新テロ対策特措法が国会に上がってきました。ただ、正確にどういうものなのかは分かりません。サイトで探しても正確なものはあまり出て来ないのです。政府が国会に出した法案はまだ成立していないから政府のウェブサイトには載らないのでしょう。かといって、国会のウェブサイトはこれまた超お役所仕事で全然使えないのです。


 断片的にマスコミのサイトから見た新テロ対策特措法を読んだ感想は「本当に補給だけに限定したミニマムなもの。法律の内容も微修正はあれど、補給部分については殆どいじっていない。」ということです。私はもうちょっとイラク向け補給を間接的に正当化するような表現が何処かに来るんじゃないかと見ていたのですが、非常に安全運転ですね。


 法律名は「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法案」とかなり短くなりました。今のテロ対策特措法は122文字でしたのでかなりの改善です。というか、現テロ対策特措法で言葉や表現が使われる際、いちいち細かく説明したので、今回はそれを使いまわすだけでよくて多くの文字を使わなくてもよかったということです。


 一番重要な「(法律の)目的」は非常に長いのですが、簡単に言うと今のテロ対策特措法と大した変更がありません。せいぜい、先月国連安全保障理事会で採択された決議で海上阻止活動を評価する言葉が入ったということを大きくクローズアップしていることが特筆されるくらいです。ただ、あれは「海上阻止活動を評価する決議」ではないのですね、「海上阻止活動を評価する言葉が序文に入った決議」なのです。「序文」というのは決議本文に入る前の前口上みたいなもので、序文自体には決議上の効力はありません。しかも、そこではアメリカ等がやっている海上阻止活動が評価されただけであって、その海上阻止活動に対して補給をした日本の活動が直接的に評価されたわけではありません。この国連安保理決議と日本の活動の間にはある程度の距離があります。


 ということで、5点指摘しておきます。既に書いたこと+αくらいのことですが。


○ イラク向けでも構わない?
 法律をよく読んでみると分かります。イラク、アフガニスタンなんて言葉は何処にもありません。イラクで国際的なテロリズムが行われていて、アメリカの海上阻止活動がそれも視野に入れているならばイラク向けに補給してもいいというのが素直な読み方です。勿論、そういうことについて政府は口を閉ざしていますが。
 「テロ対策特措法はアフガン向けなんて書いてない。イラクでもいいんだけど、そのためにはイラクで国際的テロリズムが行われていて、そのための海上阻止活動が行われていることを証明しないといけない。」という基本的なことに誤解が生じたままだと、国会論戦はずっとすれ違っていくでしょう。ここはマスコミの報道にも問題があるなと思います。


○ アメリカはテロ対策特措法を守る義務があるか?
 つまり、日本はテロ対策特措法に沿って補給するわけですが、アメリカがテロ対策特措法の目的・趣旨に沿って活動する義務があるかということです。実は「ない」のです。そういうアメリカの義務を定めた約束はないのです。政府答弁は「テロ対策特措法の趣旨は説明していて、きちんと理解されている。」ということに留まります。ここは誰も追及しませんけど、実はそういうことなのですね。


○ 補給した後は?
 政府答弁は「補給した後、相手方が何やっているかを知る立場にない」という感じです。「知らない」じゃなくて、「知る立場にない」です。これは如何なものかと思います。こっちが数百億円の税金払って貢献しているのに、日本の立場は知ることすら認められないくらいマイナーな存在であることを認めているように読めてなりません。もうちょっと頑張って「知ってるけど教えられない」くらい言ってくれよという思いが強いです。


○ 11月1日以降は?
 私は早期に新特措法が成立することを前提に、今の特措法の期限が切れても海上自衛隊は戻ってこず、(補給活動に従事しないまま)インド洋を巡るような気がしていたのですが、さすがにそれは無理そうな感じですね。戻ってくるような気がし始めました。テロ対策特措法については様々な評価がありますが、いずれにしても現場で頑張った自衛官の方々には正当な評価と慰労の念を持つべきことについて異論を持つ方はそうそういないでしょう。


○ ISAF参加について?
 小沢代表が主唱しているISAF参加(アフガニスタン国内での活動)の可能性についてですが、これはちょっと誤解されています。ISAFには民生分野での活動から軍事まで幅広い分野が扱われています。その中で日本としてやり得るメニューを選べばいいのです。
 あと「陸上の方が危ないんじゃないか」という議論があります。私は正直に「海上と比較すればそうでしょう」と思いますが、ただ日本が国際貢献をする際の基準が「危ないか、危なくないか」ということから始まるのはどうかな、と思います(その議論が必要でないと言っているわけではありません。安全が確保されることは当然のことです。)。あまりその議論だけに焦点が当たりすぎると「日本は憲法9条、9条と言って原理原則論を主張するけど、最後のところは実は『危ないからやらない』ということがホンネで、そのために9条を隠れ蓑に使ってるんでしょ。」と言われます。
 私は昔、アフガニスタンを担当する課長補佐をやっていたのでよく分かります。いくらでもやることはあるのです。地雷除去だけで1000万個、難民だって400~500万人、まあ30年以上に亘って壊された国ですから活躍する場は有り余るくらいです。


 まあ、この件は色々な主張を持っておられる方がいると思います。異論、反論は大歓迎です。