国会が終わりましたね。色々と思いはあるのですが、今国会で出された衆議院参議院 の質問主意書のページを見ていて気付いたことがありました。


 質問主意書というのは、国会議員であれば誰でも出せる文書質問でして(しかし与党議員は出さない)、形式上は国会議長から内閣総理大臣に対して質問が提出され、答弁も内閣総理大臣から国会議長に戻って来るということで権威が極めて高いものです。活用している方は活用しているし、出さない方は全く出していません(あまり、存在を意識していない国会議員もいるようです。)。


 私が気付いたことというのは「惜しい!」ということです。なかなか質問の着眼点はいいのだけど、ほとんどロクな答弁が返ってきていないということです。正に木で鼻を括ったようなものが大半です。政府の政策決定に影響を及ぼすようなやり取りになっているのは、全体の5%もないと思います。


 ちょっと質問の仕方を変えるだけで、お役所を逃がさない方法というのがあります。これは、質問主意書に留まらず、日本のお役所とのやり取りをする際のコツみたいなものです。「お役所答弁」に悩まされないためには、一定のコツがあるのです。


● 意味を明確にする。

 今国会で出された質問主意書を全部読んだわけではありませんが、非常に多い逃げられ方は「ご指摘の○○の意味するところが必ずしも明らかではない」と切って捨てられることです。日本のお役所は、法文官僚文化ですので少しでも曖昧なところがあると、すぐにそこで逃げられてしまいます。


● センセーショナルなモノの言い方はしない。

 一番ダメなのが、例えば「外務省の闇は、今でも深刻である。政府として、外務省の体質を国民目線にするためにどうすればいいと考えているか。」みたいな問です。絶対にロクな答弁が返ってきません。間違いなく「ご指摘の『外務省の闇』が何を指摘しているか、必ずしも定かでない。」と言って切って捨てられ、最後には「円滑な行政運営に向けて頑張っていきたい。」くらいのおまけが付いてきます。


 議員職というのは、ともすればセンセーショナルなモノの言い方をしたくなります。しかし、それでは役所に適当に交わされて、釈然としないものだけが残ります。


● 法令を引用する。

 出来るだけ法令を引用するのが良いですね。これは言わずもがなでしょう。法令を上手く引用しながら質問構成すると逃げにくくなります。


● 国会答弁を引用する。

 意外ですが、これが結構効果があります。上記の例で言うと、「外務省の闇」なんてどんなにぶつけてもダメです。しかし、この議事録サイト で、例えば「外務省不祥事」というキーワードで検索を掛けてみると、平成17年3月16日の衆議院外務委員会で町村外相(当時)が「外務省不祥事」という言葉を使っています。


【町村外相答弁】

○ 町村国務大臣 委員先ほど御指摘をいただいたように、大変に厳しい見直しが行われまして、過去五年で、大使で約四割、一等書記官で約三割の削減。
 私も、正直言って、大臣になってこれはびっくりいたしまして、何でこんなに減っておるんだと。これは今、国内全体でも厳しい経済雇用情勢が続いている、あるいは公務員給与も毎年若干ずつでも引き下げられている、そういう状況を加味して、在外職員についても一層の節減を求めたと。
 多分、この背景には外務省不祥事があり、バッシングと言ってはいかぬのかもしれませんが、外務省に対する全体としての厳しい雰囲気の中でみずから自粛をするというようなこともこれあって、こういう結果になったのではないだろうかと思います。


 ここを上手く捉えて、「平成17年3月16日衆議院外務委員会で町村外相から言及のあった外務省不祥事について、現在、どのような改善が図られているのか。」と聞けば、少なくとも「意味不明」答弁は返ってきません。


● その他、HP、行政文書等、お役所の責任ある場、人が言及しているモノ。

 ここまで来ると分かってもらえると思いますが、ともかく大臣、幹部クラスが公的な場で口にしたやお役所が公的な場で記録したことを、きちんとしたかたちで残っているものを積み木のように組み合わせながら、質問を構成するのが最善の手法です。


● 報道の引用は殆ど効果がない。

 別にマスコミ報道を軽視するわけではありませんけども、お役所への質問、特に文書で聞く場合には「こんな報道があったがどうか?」みたいな問は殆ど効果がありません。簡単に言うと、「逐一報道の内容にコメントすることはしない。」と返ってくるだけです。


● 「承知している」というのは、「私は当事者ではありません」ということと同義。

 よくお役所が使う表現に「・・・・であると承知している」というのがありますが、これは「私は当事者ではなくて、あくまでも第三者的立場から知っているだけですよ。」ということです。例えば、お役所に(権限の及ばない)民間団体のことを質問したり、お役所の構成員でない人の発言を引用したりしても、「・・・・であると承知している」と切り捨てられます。「当事者」ではないので、勿論、答えも当事者意識に欠けるものしか返ってきません。


● 「いずれにせよ」が来たら終わり。

 原則論を述べて、最後に平凡なことを言ってかわす時の決まり文句です。「いずれにせよ」というのは、「色々あるけど、一般論で言うとこうですよ。」という時の導入です。お役所文書を読んでいて、「いずれにせよ」が来たら、もうそこから先は読んでもムダです。なお、第一次内閣の時、安倍総理は「いずれにせよ」がとても多かったですが、最近減りましたね。


 この辺りが、ガチガチに詰めた議論をする際のコツのさわりみたいなものです(応用編はたくさんあります。)。この手法は別に対霞が関だけで有効ということではありません。法文官僚文化の根付いた日本の官僚組織を相手にするのであれば、こういうアプローチが一般的に効果を示すでしょう。