NegiccoとNHKホール | …

i am so disapointed.

YouTubeのT-Palette Records公式チャンネルが、「Negicco NHKホールワンマン2016年7月30日(土) 開催決定!」という動画を公開した。これは、4月27日に行われたNegiccoの中野サンプラザでのライブにおいて、アンコール前にスクリーンに映されたものである。それが同時に、NHKホールでワンマンライブを行うことの公式発表となった。

この動画が流れている間、会場が次第に盛り上っている気配は感じていた。しかし、私にはその内容があまり理解できていなく、最後になってやっとこれが7月30日にNHKホールでワンマンライブを行うことの発表だったのだと分かったのだった。

当時、私はNegiccoのことをまともに知ってからまだ約1ヶ月半ぐらいであり、NegiccoにとってNHKホールとはどのような意味を持つ会場なのかについて、まったく分かってはいなかった。

その後、Negiccoについての情報をさらに得て、思い入れも強くなった状態で改めて観たのだが、確かにこれは感動的である。前半のインタヴュー部分で、これはおそらくNHKホールのことを言っているのだろうと何となく分かり、もしかしてそうなのかという期待と喜びが次第に高まり、最後にスクリーンに「NHKホール」、そして「~TADAIMA~」という文字が表示される。

会場には、この映像を観て、すでに泣いていたファンもいたという。その後、アンコールで「圧倒的なスタイル」がパフォーマンスされたが、リーダーのNao☆ちゃんが歌っている途中で堪えきれずに泣いてしまうという場面があり、翌朝の情報番組でも映像が使われていた。

泣いているファンの姿が目に入り、もらい泣きをしてしまったのだと、後にNao☆ちゃんは話していた。

確かにこれまでずっとNegiccoを応援してきて、その歴史を一緒に歩んできたファンがあそこであの映像を観たならば、泣いてしまうのも無理はない。

このNHKホールでのワンマンライブについて、Nao☆ちゃんは「この日は結成当初からのNegiccoが見れるようなワンマンの構成になってます☆みんなで『おかえりー!!!』って言いに来てほしいです☆!」とツイートしている。

T-Palette Records移籍後の曲が中心となっていたここ最近のライブやイベントとは、かなり異なった内容になりそうである。

私が初めて参加したNegiccoのイベントは、3月30日にサンストリート亀戸で行われた「矛盾、はじめました。」リリース時のものであった。私はそれまで、このサンストリート亀戸という商業施設のことを知らなかったのだが、アイドルイベントの聖地のような場所だったようである。かつてPerfumeもイベントを行っていたことがあり、そこにファンとして参加していたconnieさんがNegiccoのCDを手渡したということもあったらしい。

そのサンストリート亀戸が長い歴史に幕を閉じるということで、その最後のアイドルイベントを行ったのがNegiccoであった。Negiccoもデビューしたばかりの頃に、このサンストリート亀戸でイベントを行ったが、その時は客も全然いなかったなどとMCで話されていた。

この日は2階までぎっしりと人で埋まっていた。私はこれが最初で最後のサンストリート亀戸になてしまったため、他のイベントとの比較はできないのだが、とにかくすごい盛り上がりだということは実感できた。

ミニライブでは新曲や定番曲に加え、私がNegiccoの過去の動画を観て気に入っていた「完全攻略」やconnieさんが初めてNegiccoに書いた曲だという「トキメキ★マイドリーム」などがパフォーマンスされた。後に、これはサンストリート亀戸ならではの選曲だったのだということを知った。

やはりずっと出演しているという新潟のお祭り「古町どんどん」のステージでは、1曲目に「Falling Stars」がパフォーマンスされた。これは、まさにこの古町のことを歌った曲であり、「古町どんどん」では毎年歌われているということである。

一方、アルバム「ティー・フォー・スリー」のリリースイベントでは、わずかの例外を除き、ほぼアルバム収録曲に絞った選曲がされている。

また、バンド編成になる以前のライブツアーでは、毎回セットリストを変えていたという。

このように、イベントやコンサートのコンセプトに合わせて練りに練った構成を行うのがNegiccoであり、それだけにどうやらこれまでのキャリアの集大成的な内容になる予感がするNHKホールのライブには期待が高まるというものである。

その体験をより味わい深いものにするためにも、NegiccoとNHKホールとの関係性について、ある程度は理解しておきたい。もちろん知らなくても楽しめるとは思うのだが、せっかくなのでなるべくちゃんと知っておきたい。

もちろんその歴史を共に歩んできた長きにわたってのファンの方々には遠く及ばないのだが、後追いでもいいので、把握しておいた方が楽しめるような気がする。

Negiccoは2003年7月20日に、JA全農にいがたが展開するやわ肌ねぎのPRキャンペーンのため、1ヶ月間の期間限定のユニットとして結成されたようだ。

まったくの余談だが、この10日後、7月30日にモーニング娘。が19枚目のシングル「シャボン玉」をリリースしているが、これは藤本美貴、亀井絵里、道重さゆみ、田中れいなの6期メンバーにとって、モーニング娘。メンバーとしてのデビュー曲でもあった。田中れいなはこの曲において早くもメインパートをあたえられていたが、道重さゆみのソロパートは「なのに、どこ行ったんだよ~」などのセリフのみであった。

この頃、私は都内のとあるショップにて、真夜中、販促用DVDを流すためのモニターを設置する作業を行っていた。デモ用に流したディスクの1曲目に、「シャボン玉」が収録されていた。当時はモーニング娘。にもほとんど興味がなく、よく知らなかったのだが、ビデオを観て随分メンバーが増えて、もはや誰が誰やらまったく分らないな、という印象を持ったものである。

この時、すでにNegiccoが存在していたのかと思うと、感慨深いものがある。

1ヶ月の期間限定ユニットとして結成されたNegiccoだが、そのまま活動が継続されることになった。そして、翌年、2004年にはNHKの音楽番組「ポップジャム」に出演する。この番組の収録が行われていたのが、NHKホールである。

今回公開された告知動画の中でNao☆ちゃんも言っているように、この「ポップジャム」出演によって、Negiccoのメンバーは「売れた」と思ったようである。しかし、現実は厳しく、その後、思ったように仕事は増えないまま、活動の母体だったタレントスクールの廃校、メンバーの脱退といった苦難を迎えることになる。

Negiccoヒストリーを調べていると、この「ポップジャム」のエピソードは必ずといっていいほど出てくるし、その映像も一部は観たことがある。もっと詳しく知りたいと思い、いろいろ調べていくと、たどり着いたのはいまも新潟のアイドルに関する情報を毎日発信されている星海銀さんのブログであった。この頃からやってらっしゃったのか。まったく頭が下がる。

NegiccoがNHKホールで「恋するねぎっ娘」を歌ったのは、2004年9月10日放送分の「ポップジャム」のようだ。その前週、9月3日にはVTRでも出演していたようである。

9月3日の放送は4月からの総集編であり、MCの3人がスタジオからお送りするかたちだったようである。この中で、番組が推している地域限定アイドル、いわゆるロコドルを紹介するコーナーがあったようだ。この中に、Negiccoもいたということである。

星海銀さんのブログによると、さっそくMCの優香の頭に「ねぎねぎねぎっ娘」のフレーズがこびりついていたようだ、ということだった。

また、つんく♂から「もしかしたら、上京してもらうなんて事もあるかもしれませんし」という言葉もあったようだ。

この放送分の記録を見ると、コメント出演者の中に大塚愛やスキマスイッチに混じってポール・ウェラーの名前があるのが気になる。

そして、翌週、9月10日放送分において、ついにNegiccoが「恋するねぎっ娘」を披露したようである。Negiccoの他には、岩手県のLOVE YOURSというグループが出演していたようだ。

なお、この週の「ポップジャム」に出演していたアーティストはBoA、ポルノグラフィティ、RAG FAIR、day after tomorrow、小倉優子ということで、何となく時代の雰囲気が想像できる。

この後、Negiccoには苦難の道のりが待ち受けていた。

「ポップジャム」は放送を2007年で終え、その内容をほぼ引き継ぐかたちで「MUSIC JAPAN」がはじまった。収録も「ポップジャム」と同じNHKホールである。

広島でローカルアイドルとして活動していたぱふゅ~むは、Negiccoが結成された2003年に上京し、活動の拠点を移している。それを機に、グループ名の表記をぱふゅ~むからPerfumeへと改めたようである。

「MUSIC JAPAN」の放送がはじまった3ヶ月後、2007年7月にPerfumeのシングル「ポリリズム」が公共広告機構・NHK共同の環境・リサイクルキャンペーンCMに使われると、視聴者からの問い合わせが殺到したらしい。これをきっかけに話題を呼び、アルバムは発売5ヶ月目にしてAmazon.com.jpで1位になったり、都市型ロック・フェスティバル「サマーソニック07」にアイドルとしては異例の出演を果したらしい。9月12日に「ポリリズム」がリリースされると、オリコン7位のヒットを記録した。

当時の音楽ニュースを見ると、Perfumeは「近未来テクノポップユニット」などと紹介されている。中田ヤスタカプロデュースによるサウンドが新しさを感じさせ、当時のPerfumeは最新のサブ・カルチャーとしても消費されていたようである。

広島のローカルアイドル出身で、なかなかの苦労人であるというストーリー性もまた、人気に一役買ったようである。

翌年、2008年4月15日、私は仕事終わりにタワーレコード渋谷店に行った。翌日が発売日で、すでに入荷しているはずのモーニング娘。「リゾナント ブルー」のCDシングルを買うためである。「ポリリズム」が収録されたPerfumeのアルバム「GAME」が同じ日にリリースされていて、店内では大々的に販促されていた。アイドルには興味がなさそうな、いかにも流行りものに敏感そうな人たちが次々と「GAME」のCDを手に取り、レジに持って行っているようであった。

道重さゆみの声が吐息と叫びぐらいしか入っていないにもかかわらず、わざわざ渋谷まで買いに行った「リゾナント ブルー」だが、結局、品切れで買うことができなかった。

当時のモーニング娘。は、Perfumeとはまったく違い、まったくいま流行っているという感じがなく、入荷数もかなり絞られていたのではないかと思われる。しかし、固定ファンは確実に買うため、その結果、品切れを起こしてしまったのではないだろうか。

ハロー!プロジェクトの熱心なファンで、後にT-Palette Recordsを立ち上げる嶺脇育夫がタワーレコードの社長に就任するのは、この約3年後であった。

そんな状況でモーニング娘。を応援していた私としては、Perfumeそのものというよりは、流行としてのPerfumeに対し、嫉妬からくる苦々しさを感じていたものである。

ところが、後になって道重さゆみがPerfumeのファンであり、コンサートにも足を運んでいることを知ると、一気に好感を持つようになった。適当さは当時からのようである。

Perfumeのアルバム「GAME」はオリコン1位の大ヒットとなり、このアルバムを引っさげた全国ツアーも成功したようである。5月10日には新潟公演(NIIGATA LOTS)も行われ、挨拶をしに行ったNegiccoに対し、Perfumeは「また一緒のステージに立ちたいですね」と言ったのだという。

その時からさかのぼること約3年半前、2004年10月29日に、PerfumeとNegiccoとは東京のイベントで同じステージに立っていた。渋谷O-Westで開催された「EX Girls-Style」である。ヘッドライナーはdreamで、他にはBuzy、ANNA-Juicy.Flavorというグループが出演していたようである。

Perfumeが東京に拠点を移し、Negiccoが結成された翌年の年末、コアなアイドルファン以外にとっては無名に近い状態だったのではないだろうか。

この時、Perfumeのあーちゃんは「ねぎねぎねぎっ娘」と歌っているNegiccoを見て「なんてこった!?」と思ったと、回想している。

その後も順調にヒットを飛ばし続けたPerfumeは、2008年の暮れには「NHK紅白歌合戦」への出場も果たした。そして、翌年、2009年4月からは「MUSIC JAPAN」のMCを務めることになった。

この頃、Negiccoはメジャーデビューを賭けて、GyaOの「勝ち抜き!アイドル天国!!ヌキ天」に挑戦していた。

メンバーのぽんちゃことMeguはNHKホールについて、そこでアイドルやアーティストが歌っている番組をテレビで観る度に「あそこに立ってたんだな」と毎回、常に思っていて、「戻ってこれるとは思ってなかった」と話している。

Negiccoは2011年にタワーレコードが立ち上げたアイドル専門レーベル、T-Palette Recordsに移籍すると、次第に人気と知名度を上げて行った。そして、2014年12月2日にリリースされた「光のシュプール」で、初のオリコントップ10入りを果たした。

これがきっかけで、「MUSIC JAPAN」にも出演することになった。場所はあのNHKホールで、MCはPerfumeである。

この頃、私はNegiccoのことをほとんど知らなかったのだが、当時のファンにとって、とても感動的な出来事であったであろうことは、想像に難くない。

「ポップジャム」出演から11年ぶりのNHKホール、そして、いつか一緒のステージにまた立ちたいと思っていたPerfumeである。放送日は2015年2月23日であった。

Perfumeと共にMCを務めるユースケ・サンタマリアに呼ばれ、ステージに登場したNegiccoのメンバーは、この時点でもうすでに泣いている。そして、あーちゃんまでもが涙ぐんでいる。そして、Negiccoに対する思いを以下のように語った。

「私たちも広島っていう故郷があるので、広島を背負ってきたつもりではあったんですよ。でも、何もお返しできない、活動がまだできてないっていう悔しい思いとか結構あって、その中で、Negiccoもやっぱ同じように地方を愛していて、一生懸命頑張って出てきてたから、同じような境遇で同じような気持ちでね、戦ってると、本当に同志のひとりだなというふうにね、お互いこう思い合っていたというか...があったので、うん、本当にこの舞台で共演できてすっごく嬉しいです」

ユースケ・サンタマリアによると、Negiccoが出演するということで、Perfumeの様子がいつもとは違い、ザワザワしていたという。あーちゃんに至っては、リハーサルからすでに泣いていたらしい。

「MUSIC JAPAN」放送から約5ヶ月半後、Negiccoはシングル「ねぇバーディア」をリリースする。この曲にはアース・ウィンド&ファイアーのディスコ・クラシック「セプテンバー」へのオマージュが含まれているといわれている。

「ねぇバーディア」には「ねえ バーディア 覚えてる? あの9月の日の出来事」という、印象的なセリフパートがある。

「セプテンバー」のコーラス部分の歌詞は「Ba de ya-say do you remember」であり、「ねえ バーディア 覚えてる?」とよく似ている。

そして、歌い出しの歌詞は「Do you remember, the 21st night of September」、つまり「9月21日の夜を覚えてる?」という意味である。「9月の日」ではなく「9月の夜」なわけだが、それよりも「9月21日」という具体的な日付が気になる。

作詞のモーリス・ホワイト、アル・マッケイ、アリー・ウィリスが1978年発表の「セプテンバー」において、そこからインスパイアを得た可能性はレス・ザン・ゼロなのだが、「9月21日」はPerfumeのメジャーデビュー記念日である。

特にこの年は10周年として、記念イベントが大々的に行われていた。そのうちの1つが、22日に行われた「Perfume FES!! 2015 ~三人祭~」であった。

Perfumeと同じ3人グループ限定による対バンライブであり、この年はWEAVER、空想委員会、フジファブリック、凛として時雨と共に、Negiccoも出演した。Perfumeからのオファーによる出演であり、会場はNegiccoが目標としている日本武道館であった。当日は「圧倒的なスタイル」の間奏で、PerfumeとNegiccoが一緒にラインダンスをする場面もあったという。

話はややそれてしまったが、とにかくNHKホールはNegiccoにとってとても思い入れの強い会場だということである。そこでついにワンマンライブが行われてしまうのだが、おそらくこれもまたNegiccoヒストリーにおける重要な出来事になるに違いない。

ここまで書いてきた内容のほとんどは、様々な情報や動画などを参照しながら、何とか繋ぎ合わせてみたものである。実際にリアルタイムで体験したわけではないものが多い。

しかし、これからはもう違う。それが楽しみで仕方がない。







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