歩き方を見ると
あ、この人はダンスをしているのね
…とか、
ヨガっぽい
ピラティスっぽい
○○のボディーワークっぽい
△△のスポーツをしているっぽい
などなど
けっこうあるものです。
(私も昔、反り腰全開だった時は、“ダンスしてるでしょ”とよく言われました)
“きっとあの人は、あれやってるよね!”
“あの人は、○○をしているっぽい!”
…と街で思ったりすることありませんか?
あれをしている人は
いつも頭が風船のようにぷわーんと歩いている
…とか
これをしている人は
いつも足指を上げやすい
…とか
本当は、からだを心地良くするものであっても
それが日常の歩き方の新たな癖を作ってしまっている時、
私としてはちょっと切なくなってしまったりもします。
何をするにしても
それをするにあたり便利なからだの使い方というのはあるし
そういう癖はついてくるもの。
そして、それが上達につながることもあったりするんだけれど
ただ、それを日常の自分の生活でもやるかどうかは別。
日々の動作が、
自分がしているスポーツや運動や趣味に
邪魔されすぎてはいませんか?
邪魔するのが悪い訳ではないけれど
それに気付いていないことは大変なことです。
誰かにこう歩くんだよ、と言われたまま、
ただそうやって歩いていませんか?
要チェック☆
歩いている時に、
どこかに余分な力を入れていないか。
歩くことで体が整う感じがあったりするのか。
いろいろ感じてみてくださいね☆
<おまけ>
このことを書こうと思った時に
ロルフィングっぽい歩き方ってどんなんだろう?
…と考えてみました。
上にあげたような“~っぽい”歩き方とか体って
グループでいるとすごくわかるんですよね☆
“これは、これをしているグループだ”とわかりやすい
ロルファーがたくさんいる時、
それを感じるかというと、
うーん、外観的にはあまりわからないかも。
強いて言えば、
からだが自由な感じがあったりするくらいかな。
ムリして姿勢をつくっている人は少ない気がします。
からだが自由で、
背骨も地面から伝わる力を通してて
頭からその力が抜けている感じの
やわらかさの中に軸がある人をもし町中で見かけたら
ロルフィングっぽいって感じるかも☆
(もしくは、“おお、この人はロルフィングいらないね!”とか)
でも、それはイメージというか
起こっていることであって
“歩き方”ってわけではないし、
そう歩けている時、
それでもちゃんと個人差というのは出てくるもの。
ロボットじゃないから、
みんな同じなんてありえませんもんね。
なんか、そんなことを考えながら
ロルフィングはあんまり“こうするべき”というのがなく
本人ベースで、本人が探求しながら
その人が心地良くいれる場所を見つけていくお手伝いをするだけだから
そういう“ロルフィングっぽい”って動きがないのかな、なんて。
いろいろ思いが広がったのでした。
あ、この人はダンスをしているのね
…とか、
ヨガっぽい
ピラティスっぽい
○○のボディーワークっぽい
△△のスポーツをしているっぽい
などなど
けっこうあるものです。
(私も昔、反り腰全開だった時は、“ダンスしてるでしょ”とよく言われました)
“きっとあの人は、あれやってるよね!”
“あの人は、○○をしているっぽい!”
…と街で思ったりすることありませんか?
あれをしている人は
いつも頭が風船のようにぷわーんと歩いている
…とか
これをしている人は
いつも足指を上げやすい
…とか
本当は、からだを心地良くするものであっても
それが日常の歩き方の新たな癖を作ってしまっている時、
私としてはちょっと切なくなってしまったりもします。
何をするにしても
それをするにあたり便利なからだの使い方というのはあるし
そういう癖はついてくるもの。
そして、それが上達につながることもあったりするんだけれど
ただ、それを日常の自分の生活でもやるかどうかは別。
日々の動作が、
自分がしているスポーツや運動や趣味に
邪魔されすぎてはいませんか?
邪魔するのが悪い訳ではないけれど
それに気付いていないことは大変なことです。
誰かにこう歩くんだよ、と言われたまま、
ただそうやって歩いていませんか?
要チェック☆
歩いている時に、
どこかに余分な力を入れていないか。
歩くことで体が整う感じがあったりするのか。
いろいろ感じてみてくださいね☆
<おまけ>
このことを書こうと思った時に
ロルフィングっぽい歩き方ってどんなんだろう?
…と考えてみました。
上にあげたような“~っぽい”歩き方とか体って
グループでいるとすごくわかるんですよね☆
“これは、これをしているグループだ”とわかりやすい
ロルファーがたくさんいる時、
それを感じるかというと、
うーん、外観的にはあまりわからないかも。
強いて言えば、
からだが自由な感じがあったりするくらいかな。
ムリして姿勢をつくっている人は少ない気がします。
からだが自由で、
背骨も地面から伝わる力を通してて
頭からその力が抜けている感じの
やわらかさの中に軸がある人をもし町中で見かけたら
ロルフィングっぽいって感じるかも☆
(もしくは、“おお、この人はロルフィングいらないね!”とか)
でも、それはイメージというか
起こっていることであって
“歩き方”ってわけではないし、
そう歩けている時、
それでもちゃんと個人差というのは出てくるもの。
ロボットじゃないから、
みんな同じなんてありえませんもんね。
なんか、そんなことを考えながら
ロルフィングはあんまり“こうするべき”というのがなく
本人ベースで、本人が探求しながら
その人が心地良くいれる場所を見つけていくお手伝いをするだけだから
そういう“ロルフィングっぽい”って動きがないのかな、なんて。
いろいろ思いが広がったのでした。