FBIと共にエジプトの実父の下を脱走した17歳女子の勇気 | だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

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日本からは見えにくい、知られざるニューヨークやニューヨーカーのこと、たまにプライベートなことを書いています。

みなさま、こんにちは~

о(ж>▽<)y ☆


ニューヨークも最高に気持ちのいいお天気です。
肌寒かった先週がうそのよう。
一気に初夏です~。


4月からずっと体調が悪かったのですが、自然に任せていてもやっぱり治りきらないので、何十年ぶりかに抗生物質のお世話になっちゃいましたが、こういうとき薬の威力ってすごい! あっという間に完治、風邪も完治しました。


1週間前から今度こそ本気で心を入れ替えてはじめた、毎日ジムで運動するかセントラルパークを早歩きする習慣が功を奏し、ああ、健康に感謝です。
健康がこんなにもありがたいものだったとは。。。。
毎日がありがたいわ~。極楽~。笑

みなさま、その節は本当に暖かいお言葉ありがとうございました。
身にしみてうれしかったです。

元来わたしは薬とかサプルメントとかが大の苦手。
これでしばらく何も口にしなくていいと思うと、それだけでハッピィです。


さて、今日はこちらの続きです。

感涙! ありえない勇気賞を受賞した少女の小説も真っ青なお話


3歳のとき、実父にエジプトに連れさらわれ(アメリカではこれを誘拐と定義します)学校にも通わせてもらえず、軟禁状態のもと、ホームスクールで育ったナシュワちゃん。

17歳になったとき、一大決心をし、母の住むニューヨークに大脱出を計画します。
母とFBIの協力の下、綿密な計画が功を奏し、とうとう生まれ故郷のニューヨークに戻って来たナシュワちゃん、空港でお母さんと涙のご対面を果たしました!


普通なら、ここでハッピーエンドが用意されているべきですよね?


ところがそうはいかないのが実話の辛いところ。


クィーンズでお母さんといっしょに暮らし始めたところまではよかったのよ。


ところが・・・・



何日が経つと、次第に2人の間には埋めようのない深い溝があることが否応なく露呈してきました。


3歳で実の娘を奪い去られた母が毎晩夢にまで見たのは、ずっと3歳のままのナシュワちゃんでした。


ところが・・・
目の前にいる実の娘は、17歳とはいえ、年齢より大人っぽく見える若い「女」。
しかもその女は、英語を話すことはできるけれど、アラビアなまりがある。
加えて、信仰しているのは自分に染み付いているカソリックではなく、お父さんに叩き込まれたイスラム教。

また、お父さんと暮らす生活の中で、ナシュワちゃんから完璧に抜け落ちていたのは食事などのマナーでした。
だからなのね。お洋服の着方なんかもなんとなく、これまでの反動ではじけちゃってる感じがしたのは。

きっとみなさんは信じられないと思いますが、こういう子たちって、髪の毛って毎日か1日おきに洗うべきものだということも知らないの。
ニューヨークに住んでいると、近づくと髪がにおう人、結構多いのよ。
そう、ナシュワちゃんは、そういう常識がいろいろ抜け落ちていたのです。


ところで、娘が12、3歳になった頃、ある日突然、
「この子は本当にあの可愛かった娘と同一人物だろうか」と愕然としたことがありました。
いきなり、思春期の兆候を感じさせ、反抗的な態度をとるようになった娘にうろたえたことを思い出しました。

毎日いっしょに暮らしていてもそうなんです。

まして3歳からいきなり17歳までをとばして、目の前に突然現れた、母国語もアクセントなしでは話せない若い女性を娘だと思えといわれても。。。。
お母さんはその変化にうまく順応できなかったのでしょうか。


加えて、当時のお母さんにはボーイフレンドがいました。
それもナシュワちゃんにとっては悲劇の原因だったかも。

実の娘とはいえ馴染みのない女性です。しかもきれいだし、エキゾチックだし、年齢より大人っぽい彼女に、母はライバルとしての脅威を感じたのかもしれません。


「大学に行かせてほしい」
と1年がかりで懇願したナシュワちゃん。
けれどその願いを母親は聞いてくれませんでした。
大学に通う費用はびた一文出せないと宣言するのです。
挙げ句の果てには、あなたとは一緒に住めない、出て行ってくれとまで言われてしまいました。


かなり偏った方法ではあっても3歳のころから自分を育ててくれた父親。
その父を捨てるのは断腸の思いであったはず。
見たことも行ったこともない国に、着の身着のまま、見ず知らずのFBIだと名乗る男たちを信じて逃亡できたのは、父の敷いたレールを外れることも大きな目的だったでしょうが、母に会いたい一心であったからできたことなのではないでしょうか。


それなのにその母親はまさに自分を捨てようとしている。

右も左もわからない、すべてが生まれ育ったエジプトとは違う見知らぬ国の慣れない町で、母のこの仕打ちはどうでしょう。
この辺りからそれを語るナシュワちゃんの声は涙声になってしまいました。

こうして家を出ることになったナシュワちゃん、それでも大学に行きたいという意志は固く、叩いたのがクィーンズ大学の門でした。


試験を受けめでたく合格。

ですが、次の思わぬ難関がありました。
高校をアメリカで卒業していない彼女にはクィーンズ大学からは奨学金がおりないと言われてしまったのです。


まさに四面楚歌。
することすべて思うようにいきません。

この時のナシュワちゃん、どれほど心細い気持ちで毎日を過ごしていたでしょう。
友達らしき友達もなく、相談する人もなく。一人ぽっちで暮らす小さなボロアパートでひざを抱えて泣いた日もたくさんあったのではないかしら。

けれど、それでも大学に行きたいという意志は変わりませんでした。


結局、家賃と授業料を払うため、3つの仕事を掛け持ちしながら学校に通い始めたのです!


ナシュワちゃん、すごいっ!


そしてその大学で、わたしの夫の友人で「中東政治」について教えているマークに出会ったのが、彼女に幸運の女神が微笑む発端となりました。


ナシュワちゃんの生い立ちと意志の強さに感動したマーク、なにくれとなく面倒を見ます。
奥さんといっしょに学生たちを家に招待する際、食事のマナーを教え、アラビア語が話せる彼女を中東への出張に連れていき、エジプトでは中東では何が起こっているのかその現場を見る機会を与えます。


こうしてマークのおかげで政治に大変に興味をもった彼女、この夏、あるオーガニゼーションが主宰する、中東の国をまわり現地でコミュニティサービスをしながら見聞を広げる大学生対象のキャンプに応募します。

これは試験や面接を通過して選抜されるキャンプで、英語の他にヘブライ語、アラビア語、ペルシャ語のどれか1カ国語が話せることが条件です。


ナシュワちゃんはアラビア語が話せます。そしてクィーンズ大学からはたった2人のうちの一人としてこのキャンプに参加することが決まりました!

それを発表するときのナシュワちゃんのうれしそうなことといったら。
満場もスタンディングオベーション、割れんばかりの拍手のうずで応えました。


「将来は政治の道に進みたい。まだ世界中にいる誘拐されたままの子供たちを救いたい」というナシュワちゃん。

思うに彼女って元々すごく頭のいい人なのではないかと思うのです。
そしてものすごく強い意志の力をもっている。

近い将来、きっと政治の道に進むでしょう。
そしてきっと、何かわたしたちがあっと驚くすごいことをしてくれる気がします。


今わたしはマークの主宰する
CERRU (The Center for Ethnic, Racial & Religious Understanding at Queens College/民族、人種、宗教間理解を深めるためのクィーンズ大学センター)に寄付をするだけではなく、ナシュワちゃんのせめて1年分の授業料をなんとかして払ってあげられないかなと、夫と交渉中です。笑


みなさま、長々とおつきあいくださましてありがとうございます。

続いて、優秀アジア人の泣き所にまた戻りたいと思います。


どうぞみなさま、よい週末を~♡


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