出会えたのは偶然の運命 無駄なことなんてないね | …

i am so disapointed.

「フェスティバルで会いましょう」は、2014年7月22日にリリースされたNegiccoのシングル「サンシャイン日本海」のカップリング曲である。

昨夜、ブログを更新して寝ようとしていると、記事にコメントが付いたと通知があった。軽い気持ちで開いて読んでみたのだが、それは私にとってあまりにも衝撃的な内容であった。

いや、知っている人にはすでに周知の事実であり、何をいまさらという感じなのであろう。しかし、私にとっては大事件であった。

「フェスティバルで会いましょう」の歌詞のある部分を縦読みすると、「道重さゆみ」と読めるというのである。

急いでiPhoneで歌詞を読んでみたのだが、確かにそうなっている。「道を濡らした 涙の後に」「重い雲が 高く晴れたら」「さぁ 出掛けようよ」「ゆく先はあの場所(まるで理想郷でしょ フィールド・オブ・イイキョク)」「みんなの声が聞こえる」となっている。

わりと引用が長すぎるのではないかという懸念はひとまず置いておいて、真夜中にジーンとしていた。

Negiccoの曲の中にいろいろなオマージュだとか仕掛けが仕組まれていることはすでに知られるところであり、だから歴史あるアイドルグループ、モーニング娘。の最長在籍メンバーである道重さゆみの名前が歌詞に隠されていたからといって、それほど驚くべきことでもないのかもしれない。

しかし、道重さゆみは私にとってアイドルという枠を超えて、ひじょうに重要な存在であり、それが現在夢中になっているNegiccoと繋がったという事実に、はげしい興奮を覚えるのである。

道重さゆみは2014年11月26日の横浜アリーナでの公演をもってモーニング娘。を卒業し、同時に芸能活動も休止してしまった。

「フェスティバルで会いましょう」がカップリング曲として収録された「サンシャイン日本海」は、道重さゆみがモーニング娘。からの卒業を発表してから最初にリリースされたNegiccoのシングルである。

ここ3ヶ月間、Negiccoの魅力に首ったけな私だが、道重さゆみとの繋がりはまったく感じていなかった。いま、グーグルで「Negicco 道重さゆみ」で検索してみても、この「フェスティバルで会いましょう」の歌詞について書かれたものばかりが結果として表示される。

「フェスティバルで会いましょう」の作詞はconnieさんであり、おそらくモーニング娘。からの卒業を発表した道重さゆみに対するリスペクトを込め、歌詞に名前を紛れ込ませたのではないだろうか。

「サンシャイン日本海」のシングルがリリースされたのは道重さゆみの25歳の誕生日から2週間後だが、22日が「うさちゃんピースの日」だということはおそらく完全な偶然であろう。

「うさちゃんピース」とはモーニング娘。の中で居場所を見失っていた道重さゆみが、自分のキャラクターを強く押し出そうとして編み出した、頭の上で両手でピースマークをつくるポーズのことである。それがウサギの耳のように見えることから、「うさちゃんピース」と呼ばれている。それはまた、道重さゆみの基本的な思想である平和主義を象徴するものでもあると、私には拡大解釈されていた。

歌えない、踊れない、体力もない、だがそこが良いという感じで、他の同期メンバーと比べて歌割りも少なく、人気もなかった頃にあてがわれた地方ローカル局のラジオ番組が「今夜もうさちゃんピース」であり、そこでのトークが評判を呼び、次第に頭角をあらわしていったのであった。

両手でつくったピースマークが「22」に見えることから、毎月22日は「うさちゃんピース」の日ということになっていた。

それはそうとして、道重さゆみがモーニング娘。からの卒業を発表する約4ヶ月半前、2013年12月14日放送の「Billboard JAPAN Music Awards 2013」に、モーニング娘。が出演していた。その時にミュージカルディレクターを務めていたのが、小西康陽である。

その後、小西康陽は「道重さゆみさんは今まで出会った女性の中で一番美しく、テレビでご一緒した道重さゆみさんの大ファンになってしまった」「これがアイドルに恋をするということか」「もう一度一緒に仕事がしたいです」などとツイートしていたようである。

この件は当時、道重さゆみがレギュラー出演していたMBSラジオ「ヤングタウン土曜日」でもリスナーからの投稿により、話題になった。これを聞いたメインパーソナリティーの明石家さんまは、「プロポーズやないか!」と言っていた。

ところが、音楽はアイドルとディズニーのサントラぐらいしか聴かない道重さゆみは、もちろんピチカート・ファイヴなど聴いているはずもなく、小西康陽がどれだけすごい人なのか、あまりピンときていない様子であった。

道重さゆみがモーニング娘。加入前からリスペクトしていたアイドルは小倉優子と深田恭子だが、いずれも小西康陽が曲を提供していたにもかかわらずである。



ピチカート・ファイヴについては1985年リリースのデビュー・シングル「オードリー・ヘプバーン・コンプレックス」から買っていて、途中、あまり聴かなくなった時期もあったのだが、1990年代のいわゆる渋谷系の頃などはかなり気に入って聴いていた。

小西康陽が北海道出身で青山学院大学卒業というところにも、勝手に親近感を抱いていた。また、著書の「これは恋ではない 小西康陽のコラム1984-1996」も、その程よい暗さがかなり好きであった。

だから、小西康陽がもしも道重さゆみをプロデュースしたとするならば、それは私にとって夢のような音楽になっていたはずなのである。

しかし、それは結局、叶わなかった。

2014年10月15日、モーニング娘。'14のトリプルA面シングル「TIKI BUN/シャバダバ ドゥ~/見返り美人」がリリースされた。これが、道重さゆみにとってのモーニング娘。として最後のリリースとなった。この3曲のうち、「シャバダバ ドゥ~」はつんく♂が道重さゆみのために書き下ろしたソロ曲である。

歌詞には道重さゆみのモーニング娘。メンバーとしての足跡、ファンとの関係性などが盛り込まれ、オーディションから卒業までずっと見てきたつんく♂にしか書けない、道重さゆみとそのファンに向けての最高のプレゼントとなった。

特に、「一緒に過ごした日々過ごした空間 全部が大切だよ 全部宝物だよ」というくだりなどは、涙なくしては聴くことができない。

当時やっていたブログにおいて、私はこの曲について以下のように評し、この一文は「道重さゆみ論」なるNAVERまとめにも転載されているのだが、元のブログは訳あって特殊な能力を持っている人にしか読めない仕様になっている。

「こんな長い間やってこれたのは 誰のおかげでしょうか」という自問に対し、「私の努力」「私の愛嬌」「私の運の強さ」と自分のことばかり挙げるが、その後すぐに、「ってことにしとけよ!」と早口で言うのだ。つまり、周囲の人達やファンのおかげだと心底思っていながら、それを正直に口に出すことへの照れ、また、話にオチをつけて面白くしようとする道重さゆみのサービス精神と頭の回転のはやさと構成力、これらの魅力のすべてがこの短い間に表現され切っている。

この「シャバダバ ドゥ~」だが、なぜか曲調やアレンジがどことなく小西康陽テイストを感じさせなくもないのである。これがとても不思議だ。



道重さゆみがモーニング娘。を卒業し、芸能活動を休止した6日後に、Negiccoはシングル「光のシュプール」をリリースし、それが初のオリコントップ10入りを果たした。当時の私はNegiccoのことなどほとんど知らず、道重さゆみが卒業したことによる喪失感、いわゆる「さゆロス」回避のために、残された後輩メンバーたちを応援していく方針を固めつつあったのではないかと思う。

時は流れて2016年3月、アイドルファンでいることをすでに辞めかけていた私は、有楽町の三省堂書店で「中年がアイドルオタクでなぜ悪い」「50代からのアイドル入門」という2冊の本を見つける。すでにアイドルファンであることはやめかけていたのだが、道重さゆみの卒業スピーチに関する言及がどちらかの本にあったことから、2冊とも買って帰った。読んでみたところ、ものすごくおもしろかった。

世の中には私の知らないアイドルがまだまだこんなにもたくさんいるのだと思い、中でも気になったNegiccoの曲を聴いてみようかと思った。Apple Musicで検索してみたところたくさんあったので、軽い気持ちで聴きはじめたのだが、予想を大きく上回るクオリティーの高さであり、すっかり気に入ってしまった。

小西康陽が作詞・作曲・プロデュースを手がけたという2013年5月29日リリースのシングル、「アイドルばかり聴かないで」が特に印象に残った。この曲についてはリリース時にインターネットで少し話題になっていたような記憶があったが、その時はそれほど興味がわかず、聴くまでには至らなかった。

アイドルグループが「アイドルばかり聴かないで」と歌ってしまうおもしろさ、「どんなに握手をしたって あのコとはデートとか出来ないのよ」と身も蓋もないことが歌われた後、「ざんねーん!!」と容赦なく斬り捨てられる。しかも、ライブではこれをファンも一緒になってやるわけである。

これだけならばメタでサブカル的なネタ消費で終わりそうなのだが、小西康陽が「アイドルに曲を書くのが夢だった高校・大学時代の自分に聴かせてやりたいくらいの、“私の中の筒美京平”が暴発したような作品です」と豪語するように、クオリティーがものすごく高い。

さらに、さんざんアイドルばかり聴くことについてのマイナス面を説いておきながら、最後には「そんなにアイドルが好きなら じゃあ、Negiccoにしてね」という最高のオチがつく。たまらない。



これ以降、私が急速にNegiccoにハマっていく様は、このブログにおいてドキュメンタリータッチで記録されている通りである。

いま、Negiccoのファンでいることがものすごく楽しく、おかげで道重さゆみがいないことによる喪失感、いわゆる「さゆロス」なるものに苛まれることもなく、1人の女性としての幸せを遠くから願うことができる。

先日、タワーレコード錦糸町店での「ティー・フォー・スリー」リリースイベントに行った。新曲初披露もあったミニライブはかなりの至近距離から観ることができて、とても楽しかった。初参加のサイン会ではメンバーと少し会話をするという素晴らしい体験もあり、さらにマネージャーのクマさんと小林繁の話をしたりして最高であった。

その後、ブログで知り合ったNegiccoファンの先輩と近所の居酒屋に行き、主に新潟の酒を飲みながらNegiccoの魅力について語り合った。至福の時間である。

このことは以前にもブログに書いた。しかし、じつは書いていなかったことがある。この時も、私はおよそ3割ぐらいの時間、道重さゆみについて一方的に熱く語っていたはずなのである。さらに、帰りの錦糸町駅のホームでまで、iPhoneで「シャバダバ ドゥ~」を半ば強制的に聴かせたりもしていたのだ。いかんともしがたい。

帰宅してからブログには主にNegiccoのことばかりを書いたと思う。しかし、その後、久しぶりに道重さゆみの卒業スピーチをDVDで観て、やはりガッツリ泣いた。

特に、「さゆみのファンの人たちが他の誰でもない...みんなでよかった。変な人たち、サンキュー」のくだりである。

Negiccoの「フェスティバルで会いましょう」の歌詞の中に「道重さゆみ」の文字が埋め込まれていることを知り、私の大好きなものが繋がり、あたかも小宇宙を形成したようでもある。

以前、DJ Meguがモーニング娘。の「ポップコーンラブ!」をかける動画を観たことがあるのだが、あれは2001年10月31日にリリースされた「Mr.Moonlight ~愛のビッグバンド~」のカップリング曲のため、2003年加入の道重さゆみの声は入っていない。

直接の接点はないものの、道重さゆみとNegiccoとが繋がったということは、私にとってとても大きな意味を持つのである。

「フェスティバルで会いましょう」だが、私のiTunesのマイミュージックに追加はされていたものの、再生回数は0回であった。他の曲を聴くことに忙しすぎて、まだ1度も聴いていなかったようである。ミュージックビデオがとても可愛いと評判のようだが、昨日、リンクをツイートしたものの、じつはまだ観ていない。

いまはこの歌詞についての情報だけで胸がいっぱいなので、曲を聴いたりビデオを観たりするのがまだっもったいないという、よく分らない感情である。落ち着いたら聴いて、観て、感想を書いてみたいとも思う。

コメントをくださったしんしんさん、ありがとうございました!

そして、「全力で聴きます!」とコメントを返したにもかかわらず、まだ聴いていなくて申し訳ございません。

NHKホールを埋めるための草の根的活動については、また明日から再開したいと思う。今日のところはこんなやつですみません。





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