ここだけ極秘公開! ジョンF・ケネディ・ジュニアの暮らしたトライベッカのロフト | だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

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日本からは見えにくい、知られざるニューヨークやニューヨーカーのこと、たまにプライベートなことを書いています。

こんにちは♪

今日、土曜日、NY近郊は、とってもいいお天気でした。

プリティーン6人を引き連れてハンプトンにやってきました。


 

けれど! 明日は、嵐だそうで。。。。。

 

無事、怪我も喧嘩も失望もなく、マンハッタンに帰ることができるといいのですが(^▽^;)

 

さて、今日は、いよいよジョン・ジョンのロフトでしたね~^^。


 




           

      ジョンの後ろにはジョンと付き合っていたらしいマドンナ、最近めちゃきれいになりましたね。



彼が自ら操縦していたセスナの墜落で亡くなって数日後、彼が発行していた雑誌で、うちでも定期購読していた「George」の最後の号を郵便受けに見つけたときは、いたたまれない気持ちでした。


George創刊号。おしゃれな政治関係の雑誌。雑誌名Georgeはもちろん、ジョージ・ワシントンから。



トライベッカには今もこんな感じのところあります。



ジョンは、トライベッカがまだ生活をするには不便で、

あるのは、倉庫か、閉ざされた古い工場ばかりだった94年に、

ノース・ムーア通り20番地、9階に、約2,600スクエア・フィートのロフトを購入します。
 

購入価格は、70万ドルでした。

トライベッカが注目され始めた初期の頃で、

決して安い値段ではありませんが、

まだまだお値打ちなお買い物だったはずです。

そしてキャロリンと結婚した後も、そこを引っ越す予定はなさそうでした。

彼の生活には、ショーファーやリモ、
プライベートシェフの存在はなく、
気軽にクリーニングの受け取りに行き、
近所のダイナーに朝食を食べに行く、
パーティにはアルマーニのブラックタイ姿で
自転車で乗り付けるものでした。


もしかしたら、

キャロリンがカルバン・クライン時代に知っていた

どの男たちより地味で普通な

ライフスタイルだったのではないでしょうか。



これは、ジョンのロフトではありませんが、

2階下の全く同じラインのお部屋の写真です。

              

                

ビルの外観

 


そこそこ成功しているウォールストリート勤務の同年代の男なら、

簡単に手が出る値段です。

 

けれど、当時はまだまだ不便でうらさびれていて、

わざわざここに住みたいという人はかなり稀でした。


 

五番街で長年暮らし、

どこにいくにも、母にはシークレットサービスがつく生活。

 

だからこそ、

同じマンハッタンにあって、

これ以上もないほどかけ離れたものを求めたのかもしれません。

 

尚、行き過ぎたケネディ家の家訓 へはこちらからどうぞ。

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さて、ここからは、お楽しみ♪

 

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見取り図、そして売却価格は、そちらにございます

それでは、そちらで♪ お会いしましょう。