最近、国会と地元の間の移動時間に「チベット受難と希望―「雪の国」の民族主義」 という本を読んでいます。もっと、正確には原語(フランス語)で読んでいます。原語版の題は「チベット:生か死か(Tibet, vif ou mort)」という題です。作者はピエール・アントワヌ・ドネという方で、1980年代後半にAFPの北京支局長をやっていたようです。


 日本語訳がどうなっているのかは見ていませんし、そもそも、書いてあることが真実なのかどうかも分かりませんが、1980年代後半の時点で見た、欧州人のチベット観が出ていて、現在からは計り知れない興味深さがあります。中国がどの程度、1950年代から1980年代に至るまでどの程度無茶をやったのかということが、ある一面から非常に鮮明に描かれています。当時は、ダライ・ラマが1959年にインドに亡命してから30年くらいですから、まだ関係者の記憶がはっきりと残っていたようです。これから、この手のクロニクルはどんどん少なくなっていくでしょう。「ああ、こういう記録というのは重要なんだな」ということを感じます。


 私は、中国側チベットに一回、インド側チベットに一回と、それなりに現地を見たことがあります。外務省のチャイナ・スクールでもそこまで趣味のある人は珍しいはずです。中国側チベットでとても印象的だったのは、2003年時点で非常に中国化が進んでいたこと、チベット僧の中にも完全に取り込まれて、ランクルをブンブン乗り回す不良僧が結構いたこと、けど、地方に行けばこっそりと(禁じられている)ダライ・ラマの写真が飾ってあること、「China, no good」の言葉を何度か聞かされたこと、まあ、他にも色々あったのですが、チベット問題ということに関してはそんな感じです。まあ、私が2003年に現地で得た感じと、このドネの本にある内容はほぼ符合します。


 ちなみに、チベットで最も感動したのは、ラサの街でカフェの親父がギターを弾きながら芹洋子の「四季の歌」の中国語バージョンを情熱的に熱唱してくれたことです。あの曲は昭和56年に中国でも大ヒットしたので、かの地でもかなり有名な曲です。他人の歌を聞いて、あんなにホロリと感動したのは先にも後にもあの時だけです。


 しかし、残念ながら、中国側チベットが独立することは難しいでしょう。最近の感じを聞いてみると、私が行った時に比しても、相当に中国化が進んでいるようです。1980年代後半に激しく起こった抵抗活動も、今となっては望むべくもないでしょう。今は精神的支柱のダライ・ラマ14世が生きているから、まだ良いですが、ダライ・ラマにも寿命はあります。次の15世を探すプロセス自体をどうするか、既に中国国内でこっそりと始めているとか、中国チベットの地でないところで探すとか、現在の苦境を前提とした解決策が探られていますが、これとて今のダライ・ラマ14世と同じような精神的支柱になれるかと言えば疑問です。


 そもそも、チベット民族はパンチェン・ラマ11世で中国に痛い目に遭わされています。パンチェン・ラマは簡単に言うと、チベット仏教のナンバー2で、チベット第二の町シガツェにあるタシルンポ寺にいます。パンチェン・ラマ10世は中国とも協調路線でした。その逝去後、転生者たるパンチェン・ラマ11世を選出する際、ダライ・ラマ14世の承認を得て選ばれたニマ少年は、1995年にパンチェン・ラマ11世即位後すぐに中国政府に逮捕され、もう15年くらい何処にいるかが不明です。当時、6歳で世界最年少の政治犯と言われていましたが、今では20歳くらいです。生きているかどうかも分かりません。中国政府は別のノルブという少年を傀儡としてパンチェン・ラマ11世として抱えています。


 実はダライ・ラマ14世が亡くなった時、転生者を探すのに重要な役割を果たすのがパンチェン・ラマなのです。そのパンチェン・ラマが傀儡だとした時、チベット社会はどうやってダライ・ラマ15世を探すのか、段々事は隘路に入っていくのです。


 しかも、最近気になっているのが、中印接近です。かつてはチベット地域の領土問題を3つ抱えていました。アルナチャル・プラデシュ州、シッキム地方(インド支配)、アクサイチン(中国支配)の3つです。シッキム地方は中国が領有権を主張したというより、独立勢力だったシッキム王国を1975年に併合したことに中国が激しく抵抗したということなのですが、2003年くらいに中国はシッキムのインド併合を承認しました。残すところ、あと2つ。今は大きな動きになっていませんが、まあ、はっきり言ってアルナチャル・プラデシュ州、アクサイチンともそれぞれの実効支配がほぼ確立しています。近々、ダライ・ラマ14世がアルナチャル・プラデシュ州を訪問することに(同州の領有を主張している)中国が抗議しています。しかし、直感的に、遠からず相互に支配を承認しちゃって、国境紛争に一気にケリを付けるような気がしてならないのです。


 今のチベット民族の苦境、苦難を思う時、何とかしてあげたいという気持ちになります。誤解のないように言いますが、私はとてもチベットの方々に同情的です。決して、現状維持でいいとは思っていません。だからこそ、出来ることが限られる中、自治権拡大への声くらいは上げたいといつも思っています。