ひとりぼっち。 | オンリーワンの輝きを放つ私になる!〜自分史上最高に輝く私に乾杯〜

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自分史上最高の輝きを放って生きてていくと決めた紗羅のスピリチュアルブログ。自然&愛犬&ゆづ&おやつについても語ってます♪

昨日の満月もパワフルでしたね。

 

昨日の昼間に今まで溜め込んだ寂しさを父と母に

 

一気に吐き出して楽になったのに、

 

丁度満月を迎える頃、またひとのぼっちの寂しさが

 

どわーっと押し寄せて来て、心細さに泣きました。

 

あまりの辛さにマリアさまにおすがりしたほどです。

 

泣いていると石のつぶてを大勢の人から投げつけられて、

 

じっと耐えている人が視えて来ました。

 

石をぶつけられている人は全く動こうとしませんし、

 

投げつけているたち人もいつまで経ってもやめようとしません。

 

私はそんな光景に耐えられなくなって、石をぶつけられている

 

人の前に立ちはだかって石を投げている人たちを制しようとしましたが、

 

彼らは一向にやめようとはしませんでした。

 

私は怒りと悲しみを抱えながら、石をぶつけられている人の前に

 

光の壁をつくりました。

 

石を投げていた人たちは輝く壁に驚いて散っていきました。

 

今日はまたどよーんとしています。

 

ひとりぼっちの寂しさ、不安、恐怖が癒えるのには

 

もう少し時間がかかりそうです。

 

 

母と娘の仲に母親の胎内にいた時の母親の感情が

 

影響しているという記事に導かれました。

 

母親と仲が悪い本当の理由

 

こちらの記事によりますと、母親の不安は母胎を通して

 

胎児に伝わるのだとか。

 

まあ親子というのは母胎を離れてからもビシバシ

 

エネルギー的な影響を受けますから、胎内にいれば

 

なおのことですよね。

 

私が胎内にいた頃、父と母が引越した先は人家がまばらで

 

母は毎日心細い思いをしていたと何度も聞かされていたこと

 

を思い出しました。

 

私の"ひとりぼっちで怖い"という思いには、母のそういった思い

 

も重なっていたのですね。

 

母だけじゃないかもしれません。

 

エンパスっ子な私には父の寂しさも祖母の寂しさも

 

弟たちの寂しさも流れ込んで来ていました。

 

(今回の父・母・弟の悲しみも!)

 

さらに受難系インディゴだったので、他の人の

 

想念も受け取っていたかもしれません。

 

だって私の寂しさがピークに達したのはちょうど東日本大震災

 

が起きた日の前後ですもの。。。

 

すっごいしんどかったです。

 

 

大震災の被災者の中には、未だ深い苦しみの中にいる方も

 

多くいらっしゃるのですよね。。。

 

そんな中愛そのもののエネルギーである「レムリアン・メロディアス

 

・エチュード」のアチューメントのご依頼を頂いたのも

 

必然の流れだったとしか思えません。

 

ご依頼を頂いたのは9日、設定させて頂いたのは今日です。

 

ね、みごとに3.11を挟んでいます。満月も挟まりました。

 

 

大切な家族を亡くしてしまった悲しみもあれば、

 

救えなかった悲しみもあると思います。

 

目の前で生死を分けた辛い思いをされた方も多くいらっしゃる

 

と思うので、その苦しみに思いを馳せると心中いかばかりかと

 

胸が痛みます。

 

大切な命との別れを経験するとき、必ず急かす人に出会います。

 

「いつまで泣いていてはなくなった人が悲しむ」と。

 

でもその言葉は悲しむ人を更にどん底に突き落としてしまいます。

 

私もいつも急かされました。

 

大叔母をなくしたときはお通夜の夜に祖母に泣くなと言われました。

 

13歳くらいのことでした。

 

そのころほぼ感情を閉ざしていた私にとって、

 

泣くことまで封じられたのはかなりのショックでした。

 

「なんでそこまで支配されなくちゃいけないのか」って

 

腹立たしいやら悲しいやら。

 

その後何度かペットを見送りましたが、同時期にペットを

 

なくした人にまで「ペットが悲しむから云々」と言われた時は

 

すごいショックで呆然としましたし、

 

「私の気持ちはどうなるのよ!」って憤慨しました・笑

 

 

死と向き合う時間・悲しみと向き合う時間はそれぞれのもの。

 

だれも支配なんてできないのにね。

 

言っている方は慰めているつもりでも、悲しむ人の心が

 

おいてきぼりになってしまっているのです。

 

「早く、早く!」という言葉が放つもの。

 

私は今まで「悲しむだけ悲しんだらいい」と言ってくれる人に

 

出会ったことがあったかなぁ。。。

 

 

今回は誰に何と言われようととことん悲しみきると

 

決めていました。

 

それでも弟に急かされたり、モモにも急かされた

 

感じだったりで辛い思いをしたけれど、

 

もう私の時間を誰にも邪魔はさせない。

 

モモの言葉の呪縛が溶けて来て、やっと純粋に悲しみと 

 

向き合えています。

 

そんな折り、お気に入りブログのブロガーさんに

 

コメントで寄り添って頂くこともできました。

 

これがまたモモと同じネームのmomoさんという方。

 

その方もある方に寄り添って頂いて今があると

 

おっしゃっていました。

 

生まれて初めて寄り添ってもらった感覚は、

 

とてもあたたかくて幸せなものでした。

 

それが昨日のことで、今日もまたほっとする言葉に

 

出会うことができました。

 

東日本大震災で大切な人を亡くした方に向けられた

 

言葉だったけど、あったかくて安心出来ました。

 

大好きな人を亡くした悲しみをどうすればいいのか

 

亡くなった方とたくさんお話しましょう

 

 

 

あなたは今まで誰かに自分の気持ちにそっと寄り添ってもらったこと

 

ってありますか。

 

私はムチでぺちぺち叩かれまくりの46年でした・笑

 

しんどかった〜。

 

ただ寄り添う。黙って見守る。

 

って思うよりずっと難しいことなのかもしれません。

 

それとも私がたまたまそういう人に会って来なかっただけ?

 

もっともっと包み込まれる安心感を沢山味わいたいなぁ♡

 

間接的にというのは沢山経験したから、直接言葉を貰いたい。

 

色んな人から励ましの声が届く人を見ては、

 

すごく羨ましく思っていました。

 

 

今回もう一つ私を苦しめたことがありました。

 

全ては自分が作りだしている、というスピの教えです。

 

誰かにそういわれたことはなかったけれど、

 

つい何度か自分で自分をそう律してしまいそうになりました。

 

こんなときには最も残酷な言葉となりますね。

 

そういう難しいこもごもは置いておいて、

 

悲しい、寂しい、悔しい・・・等々自分のどの感情も

 

ないことにしてしまわないように、

 

ひとつひとつ丁寧に感じ、とことん浸りきってみようと思います。

 

コメント下さったすみっちさん、ありがとうございました。

 

私に「レムリアン・メロディアス・エチュード」を使う

 

機会を下さったYさん、ありがとうございました。

 

設定時に素晴らしいビジョンを視ることができたので、

 

改めてみなさんにご報告しますね。

 

沢山の悲しみが天へと還って言ったのではないかと思います。

 

ああ、そうそう、私が東大に行ったのも、浄化して欲しい

 

魂たちに呼ばれて、だったようです。

 

私自信が浄化のお役目を担ったのではなく、もっとパワフルな

 

霊能力者さんに動いてもらうための橋渡しだったようですけど。

 

あの時の精神状態では私にはとっても無理でしたしねぇ。

 

辛すぎるお役目でした。

 

私の目には桃が犠牲になったようにどうしても映ってしまうから。

 

受難系は辞めると言ったのに!!

 

(この家に呼ばれたのも同じような理由です)

 

 

どうして私たちはこんなにも沢山の悲しみを魂に刻むのでしょう。

 

何千何万と言う転生の中で、どれほどの悲しみが積み重なっていることか。

 

被災された方の悲しみも、少しでも軽くなりますように。

 

今苦しんでいる人の心が少しでも楽になりますように。