先日、総理大臣官邸で「青年海外協力隊帰国隊員による報告」が行われました。就任直後の菅総理、仙谷官房長官、岡田外相、緒方JICA理事長が来ていました。


 私が1997-1999にセネガルにいた際、同国は協力隊員が最も多い国の一つでした。政情が安定していること、気候が比較的に温暖だったことなんかが理由だったのだろうと思います。よく協力隊員の詰め所に行っていました。協力隊員の任地にも相当行きましたね。乗合バスで行った村でバスがなくなって帰れなくなり、トボトボと砂地の道を数キロ歩いたこと、夜、土間で寝ていたら小さなカエルの大群がやってきたこと、砂地の道で車の下部を激しくぶつけた結果、マフラーが取れてしまい、暴走族状態でダカールまで戻ったこと・・・、すべてが懐かしい思い出です。


 最近は派遣国が増えてきて、昔であれば「ちょっと考えられない任地」が増えてきました。かつては最難関地はニジェールとパプア・ニューギニアでした。今はそれと同等か更に厳しい国が任地に入ってきています。もっと、驚いたのは女性の数が増えていたことでした。私がダカールにいた頃も多かったですが、今は女性の方が多数なのではないかというくらい、女性の存在感が大きかったです。


 色々な方とお話しする機会があり、久しぶりに楽しい思いをしました。キルギスに派遣されていた方とは「イシククル湖」について話し、ブルキナファソに派遣されていた方とは「ドゴン族」について語り、ニジェールに派遣されていた方には「テネレ砂漠に行きたいのだが・・・」と質問し・・・、そして、セネガル派遣組には(私が唯一覚えている現地ウォロフ語の)「na nga def?(ご機嫌いかが?)」と語りかけ、と楽しい時間を過ごしました。あまり明確に自己紹介しなかったので、帰国隊員の方々は「なんだ、この変に途上国通の国会議員は?」と思ったことでしょう。


 青年海外協力隊について、私が一番気にしているのは「帰国後の就職」です。ともすれば、派遣中は何でも自分でやらなきゃいけないし、自分でやれる環境にあるため、帰国後、企業組織社会に馴染めないことがあるという話を聞いたことがあります。決してそういうステレオタイプで纏められるわけではないものの、結果としてやはり就職難という側面があります。だからこそ、多くの協力隊OBの方々に「協力隊員OBは企業で活躍している」という実績を残してほしいと心から願っています。その積み上げが上記のようなステレオタイプの打破に繋がるわけです。「休職して2年間協力隊員をやりたい」という社員の背中を押してあげる企業が増えてくるような環境醸成と言ってもいいでしょう。


 このブログを書いていて、数回、「恐らく、セネガルの協力隊員をやっていたあの方かな」と思われる方からのコメントの書き込みがありました(が、残念ながら連絡先までは分かりません)。今、どうしているかなという思いがこみ上げてきます。もし、心当たりがある方はrintaro-poster@hotmail.co.jp までお願いいたします。