パ リ 対 決 | ろくでなしチャンのブログ

パ リ 対 決

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 1976年、アカデミー・デュ・ヴァン創始者スティーヴン・スパリュアが主催のブラインド・テイスティング会において、無名のカリフォルニアワインが、バタール・モンラッシェ、ムートン、オー・ブリオンといった最高級フランスワインを負かしたとの紹介文をご覧になった方は多いと思われます。

 スティーヴン・スパリュアは、パリで酒屋、カーヴ・ド・ラ・マドレーヌを買収して、高級ワインを扱うワイン店を経営し、ワイン・スクールを始めていたようです。現在でも続いている「アカデミー・デュ・ヴァン」であり日本でも営業が行われているようです。

 1976年は、アメリカ独立200周年に当たる為、面白そうな企画を考えていたところ、カリフォルニア産のワインとフランスワインを飲み比べるという企画を思いつきます。

 ここで触れておかなければならないのは、当時のカリフォルニアワインの状況です。1960年代半ばには、ストーニー・ヒル、ハンゼル、リッジくらいしか見当たらなかったワイナリーも、1960年代後半から1970年代にかけては高品質ワインの生産を企図するワインナリーがぞくぞくと立ちあげられている状況下にあり、かのモンダヴィのワイナリー設立も1966年です。

 当時、年間2万ヘクタールのペースで葡萄畑が作られ、カリフォルニアだけに止まらず、ソノマ郡、メンドシーノ郡、サンフランシスコ湾南部まで及んでいたといわれます。当然新興ワイナリーは葡萄栽培や新しい醸造技術の導入に積極的に取り組んでいました。

 

 後にパリ対決と評される試飲会も、主催者であるスティーヴンにすればワイン店とワインスクールの宣伝位にしか考えていなかったようであり、カリフォルニア・ワインの優秀さは知ってはいたものの、どこまでフランス・ワインに迫れるのかと言った程度だったようです。

試飲会であるイベントは、

○赤ワインと白ワインをそれぞれ10本ずつ選び、審査員たちは

 ブラインドで試飲し点数を付ける。
○赤ワインと白ワインは、カリフォルニア・ワインとフランス・ワインとする。
○ブドウ品種を揃え、赤はカベルネ・ソーヴィニヨン、白はシャルドネ。

○試飲本数は、赤白それぞれカリフォルニア・ワインが6本に、

 フランスワインが4本。

 と決められます。当時ブライド比較ティスティングはポピラーなものではなく、この試飲会が先駆け的役割を果たしたと評する方もおられるようですが、一般的に知られていなかったという事であり、ワインの専門家にとっては、当然だったようです。

 カリフォルニア・ワインの本数を多かったのは、少しでも健闘してほしいとの配慮でもあったようです。

 イベントの審査員はそうそうたるメンバーを集めることに成功したようです。後に彼らは窮地に追い込まれることになるのですが。

 

 オデット・カーン(ワイン雑誌ルヴェ・デュ・ヴァン・ド・フランス編集長)

 クロード・デュボワ・ミヨ(グルメ雑誌ヌーヴォー・ガイド誌販売部長)

 オーベール・ド・ヴィレーヌ(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ・オーナー)

 ピエール・タリ(シャトー・ジスクール・オーナー、

             ボルドー・グラン・クリュ協会事務局長)

 ル・グラン・ブェフェール(三ツ星レストラン)オーナー

 ジャン・クロード・ヴリナ(パリの三ツ星、タイユヴァンのオーナー)

 レイモン・オリヴィエ(パリの三ツ星、ル・グラン・ヴェフールの

                              オーナー・シェフ)
クリスチャン・ヴァネケ(パリの三ツ星ラ・トゥール・ダルジャンの

                              シェフ・ソムリエ)
 ピエール・ブレジュー(AOC委員会の統括検査員)
 ミシェル・ドヴァズ(アカデミー・デュ・ヴァン講師)


 まさに、フランスのワイン業界を代表する重鎮(ミシェルを除き)たちでした。対してプレス関係者は何処も相手をしてくれませんでした。この点が当時のフランスにおけるカニフォルニア・ワインの置かれていたポジションを明確に表しているものと思われます。

 

 実は審査員にはカリフォルア・ワインとフラン・ワインとの比較ティスティングについては触れず、単にカリフォルニア・ワインのティステングとして依頼しており、マスコミに対しては正確に告げなければならず、比較ティスティングの旨お知らせするのですが、最初からニュース・バリューがないと判断されます。アメリカ、カリフォルニアのワインとフランス・ワインを比較すること自体がナンセンスと判断されたようで、「茶番にすらならないイベント」と言われたとか。
 そこで、アカデミー・デュ・ヴァンの生徒でもあった、米国『タイム』誌のパリ特派員を拝み倒して取材をしてもらった様です。

 

 1976年5月24日、パリのインターコンチネンタル・ホテルの中庭で行われ、ワイン瓶は布で覆われ番号が付されていました。ティステングに先立ち、カリフォルニア・ワインの他にフランス・ワインも含まれている事を審査員に初めて告げられますが、審査員達からは何らの異議申し入れもなされませんでした。

 初めに白ワインがグラスに注がれ、審査員たちは当時の採点法で一般的だった20点法により採点を始めます。審査員達はいずれもリラックスした様子で試飲しながら、「これはまちがいなくカリフォルニアワインだ。香りがまったくないからな」と、審査員の一人が評したのは1973年産のブルゴーニュワイン、バタール・モンラッシェであり、「ああ、やっとフランスへ戻ったな」と、三ツ星レストラン グラン・ヴェフールのオーナーが嘆息をついたとされるのは、ナパ・ヴァレーのシャルドネだったと言われています。

 白の試飲が終わり、集計がなされ結果発表は白赤両方の試飲が終わってから、行う予定でしたが、赤の試飲準備が、ホテル側の不手際で遅れたため主催者はやむなく赤の試飲の前に、白の結果を発表します。

 1位は、シャトー・モンテレーナというカリフォルニア産のシャルドネ。ブルゴーニュの一級品を並べた筈なのに。審査員に動揺が起こり、会場からは驚きの声が上がります。

 

 つづいて、赤の試飲が始まります。審査員の動揺も続いた様で、ナパ・ヴァレーのカベルネ・ソーヴイニョンを評して「間違いなくボルドーの1級だ、これこそが、フランスの壮麗さの証左である。」と評したとされています。結果は、

1.スタッグス・リープ・ワイン・セラーズ・カベルネソーヴィニョン

  1973年(127.5点)、セラーズのファースト・ヴィンテージで樹齢3年

2.シャトー・ムートン・ロートシルト1970年 (126点)

3.シャトー・オー・ブリオン1970年 (125.5点)

4.シャトー・モンローズ1970年 (122点)

5.リッジ・カベルネ・ソーヴィニュン・モンテ・ベロ1971 (105.5点)

6. シャトー・レオヴィル・ラスカーズ1971年 (97点)

7.Mayacamas Cabernet Sauvignon 1971 (89.5点)

8.クロ・デュバル・カベルネ・ソーヴィニョン1972 (87.5点)

9.vHeitz Cellars Cabernet Sauvignon Martha’s Vineyard

  1970 (84.5点)

10.Freemark Abbey Cabernet Sauvignon 1969 (78点)

 

 この結果に対して様々な評論がなされていますが、審査員たちは皆、カリフォルニア・ワインについて全く知識が無かったと言われています。明らかに世界最高峰のワインはフランス・ワインであるとの確信に満ちた思い込みがあったものと思われます。

 まずは先入観として、香り立つものがフランス産であるとの認識があったものと思われます。特に赤については、イタリアや南仏産ワインのようにアルコールが高く、濃厚なワインに違いないとの思い込みがあったものと思われます。結果的に、快活で明快なカベルネの風味を持つワインがフランス・ワインであり、それらのワインに高得点を付けたものと思われます。

 審査員たちはあわてふためきます。フランス・ワインの権威者たる地位を得ている自分たちが、アメリカのワインに対し高得点を付けたことが明るみに出たら、己の地位が危なくなります。事実、結果は大々的に報道されさまざまな批判、中傷を受ける事となります。審査員のワイン誌の編集長オデット・カーンは、結果発表と同時に自分の採点表を返すようにと主催者にくってかかったと言われています。要求は拒否されることになるのですが。


 ともあれ、1976年に試飲されたボルドーワインはどのようなものだったのでしょうか。1970年或いは1971ヴィンテージですから、リリースされてから僅か3年程であったものと思われます。用意されたものはいずれも早飲みタイプではありません。現段階における批評を例によってパーカー評をみてみましょう。

 

ぶどう シャトー・ムートン・ロートシルト1970 PP90

 ばらつきのあるワインであり、純粋な神酒になることもあれば、角のある、生硬な、恐ろしく硬くてタニックなワインになる事も有った。試飲したワインは、デキャンタした時には査定不能だった。硬くて、頑強な、足を踏み込めないスタイルをしていたためである。だが、ほぼ8時間後、ワインはとてつもない開き方をしていた。甘いカシス、煙草、ミネラル、エキゾチックなスパイスの香りの古典的なブーケを見せ、豪勢な、フルボディの、厚みのある、ジューシーなワインとなっていたのである。今回のワインなら、長時間デキャンティングしておけばこれ程並外れた成長が見られると言う説得力のある議論もできるだろう。このわいんには清澄期間の大部分を通じてずっと当惑させられてきたが、今回の1本で安心した。間違いない。このワインはムートンのカベルネ・ソーヴイニョン比率の高さのせいで、締め付けられている様な、硬い、度量のせまい期間を過ごしたのだ。飲み頃の高原部に入ったが、この時代の多くのワインにふつうにみられる荒削りのタンニンを保持している。最終試飲2002年8月 

 1970年ポイヤック・ベストワイン

 

ぶどう シャトー・オー・ブリオン1970年 

古いヴィンテージの評価 

 1966年から1974年までのオー・ブリオンの成績は、1975年から2002年までの実績から推測されるものに比べるとはるかに成功していない。1970年(85点 最終試飲1996年6月)は、常に控えめな、いささか単刀直入なワインで、隠そうとしても隠しきれない芳香はあるが、複雑さや、深み、強烈さはあまりない。

 

ぶどう シャトー・モンローズ1970年 1970年サン・テステフ・ベストワイン

古いヴィンテージの評価

 1970年(92点)は古典的で、エンジン全開で、重々しいワインである。

最終試飲予想 1994年頃

 

ぶどう シャトー・レオヴィル・ラスカーズ1971年

古いヴィンテージの評価

 1970年代前半はおおむねがっかりさせられるものだった(1970年がそうである)。

 

ワイン 1970年

 現代の豊作年で初めて高品質と収穫量の多さが一体となった年。ボルドー中が均一で安定したヴィンテージであった。どのアペラシオンも最高品質のワインの分け前にあずかることが出来ている。夏から初秋にかけての天候は完ぺきだった。雹もなければ、びしょぬれになるほどの土砂降りの週もなく、霜もなければ、気力を萎えさせるような洪水もない収穫期だった。万事がうまくいった珍しいヴィンテージの一つで、ボルドーの人々は、かってみた事が無い、最大級の、最も健康的な収穫が出来た。

 

ワイン 1971年

 6月の開花がおそまつでメルローの収穫がかなり減ったため、小規模なヴィンテージだった。収穫が終わった時点で、収穫は巨大な収穫となった1970年の40%減だった。1971年のワインには色の深みや、凝縮感、タニックなバックボーンが欠けていたのだ。メドックでは玉石混合のヴィンテージだった。 

 以上の点を見ると、1970年のメドックワインは品質が良いものであったと思われます。1971年のラスカーズは点数が示すように、少なくともビッグ・ヴィンテージでは無かったようです。
 

 

 赤ワインの試飲結果について、得点差が小さかったことに対して議論が起こります。1位のスタッグス・リープの得点は127.5点で、シャトー・ムートンとは1.5点差、シャトー・オー・ブリオンとは2点差しかありません。また、スタッグス・リープを1位にしていたのが、9人いる審査員のうちで1人だけでしたが、シャトー・オー・ブリオンを1位とした審査員は2人であり、審査員の3分の1はシャトー・オー・ブリオンかシャトー・モンローズを1位としていたと言います。評点が20点方式であり合計点差は僅かですがカリフォルニア・ワインが1位といった結果のみが独り歩きし始めることとなります。

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 当然ヴィンテージは違いますよ。 

 

 

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