引っ越しによる転機①。 | 『高槻の女性税理士 珍道中日記』

『高槻の女性税理士 珍道中日記』

高槻在住の女性税理士 加藤ルミ子の気ままな珍道中日記。

6歳までに父の転勤の都合で11回引っ越しました。


不思議なもので6歳までの記憶がかなり鮮明にあります。


生きることが辛いと6歳なりに思っていました。


人は幸せな記憶より辛い記憶の方が鮮明なんでしょう。


10回目の引っ越しは5歳のとき。


住宅で記憶に残ることと言えば


灰色の街にある長屋。


長屋の角部屋に住んでいたのですが


大型台風が直撃し雨戸が壊れ窓ガラスが割れていくのを


テーブルで必死に押さえ


父が仕事で不在で 近所に助けを呼びに出て行った母が


吹き飛ばされないかという恐怖。



そして小学校にもなじめず 勉強もまったく出来ない。


人と向かい合って給食を食べることが出来ない。


とうとう3者面談で先生から「この子はダメな子です」と太鼓判をもらった。


母はショックを受けていたけど たぶん私はダメな子と言われホットした。


絵に描いたような落ちこぼれな子。


このままこの灰色の街の長屋に住んでいたら


どうなっていたでしょう。。。。



小学校2年の夏に現在の実家のある新興住宅地に引っ越しました。


両隣とも同学年の子供がいて 近所中に友達がいる環境。


建て売り住宅だけど とても大きな丈夫なお家(当時は)。


みんなで一緒に登校する。


今まで味わったことのない環境でした。


そこから少しずつ人となじめるようになり


2年生を終えるころには 相変わらず勉強はできなったけど


楽しいと思えるようになっていったと思います。


そして小学3年生の新学期。


驚いたことに学級委員に立候補したのです。


たくさんの子が立候補した中で 投票で学級委員に選ばれたとき


私の人生が変わった瞬間でした。


生まれて初めて勇気を出した瞬間でした。。。


小学生で人は住環境によって変わることができると確信した私は


その後は小・中・高校生まで生徒会をやっていくような子になっていきました。


「住」を変えることで 人生を変えることができる。


すっかりそんなこと忘れていましたが。


しかしその後も引っ越しの度に人生が変わっていきました。