長崎日帰りの旅:捕鯨と隠れキリシタンの島!“生月大橋” | 全国の“道の駅”完全制覇の夢!

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全国の道の駅巡りをしています。
2006年12月に旅をスタートし、7年半を費やして一応全国制覇を達成しました。

でも、その後に新しい道の駅が次々に誕生し、全国1221カ所に達しています。
私が走破したのはその内の1204カ所ですから、まだまだ旅は続きます。

次は平戸島に渡り、更にその先にある
道の駅生月大橋(いきつきおおはし) を目指しました。





九州本土から平戸を訪れるには、“平戸大橋” を渡ります。

かつてはこの “平戸瀬戸” を連絡船やフェリーで渡っていたのですが、1977年(昭和52年)に平戸大橋が開通し、陸続きになりました。







この写真、島に渡ってすぐのところにある “平戸大橋公園” から写したものです。
橋の手前、田平側にも広い公園があり、そこからの眺めも素晴らしいものです。

この赤い橋、完成した当時は日本一の長さを誇る吊橋でした。
有料道路としてスタートしたのですが、2010年(平成22年)4月1日から無料開放されています。





“平戸島” は南北32km、東西の一番広いところで10km、人口2万1千人ほどが住む、日本で20番目に大きな島です。

1550年にポルトガル船が来航して以来、南蛮貿易の拠点として栄えてきました。

その後幕府による鎖国政策によって貿易の窓口が長崎の出島だけになってしまった為に、この地の南蛮貿易は幕を閉じるのですが、その後は平戸藩の城下町として繁栄を続けます。

南蛮貿易とともにやってきた宣教師によってキリスト教が広く布教され、その後のキリシタン弾圧の舞台ともなってゆくのです。









“生月(いきつき)” はその平戸島の更に北西部に浮かぶ島で、南北10km、東西2kmあり、7千人ほどの人が暮らしています。

この島へは1991年(平成3年)に、“生月大橋” が開通し、九州本土からも平戸島を経由して陸続きで来れるようになりました。
この橋も、平戸大橋と同じ時期に無料開放されています。







江戸時代にはクジラ漁が盛んに行われ、これが平戸藩の財政を支えていました。
ですから、生月は “捕鯨と隠れキリシタンの島” とも呼ばれているのです。

“生月(いきつき)” という名前は、かつて遣隋使や遣唐使が中国から日本に帰ってくる際、船からこの島を見て、無事に戻れたと ほっと一息ついたことから “いきつき” になったと伝えられています。





道の駅はこの “生月大橋” の真下にあります。
平戸大橋が “赤” に対して生月大橋は “青”であり、前者が吊橋構造なのに対し、こちらは トラス橋です。

“3径間連続トラス橋” としては960mという世界最大規模なのだそうです。







生月と平戸の間の “辰の瀬戸” は波が荒いですから、白い波しぶきと青い橋が実にマッチします。

この橋の完成により、生月へ訪れる観光客は1990年の46,000人から1992年の546,000人と12倍にも急増したのだそうです。
そしてその大半を県外からのお客が占めています。





周辺には公園が広がっています。
平戸は対馬海流の影響で温暖な気候ですから、南国風の樹木が立ち並んでいます。





この建物が道の駅です。









中に入ってみます。









ここは魚介類などの生ものは置いておらす、加工品だけのようです。





ここは道の駅の施設としてはシンプルですが、周辺のロケーションのすばらしさはどこにも負けないだろうと思います。






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