記録することの難しさ、伝えることの難しさ | 年金に頼らない生き方

年金に頼らない生き方

夢を語るには人生を重ねた高齢者こそふさわしい

還暦以後の生活設計が、年金だけでは窮屈になることが分かり、遅まきながら年金に上乗せする収入の道を作るために試行錯誤しつつも、会社設立までたどりついた経過を紹介します。

毎年新しい手帳を前にして、決まってやることがある。


この数年の慣例となっていることだが、私のその年の
手帳の役目はこの作業を通過してから始まる。


96歳の父の戦歴転載だ。


当時の総務省恩給局に保存されていた「出戦務」には、
年月日とその日の行動が細かな手書きのカタカナと漢字で
記載されていた。


○月○日、○○港出港
○月○日、○○作戦参加
というような記録が昭和12年から20年まで隙間なく
埋められていたのを、コピーし、見やすく書き直したものから
新しい手帳の該当月日転載することにしている。


8年分もあるので年度別に色を変えて転記してゆく。




手帳は毎日開くものなので、該当の日には色別に記載されている
軍務に目が止まることになる。


たとえば1937年の今日、父は何歳でどこでどんな軍務に
就いていたかがわかる仕組みだ。


真夏の暑い日に、あるいは真冬の身を切るような寒さの中で
手帳を開くたびに、当時の父の年齢から、様々なことを想像する
きっかけとなっている。


そんな想像にも慣れたあるとき、現在の私が置かれている
環境と比較しながら、父の一代記を残しておきたいと
思いついたことがあるが、それが無謀な試みだということも
すぐに悟ってあきらめたことがある。


にもかかわらず手帳からその日の父を思うたびに
やっぱり書いてみたいという気持ちがくすぶり続けているのは
我ながらあきらめが悪い。


ひょっとしたら・・・
記録することと伝えることを区別すれば
書くことを始められるのだろうか・・・
などと。




アントレという季刊誌に私に関する記事が掲載された。


年金に頼らない生き方-アントレ掲載

独立して起業、開業する人を対象にした情報誌で
リクルート社が発行する季刊誌だ。


昨年秋に発売されているので目にした人も多いかと思う。

次の春号が出るまではまだ手に入るはずなので

興味のある方はどうぞ。


その記事だが、
「自分をあきらめない生き方・稼ぎ方」という特集の中で
紹介された。


還暦からのインターネットビジネス学習から結果を残し、
会社設立、「夢」に向かって歩き出すまでの経緯が
『「夢」が自分を引っ張ってくれる。
 60代で夢を見たっていい』
としてまとめられている。


その記事を読みながら感じたことがある。


数時間にわたる取材の全てを書けば膨大な文字数になるところが、

そのエッセンス抽出すること、
抽出したことを読者に伝わるように表現すること、
予め限定されている文字数で伝えること・・・
全てが洗練されている。


記者は特集課題を前提とした質問を準備し、得たい内容を得ること、
読者の心に入るようにまとめることなどを緻密に計算し、
しかも感動を伴って文章にしてゆく作業を繰り返しているわけで、
プロとはいえ私には途方もない作業を繰り返しているのだと
尊敬の眼差しで仰ぎ見ることになる職業だ。


そう考えると、毎日300~400文字で書き続けている
新聞のコラム担当者の苦労を思うと、私にはもはや神業だ。


毎日の出来事を題材に、新しい知識を散りばめ、読者の興味を
維持しながら「そうだよな」と納得させる決まった構成には
ただただ毎日感服するばかり。


改めて机の周囲を見回すと小冊子の中に輝くばかりの
短い文章がぎっしり詰め込まれていることに気づく。


行きつけの本屋でいつも無料でいただいているものだけでも
新潮社の「波」
講談社の「本」
幻冬舎の「星星峡」「ポンツーン」
角川書店の「本の旅人」
春秋社の「春秋」
などなど。


放って置かれることが多いであろう小冊子を手に、
つくづくすごいなぁ・・・と感じ入ってしまう。




父の体が思うようにならなくなるにつれ
軍務歴、戦歴を手帳に移しながら
その日その日の父がどのような時の流れに身を置いていたのかを
探ろうとしている私がいる。


その日の父の年齢、家族、親類、友人たちのこと、
別れ、死への思い、外地での規律、不自由なこと、自由だったこと
暑さ、寒さ、晴れた日、雨の日、風の日、帰還を告げられた日、
故国の土を踏んだ日、帰国後の軍務、終戦の日・・・


さらにはドキュメンタリー番組や当時の報道ニュースを重ねながら
やがて、その年の日本や世界の空気を感じようと
変化している自分に気がつくようになった。


いつしか、手帳に転記しながらこの記録に父の息遣いを乗せてみたいと
考えるようになったというわけだ。


そしてそれが無謀な作業になると理解するのは簡単なことだった。


父は末っ子で、96歳。

聞き取りしたい兄弟姉妹は既に一人もなく、
親しかった戦友たちもいない。




父の静かな寝息を聞きながら、もっと多くのことを
聞いておけばよかったと思う。


普通の日常の会話の中で、あるいは酒を酌み交わしながら
私の生まれる前の父の30年が語られるような機会が多ければ
よかったのにと振り返る。


3世代同居で習慣と歴史が語り継がれる暮らし方が
今の私が望む家庭像だ。


今年も転記を終えて動き出した手帳が手元にある。


手帳を開くたびにその日の父の行動記録を目にし、

父のさまざまな思いを想像することになるのだろう。


アントレの記事を前に、ため息をついたお正月でした。