フランスの歴史18 常備軍と山賊 | ろくでなしチャンのブログ

フランスの歴史18 常備軍と山賊

           フランスの歴史18 常備軍と山賊

 

 

職業軍人

 

 フランスの歴史には王位継承権に関する『サリカ法』がよく登場します。ゲルマン的慣習法であり、女系継承を否定しており、女王の存在はあり得ません。相続に関しても女性の相続権は認められなかったようです。男子がいない場合は娘の配偶者や孫(男子)に相続権(王位や爵位の継承)があったようです。

 それでは長子相続になるかというと事情は違ったようです。とくに農村部では末っ子が相続人となるケースが多かったようです。自由農民達の所有する耕作地は小規模なものが多く、子だくさんの家庭では生活が楽ではありません。そこで一定の年齢になった男子は家を出ることが多かったとされます。結果的に末っ子が畑を相続したようです。

 それでは、大志に燃え?家を出た青年の行き先はどうなるのでしょうか。

都市に行ってもギルドが存在しますので手工業に就くことは出来ませんし、商売を行うにもギルドのガードが存在します。

 結果的に職業軍人になるか野盗になるくらいしか道は残されていなかったのです。

 

 

傭 兵

 

 中世後期には、傭兵の需要が増します。富裕な貴族や都市は即戦力になる優秀な兵力を傭兵に求めました。傭兵隊長は下級貴族の次男や三男がなることが多かったようです。
 雇主は傭兵隊長に給金の一部を前払いし、戦闘によって失われた馬や、兵士の身代金などの支出は雇主の負担となります。また、大規模な戦闘前には、傭兵達に士気高揚のため金や、現物支給が行われました。

 このような傭兵も規模は様々で、数人の小集団から数百人の騎兵や歩兵を有する軍団まで現れます。雇用形態は数ヶ月程度の非常時のみの雇用が一般的でしたが、優秀な傭兵の場合は待機契約まで存在したようです。

 

 傭兵隊には特殊な戦力を有するグループも現れます。クレシーの戦い(1346年)でフランス軍が雇った傭兵はイタリアのジェノバ弩弓兵2千人です。  

 当時のイタリアは地方都市間の争いが多く、攻城戦に威力を発揮した弩弓(クロスボー) 兵が多かったことによります。パヴィスと呼ばれる防御用の大盾を背中に担いで行動したようです。軍団としての統率力もあり、戦死者の少ない事でも知られていましたが、クレシーの戦いでは味方である筈のフランス軍騎士の無謀な戦略で大きな犠牲を強いられました。

 また、スイスの槍兵(パイク兵)は密集隊形で突撃騎兵や歩兵への防御に優れており、フランス軍で雇うことが多かったようです。

 

常備軍


 1360年代に常設軍を設置しますが、財政的な問題から長くは続かなかったようです。1436年にタイユ税の恒久化が決まったことにより、財政基盤を確立したシャルル7世(在位1422年~1461年)は、1439年に勅令軍隊~コンパニ・ドルドナンスとも呼ばれた常設軍を設置し没落騎士達を採用します。


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 シャルル7世は1445年にロレーヌ公の要請を受けフランス北東部のロレーヌ遠征後、傭兵の一部を常備軍(勅令隊)として再雇用します。

勅令隊は装甲騎兵、剣持ち、騎士習い、小姓、弓兵2名からなる6名で1組の槍組(ランス)が基本とされ、100組の槍組「ランス」が15部隊編成されたと言いますから総勢9,000名の常備軍が出来上がったことになります。因みにランスは「フリーランス」の語源のようです。部隊編成は騎士や歩兵であり、甲冑や武器は支給されたようです。

 

 さらに、1448年には国民弓兵隊が編成されます。全国の各教区に1名の割合で平民が採用され、兵員数は8,000名前後と言われています。

 但し、国民弓兵隊は一定の訓練を受けるものの、常備軍ではなく、非常時に招集がかけられるもので平時は家業に就くことが許され、軍役期間中はタイユ税が免除され勿論給料も支給されました。

 装備は基本的に教会の教区が負担しますが、自前でも勿論可です。


 軍編成は主力が常備軍(勅令隊)、国民弓兵隊、傭兵となり、他に都市の民兵が加わることもありました。かっての花形封建騎士部隊は予備役とされてしまいます。

 

 

山賊対策

 

 常設軍の設置は対イングランドとの百年戦争を有利に進めはしますが、常備軍の設置は山賊対策だったのです。

 先に傭兵に付いて述べましたが、戦が終わると解雇されフリーターになってしまうのです。遠くの地から戦場を目指して傭兵として参戦するものの短期で解雇されてしまうと帰るに帰れない状況に於かれます。そこで、手慣れた騎行の略奪行為のみを行う山賊(野盗行為)稼業に転身することとなります。
 つまり、平時は山賊・盗賊で生計を立て、戦時に封建領主等の募集する軍隊に応募して傭兵になるものです。従事期間からすると本業は山賊、アルバイトで傭兵といった感覚なのでしょう。

 

 都市の商工業者にとっては、治安の維持が急務であり、山賊対策として常備軍を設置するよう市民の側から要望によって軍隊が出来たようです。

 商人ギルドが武装した隊商を組んだり、テンプル騎士団の創設目的が巡礼者を山賊から守るためであったことを考えると、山賊さんの大活躍の時代だったのかもしれません。

 ローマ時代の街道(軍道)が廃れ、教会教区を繋ぐより安全な巡礼道が栄えたのも山賊による被害を免れるためだったとも言われます。

 

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