初日の4カ所目に訪れたのは
道の駅奥永源寺渓流の里(おくえいげんじけいりゅうのさと) です。
ここの所在地は “滋賀県東近江市” ですが、道の駅は三重県との県境に近い位置にあります。
“永源寺” というのは臨済宗大本山で、1361年に創建され数多くの重要文化財を有する由緒ある寺院です。
道の駅はその永源寺を更に15分程山手に入り、永源寺ダムを越え、いくつものキャンプ場やログハウス村が点在する自然豊かな場所にあります。
竜王町の道の駅から30km、45分で到着しました。
この写真で既にお気づきだと思いますが、ここは廃校になった “旧政所中学校” をリノベーションして、2015年10月に誕生しました。
外観は学校そのものですね!
パンフレットの中にある配置図をご覧いただきたいのですが、“市役所の出張所” や、“診療所” がありますね。
私の記憶では、和歌山県の “瀧之拝太郎” というかなりの過疎地にある道の駅で、同じように役場の出張所と僻地診療所が併設されていました。
これがその診療所の入り口ですが、“永源寺東部出張診療所” と書いてあり、診療日が 「第1、第3水曜日 午前9:30~午前11:30」 という貼り紙があります。
急病の場合は対応できないけど、それでも山村に住む人たちにとっては重要な存在なのでしょう。
この道の駅は、従来の道の駅の機能に加え、地域住民の医療、行政機能まで持たせたことが大きな特徴だと思います。
こちらは道の駅にあった案内看板です。
一番右端の体育館には、“災害時避難場所” と書いてあります。
この道の駅は先ほどの機能のほかに、災害時の防災施設も兼ねていることになりますね。
駐車場になっている運動場の真ん中に 「H」 の印がありますが、これがヘリポートです。
写真を撮り漏れていたのですが、この案内図の下には、「トイレベンチの組み立て方法」 と 「かまどベンチの組み立て方」 がイラスト付きで描いてありました。
この道の駅にあるベンチは、万一の災害の時には、かまどにもトイレにもなるということです。
これがご紹介した、災害時の避難場所となる旧体育館です。
おそらくこの中に、万一の時の備蓄もされているのだと思います。
さて、道の駅の紹介に戻りましょう。
これは “休憩スペース” となっている展示コーナーで、“緑と水の教室” と書いてあります。
展示されているものの一つが、この水槽です。
ここは “渓流の里” の名前の通り、琵琶湖の源流の一つである “愛知川” が流れており、そこに生息するイワナやヤマメなどの渓流魚から琵琶湖で泳ぐフナやモロコなどが展示されています。
もう一つの展示物がこちらです。
手前にあるテーブルも展示品のひとつですが、これら木工製品です。
実はこの地は、“木地師発祥の里” と言われています。
“木地師” というのは、山にある樹木を伐りだして轆轤(ろくろ)を使って椀や盆などの木工品を作る職人のことです。
平安初期の頃、文徳天皇の皇子であった “惟喬親王(これたかしんのう)” が異母弟との争いを避けてこの地に逃れ、残りの生涯をここで暮らしたのだそうです。
その間に人々の暮らしの為に木地椀をつくることを思い立ち、また効率よく加工するために轆轤の原型を発明したのだと伝えられています。
やがて木地師たちは良質の材料を求めて全国各地に散って活動するようになりました。
ですから惟喬親王が木地師の祖神であり、この地が木地師の発祥の里となったのです。
ここが直売所である “物産・特産品コーナー兼情報コーナー” です。
それぞれの部屋が元の教室ですから、面白いですね。
無事に道の駅スタンプも押せました。
直売所の右隣が、食堂です。
ここには、永源寺ダムをイメージした “永源寺ダムカレー” や、自分で焼く近江牛100%の “東近江バーガー” など、工夫を凝らしたメニューがあります。
校舎の手前にはご覧のようなアーケードがありますが、これは木製で、“風薫る森の回廊” と呼びます。
もう一つ、テント張りの建物があり、これが “多目的棟” です。
親子連れが何組か休憩されていました。
ちなみに、下の写真の手前に見える二宮金次郎や農家のおばさんらしき人は、すべて “かかし” です。(^_^)
廃校になった校舎を利用、地域住民の為の行政や診療所の機能、万一の災害時の防災施設、そしてキャンプや登山などの観光案内拠点、伝統文化の発信基地など、最近の道の駅の傾向を網羅した特色ある道の駅だと思いました。