「加持」とはいったいどういう意味でしょうか。
 実は「加持」という言葉は「加」と「持」の二つから成り立っています。お大師様はその著書の中で「加持とは如来の大悲と衆生の信心とを表す。」とおっしゃっています。つまり、
・仏さまがいつ何時でも私たちを見守ってくれるという慈悲の心が「加」であり、
・私たちが仏さまを信じ、精進努力していこうという信心が「持」である
とおっしゃっているのです。そして、この慈悲と信心が一つになったとき、加持の力が生じ、ご利益が得られるのです。
 このように、慈悲の心と信心のどちらが欠けても加持にはなりません。交通安全を例に取ってみると、たとえ仏さまがどんなに大きな慈悲の心をお持ちでも、「自分は交通ルールを守っているから仏さまなど関係ない。」というような、仏さまを信じる心を全く持っていない人のところには加持力は生まれないでしょう。反対に、いくら仏さまを信じ、熱心にお願いをしても、「信号無視をしても車にぶつかりません様に」など、そのお願いが自分本位なものであったり、誰かを傷つけるものであれば、仏さまは慈悲の心で応えてくれないでしょう。この場合は「私たちは仏さまに感謝し、交通ルールを守って正しい生活をします。どうか事故にあわないように見守って下さい。」というお願いをすることによって、初めてご加護が得られるのです。
 仏さまの慈悲が信仰する者の心に加えられ、信仰者がその慈悲を信心によって感じとって初めて加持になるのです。
 加持祈祷はお坊さんが特別な力でみなさんにご利益を与えるものではありません。みなさんが仏さまと心を通わせるために、お坊さんが仏さまと対話する「橋渡し」の方法なのです。
箸蔵寺のHPより転載させて頂きました。