いつまで続く?この見方 | メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

副題 : もう遠距離の異動は無いだろう

https://gendai.media/articles/-/127745?page=1&imp=0


「虎に翼」というドラマが放映されているようで、それについての記事が出ていた。
どうもこのドラマのテーマは、女性の社会進出がテーマらしいのですが、女性の社会進出がテーマになると、基本的に「それを邪魔する男性」という構図がセットになってくるのが普通である。




27年前に今の会社に入社して以降、いろいろな女性と一緒に仕事をしてきた。
派遣社員やパート、一般社員から女性の上司など、様々な女性と仕事をしてきましたが、男性にもいろいろな人がいるように、女性にもいろいろな人がいる。
この中で上司だった女性の方は、我が社初の女性所長であり、今では執行役員にまで上り詰めましたが、この人を見ていて感じたのは、男性社会の考え方や常識に、一生懸命溶け込もうとしていた事で、一般的に言われる「女性」を武器にする事なく、しかしながら「女性」という立場を捨てる事なく働いていた。
「男よりも男」と言われている事もありましたが、与えられた責任を果たすべく、一生懸命仕事をしてましたし、女性の目から職場環境の改善も果たそうとしていましたから、今でも尊敬する元上司の1人である。




しかしながら、そのような女性が少ないというのも現実であって、「私は女性だから」と、責任から逃れる事ばかりしている女性を数多く見てきた。
「男の貴方から言って」とか、不満を解消すべく新たな提案をしても、「それは会社がやるべきでしょ」とか、「それをやったら帰りが遅くなる」と言っておきながら、今まで通りのやり方で残業を垂れ流すとか、いざという時に責任回避をする女性を数多く見てきた。
これは男性でも同じなんですが、男性は男性社会の基準で評価されても文句を言いませんが、女性が男性社会の基準で評価されると、「私が女性だから」と不満を漏らしたりするのである。




会社だけに限らず、社会全体に言えますが、社会を構成する人達の性別は、社会人として意味を成さないはずだ。
しかしながら、責任を回避する為に「男性」である事を武器にする男性は批判されますが、「女性」である事を武器にする女性は批判される事が少ない。
私が尊敬する女性の元上司が、責任回避の為に「女性」である事を武器にする事はありませんでしたし、このドラマの主人公も、責任回避を為に「女性」を武器にする事は無かったでしょうが、会社にせよ他の組織にせよ、性別無しの「社会人」という人格にならなければ、本来はダメなのではないか?




男性が女性に対して「女性だから」という色眼鏡で見るのもオカシイが、女性が男性に対して「女性だから」という色眼鏡で見てもらおうとするのもオカシイ。
性別で役割を決めつける事もオカシイが、自分の性別で、自分の役割を自ら決めつける事もオカシイ。




社会に出るという事は、「性別無しの社会人」として、どのように生きるのかが問われるのではないか?
「男性が女性の社会進出を妨げてる」という考え方自体が、実はナンセンスであるように私は思う。