから、あるものに感謝することもなかった。


そして日本のぬるま湯で全然寂しさを感じずに生活できてしまっていたら、今頃、相当イケズでみんなに怖がられるファッション雑誌のお局になっていたことでしょう。笑



もちろん、それも人生一興ですけれどね。


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