憲法改正の議論が盛り上がらないですね。盛り上がらない理由は偏に「具体案が無いから」でして、逆に言うと、具体案も無いのに「反対」と言っている方にも「?」という感じがします。「見てみなきゃ分からないじゃない。」という事です。

 

 更には、特に焦点が当たる9条改正については、非常に基本的な所が定まっていないので議論が散漫になります。それは「改正によって、今の解釈で認められている以上の事をするのかどうか。」という事です。ここが定まらないのであれば、どんな議論をしても無駄です。

 

 「自衛隊」あるいはそれに類する表現を書き込む加憲をするだけで、具体的な権限の範囲は何も変わらないと言ったとしても、そう簡単ではありません。現在の憲法9条はすべて「放棄する」、「保持しない」、「認めない」という否定形で書かれています。現在はその隙間を縫って、解釈によって自衛権、自衛隊を認めているわけです。その解釈の積み上げがかなりある中、それをすべて捨象した改正議論は成立しません。

 

 である以上、改正案でポンっと「自衛隊」を書けばそれでOKというふうにはならず、その書き込まれた「自衛隊」がどういう組織なのかを明記する事が現在の9条との関係で必要になって来るでしょう。

 

 加憲をした上で「今と何も変わらない」という状態を維持すると仮定すると考えられるのは、この阪田さんの案くらいしか思い付きません。第3項に「自衛隊」を指す組織の存在を明記、第4項に個別的自衛権、第5項に集団的自衛権を書き込んでいます。橋下さんも言っていましたが、自衛権を行使する組織の存在を積極的に書くのではなく、「妨げない」という表現になっているところ等は上手いと思います。

 

 細部はよくよく検討する必要がありますが、ベースとしてこれを超える案を思い付くのは至難の業です。逆に言うと、これだと安保法制を是とする限りにおいては反対しにくいでしょう。その場合にあり得る批判としては、「存立を脅かす」の規定が不明確だというものです。阪田案をもう少し厳しく見ると、第5項は以下のように書き直す事も一案です(この場合、安保法制も改正が求められます。そのベースとなるのは、安保法制審議時に維新の党が提出した対案です。詳細はココ。)。

 

【阪田案に対する更なる厳格化を図るための修正案】

5 前項の規定にかかわらず、第三項の実力組織は、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険がある場合には、その事態の速やかな終結を図るために必要な最小限度の武力行使をすることができる。

 

 単に「現状維持」でも、法律上はかなり難しいテクニカルな話がある事はご理解いただけたかと思います。阪田案+私の修正案くらいまで来ると、単に現行の解釈をそのまま書き込んだだけなので、それを是とする限りにおいては反対する理由はないでしょう。

 

 ただ、もう一つ気になるのは、こういう訓詁学をあれこれやる議論だけが横行するのも違和感があります。ここまで細かい言葉の話を書いておいて恐縮ですが、憲法改正だからと言って、憲法学者だけが前面に出てくればいいというものでもありません。安保の専門家から見て、今の日本の防衛のために何が必要なのかという議論が少ないのが気になります。そもそも「改正するために改正する」わけではなくて、「必要性があるからやる」という話になっていないのは歪です。

 

 最近、グレアム・アリソン氏の「Destined for War」という本を読みました(邦訳では「米中戦争前夜」となっています。)。米中が今後、衝突の道を歩むのかどうかという事は、今後も多くの要因によって左右されていきますが、米中の取引の中で日本の安全保障が多大な影響を受ける可能性だって大いにあり得ます。日米安全保障条約が今のまま機能し続けないかもしれないというシナリオだって、頭に入れておかなくてはなりません。

 

 また、あまり言いたくはありませんが、日本と中国の国力の差は今後も開きます。以下の李鵬首相の発言はとても不愉快ですが、中国側はそれなりに日本の人口動態とか、経済状況とかを見ながら、そういう見通しを持っていると考える事も出来ます。

 

【平成9年5月9日衆議院行政改革に関する特別委員会】
○武藤国務大臣 (略)そのオーストラリアへ参りましたときに、オーストラリアの当時のキーティング首相から言われた一つの言葉が、日本はもうつぶれるのじゃないかと。実は、この間中国の李鵬首相と会ったら、李鵬首相いわく、君、オーストラリアは日本を大変頼りにしているようだけれども、まああと三十年もしたら大体あの国はつぶれるだろう、こういうことを李鵬首相がキーティングさんに言ったと。非常にキーティングさんはショックを受けながらも、私がちょうど行ったものですから、おまえはどう思うか、こういう話だったのです。(略)
 
 今後、日中間の国力の差が開く時に日本を守り切るためには何が必要なのかという事を真摯に考え、そこで何が必要で、何が足りないのかというインプットが現在の憲法改正議論には欠けているように思います。
 
 中国は歴史的に自国の勢力圏の中で、中国を頂点とする秩序を作ろうとする国です。かつて、日本はソ連による「フィンランダイゼーション」を懸念した時代があります。冷戦時代、フィンランドはソ連の意向に反する意思決定を出来なかったとされる事象を指します(それ自体が正しいのかどうかは議論がありますが)。日本は冷戦時代、結構それを懸念していました。
 
【昭和58年2月8日衆議院予算委員会】
○中曽根内閣総理大臣 (略)それから、いま「防衛計画の大綱」をこの苦しい財政の中で整備しつつあるのも、それはもし日本に武力攻撃をやるという国があった場合には、いかなる国といえどもその飛行機その他、われわれはこれを阻止する、そういう決意を示すことは大事なのです。相手がいかに強大な力を持っているからといって萎縮して何にもしないという状態ならこの国はつぶれてしまいます。そういう国民としてのしっかりとした観念を持つことが私は一番大事だと思っておるのであります。この言葉は適当であるかどうか知りませんが、よく大国は覇権主義のもとに恫喝を加えてくる、大きなミサイルを移動するとかあるいは大きな飛行機でどうするとか、そして、いわゆるフィンランド化現象という精神的威圧を加えてくるということは間々あり得ることであります。そういうものにひっかかってはならぬ、そういう意味も政治家としては大事な職分であると思っておるのです。
 
 中国による「フィンランダイゼーションの罠」の引っ掛からないための国家大計を議論すべき時なのかなと思います。