新自由主義下のグローバル化と古代ローマの調和主義下のグローバル化の違い




1 新旧グローバル化の違い




 アメリカを中心とする新自由主義によるグローバル化




 古代ローマを中心とする調和主義によるグローバル化




 国を失った古代ユダヤ人たちは、中世に至り、ある生き方を選んだ。商売、とりわけ金融の才があった古代ユダヤ人たちは、王族の戦費の調達で民族の命運をつないだ。暗黒時代とも言われる中世ヨーロッパは、戦乱が日常の世界である。


中世ヨーロッパの王侯貴族たちは、もはや日常と化した戦争の戦費の調達に頭を抱える毎日だった。そこに食い込んだのが中世のユダヤ人だった。中世ユダヤ人たちは、各王侯貴族達の戦費を調達する事で、王侯貴族たちの信頼を勝ち取り、その商才で、徴税の代行などもこなし、あまつさえ婚姻政策で王侯貴族の一族となる事で、その生命をつないだ。彼らは、強いものにつき、その財務を担うことで生きてきた。


しかし近世に至り、ヨーロッパは産業革命も経験し、市民の台頭するじだいとなった。


強者の財政を担い、金融と商売の才にたけ、ベニスの商人の物語にも見られるように、時として強引な取引をするユダヤ人は、時代の主役となった近世ヨーロッパ市民たちには受け入れられない存在だった。近世ヨーロッパ各国はユダヤ人排斥政策に舵を取り、ユダヤ人排斥政策を採らなかったのはドイツのみとなっていた。行き場を失ったユダヤ人達は、一挙にドイツを目指した。


しかしドイツ国民とて、ユダヤ人を歓迎していたわけではない。ただ排斥政策を採らなかっただけだった。強いものに付き、商売にたけ、時として強引な取引をする彼らは、上層の人間ならともかく、庶民や恵まれない市民には好まれる存在ではなかった。ドイツ市民達は、ユダヤ人嫌いのヒトラーに同調し、ユダヤ人排斥に動き出した。


ヨーロッパに行き場を失ったユダヤ人達は、一路アメリカを目指すこととなる。彼らの才能は、この新天地で花開く。現代に至り金融そのものが武器となった、新天地、アメリカでは、新自由主義の支配する世の中となった。戦争の質も変わり、経済戦争がモノをいう時代になり、武器を資本に持ち替えた新たな支配者達の時代、1割に満たない富裕層が資本を支配し9割の負け組みを支配する国となった。


もっと言うなら、資本を独占した者達が、ロビー活動を通じ、国や社会のルールをも書き換え、自分達に資本を集中させ、また新たなルールを支配し、さらに資本を集中させる、従来のルールをぶち壊し、資本力を持つものが新たなルールを作る時代だ。結果的に自由という無秩序な時代になる。


今や情報化も進み、国境もあいまいになり、そんな新自由主義がグローバルスタンダーダードと呼ばれる時代になった。


通貨や資本、金は人類の発明品としても最高のものだ。それを武器とした新自由主義のまえに、国境や民主主義、社会主義といった壁は無いに等しい。




 旧ラテン民族は限られた土地を城壁で囲む都市国家で暮らす民族だった。そうなると土地も家畜も限られ、あぶれてしまう男達も生まれてくる。そんな行き場の無いあぶれた男達が建国を宣言したのが古代ローマだった。


人口もなければ伴侶とする女もいない。ローマ建国以来、最初の政策は隣国からの嫁の調達だった。当然娘達を奪われた隣国とは戦争となった。始終ローマ優勢のまま停戦になると、ローマはある提案をした。隣国の住民のローマへの移住だった。


小国も小国、小国とも言えない豆粒国家。古代ローマとしては、奴隷ではなく、国を構成し国防も担う市民を手に入れなくてはならなかった。それほど古代ローマの始まりはちっぽけなものであった。隣国としてもローマの野郎共の強さは当てに出来る事は身にしみて感じていたし、一族の長老各の者は王を補佐する貴族として迎えられた。後に現実主義者とも調和主義者とも言われる古代ローマ人の、敗者をも同一化するグローバル化の第1歩だった。その理屈は、とにかく市民が欲しいという、豆粒国家としての理屈だったが、彼らは大国となっても、小国の理屈でグローバル化していった。


国家間の争いは戦争で解決した時代である。日本の戦国時代みたいなものだ。古代ローマは、日常化した戦争の中で、勝ちに勝ち、勝つと、相手国にもローマ街道を敷設し、ローマを中心とする共同防衛を国是とした。


共同防衛には2通りあった、直接兵力の供給かそれに相当する軍事費の負担であった。商売に邁進したいギリシャ由来の都市国家群は、自分達で守るより格安である軍事費を負担し、防衛をローマ人に任せると、商売に専念した。各地で払われた負担金は、すべてローマ人の懐に入ったわけではない。その金は、ローマ人以外の現地採用の兵士という公務員に給料として払われた。兵士は各国で消費活動を行い、結果、ローマのグローバル化が行われた地域の経済活性化にも寄与した。


ローマという調和主義者によってグーローバル化された地域では、ローマ街道という共通のインフラが敷かれ、ローマによる平和という概念の元、現地採用の異民族のの兵士という公務員も量産し、域内の富の再配分も割りとうまくいっていた。


それと古代ローマ人たちは、現地のルールを重視した。軍事以外のことは各地のルールにローマ人たちの方が合わせ、軍事に関しても、現地の指揮官は現地のリーダーであった者や一族に委ねる事を基本とした。


このグローバル化の目的は、パスクロマーナ、ローマによるへいわであり、自分達への利益誘導は控えめに見えた。