不況を切り抜ける差別的でパワフルなCoopのシステム | だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

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日本からは見えにくい、知られざるニューヨークやニューヨーカーのこと、たまにプライベートなことを書いています。




19世紀末、建てられた当初のセントラルパークウエスト(72丁目のCoopダコタハウス)





これは同じく百年前、5番街 聖パトリック教会前、イースターのパレードの模様






百年前、セントラルパークからプラザホテルを臨む。つい先ごろ、ホテルとして、また上階はコンドミニアムとして再オープンしました。


 

  

            不況真っただ中1935年のニューヨーク       All photos/archives.gov    




マンハッタンでは、

現在存在するもっともパワフルなアドレスといわれるCoopの多くが1920年代に建てられました。

また、1929年の世界大恐慌直後には、あのロックフェラーセンターが建てられました。

それから30年代、40年代、NYを襲った不況、

多くの高額なパークアベニューや5番街のアパートすら抵当流れになりました。



そしてNYにとっての究極の試練は1976年、

ニューヨーク市は倒産という最悪の事態に直面します。

このとき、NYの商業不動産を買いあさったのがイギリス人。

そしてオイルマネーが参入。

遅れて円も・・・・



80年代後半にはブラックマンデー、ブラックフライデーという金融危機が直撃し、

犯罪率の高さは過去最高、人口流出が止まらず、

一方、1BR、studioなど小さなアパートで形成されたコンドミニアムが乱立、

不動産市場は下降線をたどります。



しかしニューヨークは不屈です。



このような20世紀の一連の試練に鍛えられ、どんどん経済的危機を乗り越える筋肉をつけていきます。


そして、ニューヨーク市にはCoopという世にも不思議な、他州ではちょっと例をみない住宅のシステムが出来上がり、市民権を得ます。


Coopのボードといえば、だれもが恐れるニューヨークの蔭の実力者、




Sex and the Cityでも、男出入りの激しいサマンサが、Coopのボードのお局さまから「出ていきなさい!」といわれ、当時はまだおかまのフッカーがたむろしていたミートパッキング・エリアに引っ越していきましたね^^









Cheers! ようこそNYへ!

9・11の危機も乗り越え、21世紀のニューヨーク市は、世界中の人を魅了するハンサム・シティに変貌しました。

犯罪率も、2005年の統計では、全米の都市で53位にまで下がりました。





このCoopの仕組みや、ちょっとミーハーな、でもNYの真髄に迫るエピソードは拙著にも書いておりますので、ご興味のある方、ぜひご覧ください^^


次回は、どうして、Coopとサブプライムローンは無縁なのか

Coopの超・差別的で、かといって法律ですらそれは守られている実態をちょこっとだけ、笑えるエピソードに変えてご紹介します。



ベル今週末のニューヨークタイムズで一番多く友人知人にメールとして転送された記事が韓国のエリート教育の現場についてでした。この記事は、今日本で決定的に欠けているものを突き付けているように感じたのはわたしだけでしょうか。


           韓国のエリート教育はここまで来ている ←click