プロ野球に関する私の意見 | メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

副題 : もう遠距離の異動は無いだろう

プロ野球の開幕、特に東京ドームでのナイターでの巨人の開幕に関して、非常に厳しい意見が多い。

電力不足のおりのナイターというのは考えが足りないと私も思うが、ナベツネに対する意見の多くに関しては、私は異なる意見を持っている。


終戦直後の日本において、確かにプロ野球は娯楽として歓迎された。特に子供達に大きな影響を与えたと言ってよい。

この事実を体験した人にとって、野球 (または娯楽) の持つパワーは絶対であり、その奇跡をもう一度再現しようと考えることは、別におかしな話ではない。

どんな人間でも、己の経験と体験を元に物事を考えるのだから、ナベツネがプロ野球開幕を起爆剤と考える事に対して、安易に否定してはならない。


ナベツネを批判する人の多くは、果たして戦後の出来事を体験しているだろうか?

報道や書籍は、「明るい戦後」 と簡単に言っているけど、ほとんどの大都市が空襲に遭い、食料も基本的には全般的に足りなかった時代を考えると、「明るい戦後」 と一括りに出来ないであろう。

その時代を体験した人が、プロ野球によってこの暗い状況を打破しようと考えることを、「不謹慎だ」 と簡単に否定して良いだろうか?


私は戦後を体験していない。

そして現在の状況を明るくする知恵も無い。

更に、何かによって暗い状況が明るくなったという体験も無い。


そのように自分を振り返るとき、ナベツネの体験を否定するだけの材料を持ち合わせていない。

確かにナイターは如何なものかとは思う。しかし、プロ野球開幕によって何かがもたらされる可能性はあるとも思う。


「応援ソング」 「頑張ろうソング」 が、これから世の中を席巻するだろうが、被災者を応援すれば不謹慎では無くなるのだろうか?

「歌の持つ力」 は信じてもらえるが、「僕も野球をやりたい」 という夢を、被災地の子供が持つことは信じてもらえないのだろうか?


私は、そう考える。