中川元財務相が亡くなられました。私は党派が異なります。選挙では戦うべき相手側にいた方です。ただ、それでも表題のとおり、悲しみ、悼み、惜しむ気持ちが込み上げてきます。今日だけは民主党衆議院議員という立場を少し置いて、書きたいと思います。


 能力の高い方でした。小泉総理は、一貫して中川氏を起用し続けました。小泉総理はこの手の「好き・嫌い」がハッキリしていて、小泉内閣でずっと起用し続ける方と、絶対に閣内に入れない方が分かれていました。前者としては竹中氏、麻生前総理、中川氏が特筆されました。


 経済産業相と農林水産相を歴任する政治家は珍しいのです。それは恐らく、小泉総理なりの親心で「農林水産からもっとウィングを広げて、政治家として大成してほしい」ということだっただろうと思います。財務・金融相を経て、次のニューリーダーとしての地歩を固めつつあったところの、あの朦朧会見は残念でした。


 私はいつか、こっそりと中川氏を訪れて「今後のWTOやFTA交渉についてどう考えておられますか?」と聞いてみようと思っていました。経産相も農水相もやったからこそ、こういった利害が錯綜する交渉での纏め所の腹案があったはずです(まあ、どれくらい相手にされたかは分かりませんが)。


 私はペーペーの外務官僚時代、よく農林水産貿易関係の自民党の部会で拝見をしていました。その部会の主宰者的な役割をしていて、理解の早さ、頭の回転、そういうものは抜群のものがありました。


 当時、その部会ではいわゆるうるさ型の農林族が幅を利かせていて、中川氏は相当に手を焼いていました。そういううるさ型が幅を利かせすぎて、自民党の農林系は若干閉鎖的になっていることにも危機感を持っていたようで、中川氏はよく若手議員をその部会に出席させていました。


 そういう中、私がよく覚えていることが一つあります。若手議員は農林水産貿易関係の部会に出席はしてみたものの何を質問してもいいか分からないので、やはりうるさ型が大声を出している中で小さくなっていました。それを見た中川氏が徐にメモ用紙に何かを書き始めて、事務局にその紙を若手議員に渡させていました。それを見た若手議員は、恐る恐る手を挙げて部会で質問をし、それを中川氏は満足げに見ていました。恐らく、質問内容を中川氏が書いて渡させたのでしょう。


 誰も知らない些細なエピソードなのですが、農林水産行政にもっともっと多くの若手議員が参加してほしい、参加したからには、何か質問してもらって少しでも問題意識を持たせたい、そんな思いを感じました。そして、その細やかな配慮にとても感嘆しました。


 思想的には、私とは若干相容れないところもありますが、良質な保守系政治家でした。私は悲しみ、悼み、そして惜しみます。