大和国、葛城山(標高960m)は現在でも全国の修験道(山伏)の聖地として知られています。それと云うのも開祖である役行者(えんのぎょうじゃ、役小角634~701年)が厳しい山岳修行をしたとされる場所を自らも訪れ、行者の感得した呪法の息吹そのものに少しでも触れてみたいと願う人々が毎年絶えない事によるもので、彼の生家も大和国葛城上郡茅原村(現・御所市)に在りました。何しろ人々が恐れる鬼は勿論、地元葛城の神様でさえ支配下に置いて使役したという「伝説」の持ち主で、その他にも幾多の秘話が伝えられる役小角は、余りの神秘性と摩訶不思議な言い伝えが外国を舞台にしたものまで敷衍していることから、実在性を疑う方も少なくありませんが、彼が七世紀後半から八世紀の初めにかけて活躍したのは紛れもない事実で「続日本紀」には次のような記録が残されています(下右の画像参照)。

  丁丑 役君小角流于伊豆島 初小角住於葛木山 以咒術稱 外從五位下韓國連廣足師焉
  後害其能 讒以妖惑 故配遠處 世相傳云 小角能役使鬼神 汲水採薪 若不用命 即以咒縛之                巻第一、文武天皇三年(699)五月丁丑条

また、後世、様々に姿を変えながら人々の間で喧伝された行者像の原型とも言える逸話が「日本霊異記」(西暦820年頃に成立)には、

  役の優婆塞は葛木上郡茅原村の人で、賀茂役公の民の出である。若くして雲に乗って仙人と遊び、孔雀王呪経の呪法を修め、鬼神を自在に操った。
  鬼神に命じて大和国の金峯山と葛木山の間に橋をかけようとしたところ、葛木山の神である一言主が人に乗り移って文武天皇に役の優婆塞の謀反を讒言した

と書かれてあり、彼が「神がかり」した人物によって「讒言」された事も明らかになっています。ここで登場する「一言主」という神様は、土佐風土記(下右の画像)の逸文に『土左の高賀茂の大社あり、其の神の御名を一言主尊と為す。其のみ祖は詳かならず。一説に日へらく、大穴六道尊(オオアナムチ)の御子、味鋤高彦根尊なりといへり』とあることから葛城の産土神であると考えられているのですが、そうすると行者が自らの郷土神と鋭く対立したことになり、不審と言えなくもありません。

 説明も兼ねて、検索引用させていただきました。

続きます。合掌