【以下はかなり前に書きだめしていたものです。現在の情勢とそぐわないところがありますが、種々の事情から書きだめをそのまま吐き出していくことにします】


 「自殺」、重いテーマです。自分で自分の命を絶つというのは、人間が行い得る最も重大で不幸な決断です。


 実は日本では1997年までは自殺者は年2万人台前半でしたが、1998年を契機に自殺者は1万人増え、それ以来ずっと3万人の大台を越えています。1998年と言えば金融危機が起こった年ですが、その後も3万人を越えているということは1998年を機に日本社会に何か大きな変化があったということではないかと思うのです。それが何なのか、私にはよく分からないところがあります。金融危機を機に競争が厳しくなり、また格差社会が激しくなったという表面的な理解で良いのかどうか悩んでいます。


 ただ、理由がなんであれ、ここ9年に亘り年間3万人を越えるわけです。単純計算で1日100人の方が自殺しているということになります。我が北九州市の人口は大体日本全体の100分の1くらいですから、この市くらいの規模の人口で毎日1人が自殺しているわけです。その最も不幸な決断に何故至ったのかに思いをめぐらす時、その心情、悲しみ、失望感、絶望・・・想像するにあまりあります。


 日本はこの自殺という現象を止めるために全力で取り組まなくてはならないと私は思っています。自殺に至る原因は多様です。警察が出している統計を見ていても、本当に色々な理由があります。ただ、概ね「健康」と「経済」が大きな2つの理由として挙げられるように思います。しかし、政府が自殺という現象に真正面からぶつかっていないような気がしてなりません。これは「経済」とか「健康」といった個別の要素に分割することなく、「自殺」をそのまま一つの現象として取り組むことが必要なんじゃないかと思います。自殺防止のための担当相を設けてもいいくらいです。


 自殺を防止するためには、もう少し社会学的な研究を進めていき、その成果を具体的な行政の施策として活かすことをやるべきでしょう。経済問題は経済担当の役所、健康問題は厚生労働省と対策の検討を細かく切り分けない方がいいです。有名なのはエミール・デュルケイム的な自殺論ですね。これは、個人の意識とは別に独立した社会的な要因がある程度個人の意識を拘束するということです。デュルケイムは統計を駆使しながら、自殺に繋がる社会的な要因を突き止めていこうとしています。これ以上、デュルケイムの社会学理論をタラタラと紹介することはしませんが、まず自殺というものに正面から取り組んでみることがいいでしょう。


 自殺、この人としての最大の不幸を少しでも防止する、これは政治に課せられた課題のうちで最も大きいのではないでしょうか。後日、もう少し具体論を書いてみたいと思います。