お前は何をしてるんだ?
いや、何をしていくんだ?
今を、未来を。
ちょうど1年前の今日、俺は福島入りしていた。
ミニベロと共に、GWの連休を利用して自転車に乗りながら出来る限りのボランティア。
目的はたった2つ。
口先だけの助け合いが嫌だった。能書き抜きに何かをしたかった。
被災者の為か?
いや違う。
結局は自分のためだ。
自分が偽善者になりたくないから行動した。行動したかった。
安全な東京で、新聞を読み、ニュースを観、ネットで情報検索し、噂話を聞き・・・
口では絆だなんだ言いながら結局は自分の保身しか考えない自分が嫌だった。
だから自分のためにボランティアに行った。
2つ目の目的。
津波による犠牲者に対して、哀悼の意をこの手で捧げたかった。
俺は肉親や知人が津波の被害にあった訳では無い。
ただただ、同じ日本人としてただ線香を奉げたいだけだった。
今のように放射線の情報が発信されていない中、原発にも出来る限り近づいてみた。
命を削り頑張る大人たちがいた。。。。
あれから1年が過ぎた。
俺はいったい何がしたいんだ?何をしているんだ?
俺の中には「去年、ボランティアに行ってるから俺はやってない人間とは違う」なんて考え方は無いか?
ブログやSNSでよく目にする、「昔はこんなに凄かったんだぜ?おれは!」などという記事が俺は大嫌いだ。
俺たちには、今しかない。
俺たちには未来しかない。
過去がどんなに凄かろうが、それは今と未来には関係はない。
関係ないと言うよりは、過去はどうでもいい。
素晴らしい想い出や過去は、今と未来を創る原動力にはなるが、それを誇示することは未来に対してマイナスの効果しかない。
被災地がいい例だ。
まだまだ今が苦しい彼ら被災者は、過去にどんなに素晴らしいボランティアがあっても、今が助けてほしいのだ。未来が必要なのだ。
なのに俺は、そんな自分を正当化するためには能書きをならべて生きていく人間に戻っていないか?
1年前の福島の海。
5/5のこどもの日を前にしたそこには、子供の素晴らしい未来を願うはずの兜がうちあげられていた。。。。。
過去に甘えている情けない自分に対して書いてみた。
気が付けよ!お前!
まだ間に合うぞ!!!
さてと・・・・・
家族も居ない今夜・・・・・
エロDVD観て寝ようっと
おやすみなさい