昔、役所に居た時代から強く感じていたことなのですが、時折ではありますが、日本の組閣人事の中で「でも」「しか」で大臣が配置されるのがとても目に付くポストがあります。何故か、それは「権力系」のポストなのです。具体的には法相、国家公安委員長です。かつては防衛庁長官にもそういう傾向がありました。なお、今の滝法相、小平国家公安委員長はいずれも人格、能力共に個人的に尊敬する方であり、特に現職の方を論評するものではないことを断っておきます。


 今、ウィキペディアで法務大臣の欄を見ていたら、ご丁寧に「閣僚の中でも、人数比からして参議院議員が就任することが多い(参議院枠)。また比較的女性や民間人が任命されることも多い。戦後、法務大臣経験者で総理大臣に就任した人物は皆無である(臨時代理を除く)。政治家のキャリアとしては他の閣僚ポストより格下と見られている軽量ポストである」と書いてあります。


 かつて、これはある政治家の方に言われたことなのですが「法相や国家公安委員長は国会での答弁の機会が比較的少ない」ということも背景にあるのかもしれません。


 しかし、法相は国家権力の最たるものである法秩序の維持を司る立場であり、検察庁を所管していますし、ご存じのように死刑の署名権限を持っています。また、あまり知られていませんが公安調査庁も法務省の外局です。国家公安委員長に至っては、権力中の権力である警察庁を所管しています。警察庁はあくまでも国家公安委員会の管理下にあり、実務、庶務を補佐する役割です。


 私が住んでいたフランスでは法相は国璽尚書(garde des sceaux)と言われ、重要閣僚ポストです。また、警察を所管する内相は首相、大統領を狙う最有力ポストと言っていいでしょう(ただ、内相は旧自治大臣的な業務も担当していますが。)。実は日本でも法務大臣は閣僚の序列では席次が高くて、今の内閣ですと総理、副総理、総務大臣の次です。


 しかしながら、これら「the 権力」ポストが時折、「でも」「しか」で任命されてしまうのは何故なんだろうかと不思議な気持ちになります。検察庁や警察庁といった「the 権力」の組織が強すぎることも背景にあるのかなと思ったりもしますが、よく分かりません。変な邪推かもしれませんが、「アンチ権力」の風潮が日本社会に強くて、これらのポストが表に出過ぎてはいけないという深層心理みたいなものがあるのかもしれません。


 法相については、絶対にとまでは言いませんが、法曹資格を持っている方が望ましいでしょう。法曹資格を持っていることに高いプライドを持っている職員に囲まれるわけですから、少なくともそのベースのところでは負けないくらいの前歴があることが望ましいというのは言うまでもありません(その観点から、消防庁長官を務めたくらいの滝法相であれば負けないでしょう。)。


 いずれにせよ、日本の政治文化の中で法相や国家公安委員長のようなポストがもっともっと重要な位置を占めるようになり、上記のウィキペディアのような記述がなくなるようにすべきだと私は思います。