シャトー・ディケム 貴腐の伝説 | ろくでなしチャンのブログ

シャトー・ディケム 貴腐の伝説

            シャトー・ディケム 貴腐の伝説

 

 

 第三書館発行「とっておき ワインと洋酒の物語」 藤本義一著(有名人と同一同名のソムリエ) を読んでいるとシャトー・ディケムのお話が載っていました。物語の要旨は、1840年にシャトー・ディケムにおいて収穫期に使用人のストライキがあり葡萄を収穫すること出来なかった。当時のディケムは凡庸な白ワインを作っていたシャトーであった。

 収穫出来なかった葡萄は畑で萎んでしまった。それでも収穫してなんとかワインにしてみた。するとどうでしょう・・・・。と言うお話です。

 

 創作なのか実話なのか不明ですが、1840年頃のフランスはどのような時代なのか調べてみると、1830年7月には7月革命が起き、1831年から1834年にはパリやリヨンで暴動が発生しており、1840年3月にはパリで6万人の労働者のストライキがあったようで、確かに王政打倒の動きや階級間闘争があったようです。とすると一般に言われているシャトー・オーナーが旅行に行き、収穫の指示を出し忘れたとする説(真説ではないと思われる。)より時代背景を考慮した話ではありますね。

 この時代シャトー・オーナーは葡萄畑を管理人にまかせており、自分の葡萄畑を見たことも無い、といったことがあったようです。

 

ドイツの貴腐

 

 ところで、シャトー・オーナーが旅行に行って収穫の指示を出し忘れたとする説は、ドイツ、ライン河流域の真ん中当たり、ヨハニスベッグ村のシュロス・ヨハニスブルグ醸造所に伝わる話が変化したものと思われます。

 

 この醸造所は1090年創設という歴史ある醸造所であり、元々はシトー派の修道院でした。 この醸造所には「伝令者の像」なる記念碑が建っているくらいですから昔からの言い伝えなのでしょう。

 

本来の話は次のようなものです。

 

 当時(いつの時代か不明なので、ワンス・アポンナ・タイムと言うことで。)葡萄の収穫には修道院長の許可が必要であったため、遠隔地にいた本院の修道院長の許可証を携えた伝令者の少年がヨハニスブルグに向かったのですが、途中山賊に捕まってしまい許可証を届けたのは数日の後であった。

 たまたまこの年は晩秋も早かったため、葡萄樹は既に干しあがり白い黴も生えていた。しかし、捨てるのは勿体ないと思い醸造してみると・・・・。

 

 このお話の若干変化形が、かってドイツでは葡萄の摘み取り作業は国王の発行する収穫許可証が必要であり、例年より晩秋の早かったこの年、許可証が届いたころには・・・・以下同じ。

 

 この若干変化形では国王の許可証となっていますが、修道院がワイン作りをしていたとすれば修道院長の説の方が説得力があると思われます。葡萄収穫に際しては収穫人は教会の管理する葡萄園の収穫に先に付かなけばならず、教会の収穫が終わった後初めて一般の葡萄園の収穫作業に付くことが出来、一般の栽培家の収穫時期は、教会の鐘で知らされていたと言う位、教会の権限が強い時代背景でしたから。

 

オーストリアの貴腐

 

 またまた、ところで、世界最古の貴腐ワインとして証明すべき史料が存在するのは、オーストリア ブルゲンランド州のドンナースキルヒェン村~Donnerskirchenのグルーバー家がトロッケンベーレン・アウスレーゼ~Trocken~乾燥した、Beeren~ちいさな実、auslese~選び抜かれた。略してTBA を1526年に作ったとの記録があるそうで、醸造所はルタワイン~Lutherwein。

 

 オーストリアでのお話は次の通りです。オーストリアとオスマントルコ軍が争っていたころ、トルコ軍に攻められたこの地方のワイン栽培者たちは山奥に逃げました。

 冬が近づいたためトルコ軍は撤退したので、遅まきながら葡萄を収穫しようと思った栽培者の目に映ったのは、白い黴の生えた干からびた葡萄だった。それでも勿体ないと思い・・・・・・。

 

 世界三大貴腐ワインと言えばハンガリーのトカイがありますが、トカイの逸話は調べることができませんでした。ちなみにトカイでは17世紀には貴腐ワインが造られてていたようです。

 
 冒頭ディケムの話に戻ると、1593年にソバージュ・ド・イケムがシャトーを取得し、以後1900年まで所有しており、1785年にソバージュ家の娘ジョセフーヌがルイ・アメデー・リュル・サリュース伯爵との婚姻に当たりシャトーを持参金としたので以後サリュース家のものとなっています。

 エチケットに、Chateau d′Yquem~シャトー・ディケム、 その下に Lur Saluce~リュル・サリュース との表記はこの点を表しているものでしょう。そこで、ディケムの収穫の指示を出し忘れたのはサリュース伯爵(公爵説も)だとされています。 

 

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