ワインボトルとコルク栓 | ろくでなしチャンのブログ

ワインボトルとコルク栓

                      ワインボトルとコルク栓               

 

 

 フランス語でブテイユ~Bouteille と呼ばれるワイン・ボトル。

最近見かける紙パックやプラスティック・ボトルは御退席願って、ガラス瓶というこで・・・・。

 

 ワインボトルはガラス製が定番。ガラス瓶は容器として、耐熱性、耐腐食性、耐摩耗性、表面硬度の強さ、熱伝導率の低さ等の特性がある優れモノ。

 

 そんなガラスそのものの歴史は古く、紀元前4000年頃からエジプトやメソポタミアで造られていたとされており、少なくとも紀元前2000年頃のメソポタミア(現在のイラク)におけるアッシリア王国の石版や粘土板に「くさび形文字」で記されたガラス製法が残されているそうです。もっとも当時は不透明なガラス玉やガラスの塊程度のものであり、宝石類の扱いだったと考えられているようです。

 ガラスは当初、石英が粉々になったものや結晶化されていない砂状の珪砂(けいさ)~火成岩の風化により石英が主成分鉱物として残留した堆積物~や珪石(けいせき)を主原料に、植物の灰に含まれる炭酸カリウムを融解して造られる『カリガラス』が造られたようです。しかし、灰を集めて炭酸カリウムを抽出するのは大変だったようで当時は貴重品扱い。

 

 

 このカリガラスもイギリスの産業革命中期以降、炭酸ナトリウムから作られるソーダ石灰ガラスへと変わっていくのだそうです。ここらへんは私にとっては難解不明な事案ですので大幅に省略。

 

 紀元前1000年頃には、コア・テクニックと呼ばれるガラス製品製法が使われ始めたようです。これは耐火粘土を芯として、芯の周りに溶けたガラスを紐状に巻き付けて造られたようです。勿論均一な品質は望むべくもありません。

 

 紀元前800年頃の古代アッシリアの遺跡からは透明ガラス製の香油瓶や軟膏瓶が出土していますので、このころから透明ガラス製の容器が作られたようです。

 

 ワインの保存・運搬用器具としてはトロフィーの原型とも言われる、底の尖ったアンフォラ(amphora)が長らく使われていたようです。エジプトにおいては、このアンフォラの口を泥で封(おそらく草等で覆いその上に泥?)をし、印章(木片に彫り込まれた記号)を押していたとされています。

 

 前述のように、ガラス容器は古くから使われていたようですが、ワインとの関わりとなると現在の用法とは異なっていたようです。
 ローマ帝国では、ワインを入れるガラス容器(カラフ)としては使われたようですが、あくまで食卓や飲み屋でワインを注ぐ容器としてのものであり、保存用容器としては使われていなかったようです。

 

 そもそも酸化により香りや味が劣化?するという認識がなかったとする記述が多いのですが、エジプトではヴィンテージらしき数字が刻印されたアンフォラが出土しているとのお話もあり、意外と熟成という概念が認識されていたのかも。真実はピラミッド同様謎のまま

 

 飲料、運搬容器として盛んに用いられるようになったのはガラス瓶の製造技術が発展する17世紀になってからのようです。

 

 イギリスのジェームズⅠ世が1625年3月27日に出した布告が残されており、『賛沢品のために、必要なものや身を守ってくれるものを破壊してはならない。ガラス工場による最近の木材の浪費は、はなはだ許しがたい。言うなれば、このような宝を失うことに比べれは、陶器で飲み、格子窓で生活していた昔に時代を戻すことの方がまだ罪が軽い。それ故この王国内では何人もガラスを溶かし、造り、また溶かしてつくらせるために、いかなる木材をも用いてはならない』と記述されているようです。

 

 ガラスを作るためには、当初摂氏1800度もの高温が必要な時代から、ソーダ石灰ガラスへと製法の転換が図られ、摂氏1000度位で作ることができるようになったとはいえ、大量の木材が燃料として使われたことから発せられたものと考えられますが、少なくともこの時代辺りからガラスが瓶や窓ガラスとして大量に使われていたことを伺わせます。

 このため、木材に変わる燃焼材を石炭に求めたのがイギリスのロバート・マンセル卿と言われており、ガラスは石炭の煤の為、茶色や暗緑色、又は黒っぽいガラス瓶となり、光による劣化を防ぐ効果が増し、さらに強度も増し、ワイン容器としては理想的な姿に変貌していきます。
 

 また、同じく1630年代にはイギリスのディグビーなる人物が、従前より分厚く、ずっと重く、ずっと黒い瓶を造ったとされており、安価だったこともあり急速に広まったようです。

 彼の造った瓶は球形で、先細りの細長い注ぎ口があり、現在の容量では1.14㍑にあたり、注ぎ口に栓を繋いでおくための首輪や紐輪が付けられたようです。

 底には、瓶を造るときの吹き竿の取付跡である瓶の上げ底(キックアッブ)やパントと呼ばれる隆起があリ、ワイン容器としての形状はアンフォラや玉ねぎ型、キ〇玉袋型から変貌し、安定して立つようになります。現在の形状に落ち着いたのは1790年代と言われているようです。

 

 前述のように、当時のワイン・ボトルには、注ぎ口に栓を繋いでおくための首輪や紐輪が付けられたとされていますから、栓が使われていたことは明らかです。

 

 さて、本日の主題であるワインボトルの栓にようやく辿り着いたようです。当時の栓としては3種類あったようです。

 

 1つは樫などの堅い木を削って栓とした。

 2つ目はコルク(1650年頃からと言われています。)が使われた。

 3つ目はすリガラスの栓が使われていたと言います。

 

 1630年頃にガラス瓶が大量生産されるようになり、ワインボトルとしても急速に広まりますが、栓の変化にはしばらくの時間がかかったようです。

 

 1730年頃に、コルクで栓をしてワインを横に寝せて置いておく保存法だとワインの味がよくなることをワイン愛好家が発見したようです。

 

 この熟成と言う概念が認識され始めてから、栓に対して気密性が求められます。樫の木で作られた栓には封蠟がなされ、すリガラスの栓は1本1本のボトルの口に合わせ、金剛砂や油を使って磨かれます。当然他のボトルへの流用は出来ないこととなり、高価なものとなりますが長期間の密封状態は保たれたとされています。

 このすりガラス製の栓は、1820年及び1825年のシャトー・ラフィットに使われた記録があるようです。

 ところで、ワイン・ボトルに栓が登場するまでの間、ワインボトルはどのように使われていたのでしょうか。実は少量の油(オリーブオイルと思われます。)が加えられたようです。当然油は表面に浮くこととなり一定の酸化防止作用も生じたと思われ、ごみや塵からワインを守ったようです。

 当然のことながら飲用の際には油は捨てることとなりますが、この油が完全に取り除かれたかの確認作業が必要となり、この確認作業が儀式化され、ホストティスティングとして現代に残ったとする説もあるようです。

 

 ワインコルクについては、スペインへの巡礼者達が、巡礼先でコルクに出会い、やがて水筒の栓として利用され始めたのが端緒となり、ワインボトルの栓としても利用され始めたというのが定説のようです。

 

 ワイン・ボトルに栓としてコルクが使用され初めますが、不便な問題が発生します。きつく打ちこまれたコルク栓をいかにコルク屑がワインに入らないように抜くかと言う問題です。

 

 コルク栓が普及したのが先なのか、コルク・スクリューが発明されてコルク栓が普及したのかは不明のようです。

 コルク・スクリューは誰が発明したのかは定かではないのですが、イギリスのN・グリューなる人物が1681年に紹介したピストル内の不発弾を引く抜くための鉄製のネジが原形であろうとされているようです。

 「瓶ネジ、ボトル・スクリュー」と呼称されていた器具は1720年の文献に「コルク抜き」として登場します。

 等の記述があり、極端な説ではコルク抜きが出来たからコルクが普及したとするものもあります。

 

 しかしながら、上記のコルク&コルクスクリュー同時普及説は、現在のように密閉性を高めるためにきつく打ち込まれたコルクを前提としてのお話だと思います。

 前述の水筒の栓として利用されたのは、当然コルクは抜くために上部は飲み口よりも上に出ていた筈ですし、シャンパンのコルク栓も昔から手で抜けるようになっています。

 当初は、形状はともかくシャンパンの栓のように抜くために飲み口より突起したコルク栓が使用され、やがてコルク抜きが登場し、長期熟成のためにきつく打ち込まれるようになったと私は推測しているのですが、勿論真実は不明です。 

 

 そんな訳で?今日は大晦日なので、ワインブログの1年の栓をしたいと思います。

 

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