CH ムートン・ロートシルト ダブル・エチケット | ろくでなしチャンのブログ

CH ムートン・ロートシルト ダブル・エチケット

ぶどう  Chateau Mouton Rothcild

         シャトー・ムートン・ロートシルト

                                                                      1級 PP1級


 

ダブルエチケット


 時は1924年、バロン・フイリップ・ド・ロートシルトは全てのムートンのシャトー元詰めを実施しました。この記念すべきヴィンテージのエチケットをパリ時代の友人でもあるキュービズム派の画家、ジャン・カルリュに依頼したのです。出来あがったエチケットは迫力ある牡羊が5本の矢とともに描かれています。ところが、ワイン商達はこのようなエチケットでは販路が狭まってしまう、伝統に反する等反対の意を唱えたとされています。

 そこでやむなくフィリップは、次年度のエチケットから元に戻したのでした。との記述が多く、エチケットは1924年だけジャン・カルリュのエチケットが使われたかのような表現ですが、実際は数年使われたようです。

 この当時のエチケットは現在のものと比べると地味なものでした。

 

 

     

 

 

        

 

 

 時は流れ、1945年すなわち第2次世界大戦の欧州戦線の終焉にともないバロン・フィリップは1924年に反発を食らった、エチケットに芸術作品を使用することを再度始めます。今度は、毎年エチケットを替えて該当年限定の旨を強くアピールするとの作戦でした。

 

 幸いなことに、パリ時代に知り合った画家達が有名になっており、依頼するには困らなかったという事情にあったようです。


     

 バロン・フイリップは出来あがった数点の候補から最終決定を行っていたといいます。

 面白いのは、画代としてエチケットをデザインしたヴィンテージのワインを5箱(60本)と希望するヴィンテージ(どの程度までかは不明)を5箱(60本)を渡しているとされています。画代が高いのか安いのかは判りませんが、このエチケットが有名になるにつれ、ムートンのエチケットを描くことは一流画家の証ともなっていったのです。けれども、この依頼を断った方がいると聞いたことがあるのですが確認がとれていません。

 

 ところで、シャトーは大戦中ドイツ軍に接収され、高射砲陣地として使用されていたようであり、保管ワインも略奪等にあったように思われるのですが、保管蔵では驚くべきことが行われていました。

 保管蔵は古色蒼然たる仕切り壁があり、苔まで生えていたと言います。つまり、従業員がワインを隠していたのです。これによりシャトーの立て直しが出来たともいわれており、前記お好きなヴインテージ5箱にも対応できたのでしょう。

 

 話は元に戻って、1945年以降毎年エチケットが変わっていくことになるのですが、1993年に大事件が起こりました。ムートンのワインのほぼ半数はアメリカに輸出されていたのですが、アメリカで輸入禁止措置にあったといわれるものです。

 1993年のエチケットはバルタザール・ミシェル・クロソフスキー・ド・ローラ伯爵(通称バルテュス)が描いたクロッキー画で少女の裸体像が描かれていました。画が幼児ポルノであるとキリスト教系のネオ・ピューリタンから異議の申し出がなされ、ATF(現在は、アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)がアメリカへの輸入を差し止めたため、バロン・フイリップは画の描かれていないエチケット(クロッキー画の地色のみ残したもので白地エチケット又はUSAエチケットとも呼ばれる。)にアメリカ輸出分を全て張り直して輸出したとされています。

 

 結果的に1993年ヴィンテージにはUSAバージョンとバルティス・バージョンの2種類のエチケットが存在します。


     

 ところがこの話には異説があります。1992年のムートンはグッド・ヴィンテージではなく売れ行きも芳しくなかったと言われております。つづく1993年は雨が多く、品質的にも満足のいくものでは無かったようです。

 

 そこで、バロン・フィリップは考えました。なんとかこの苦境を抜け出す策はないのかと。

 

 そこで思いだしたのがWエチケットです。1978年にモントリオール生まれの画家ジョン・ポール・リオペルに描かせたエチケットは、最終選考になっても提出された2枚とも気に入ってしまい、ついにどちらか一つを選ぶことが出来なかったので、思い切って2種類のエチケットで販売したのでした。

 

 この2種類のエチケットは異常なほど評判を呼んだのでした。このころムートンのエチケットは有名となっており、コレクターが2種類のワインを購入すると言う事態になっていたのです。

 フイリップは2匹目のドジョウを狙い最初から2種類のエチケットを用意していたとするものです。

 

 ムートンのWエチケットは有名ですがWエチケットやトリプル・エチケットは決して珍しいものではなく販売国別にデザインを変えているものが多くあり、コレクターを喜ばせているようです。

 宗教面や国民的嗜好を考慮してデザインされているようです。

 
  
  

 

 異議を唱えたとされるキリスト教系の団体は調査の結果存在しなかったとされています。また、仮にその団体が存在していたとしても、アメリカに輸入される前にこの団体がはたして知り得たのでしょうか。

 輸入にストップを掛けたと言われる、かってアンタチャブルが活躍したATFにそんな権限があったのか又ATFの所管だったのか、輸入ストップの記録の明示がない等々の疑惑があります。

 私は後者の説、バロン・フイリップ謀略説が気に入っています。


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