地雷というものは怖いもので、1個で多くの人の恐怖感を煽ることができます。例えば、東京ドームのグランドの中に1個確実に地雷が埋まっているとすれば、東京ドームのグランドはすべて使えなくなります。しかも単価は安いです。対人地雷を禁止する条約ができる過程で、日本は結構反対していました。防衛庁が最後の最後のところで諦めきれなかったのですね。これをひっくり返したのは当時の小渕外相、私はこれは素直に英断だと思います。政治というのはかくあるべしだと思うわけです。


(なお、私は何でも政治家がお役所的に無理筋のことを言うのが政治のイニシァティブだとは思っていません。事務方として論点を詰めに詰めた上で、最後の一点で政治決断をするというのが正しい姿だと思っています。思慮浅きままに好き勝手を言い「政治のイニシァティブだ」という政治家が時たまいますが、全くの論外だと言わざるを得ません。)


 ところで、日本は地雷を除去することにかなり力を注いでいます。やはり一番良いのは機械で除去していくことです。昔なら地雷には必ず金属が含まれていたので金属探知機に必ず引っ掛かったのですが、最近は金属探知機に引っ掛からないものもあり、人手を介した除去作業は危険性が非常に高いのです。日立建機を始めとして地雷を除去するための機械の開発も進んでいるようです。タイプとしてはカッターで切るとか(ショベルカーのショベルの部分がカッターになっている)、踏み潰すとかがあります。


 こういう機械について、私がいつも「理屈は分かるけど、それって・・・」と思うことがあります。それはこの手の機械を政府間援助として輸出しようとする時のことです。実は非常にハードルが高いのです。外国で地雷を除去するための機械を援助してあげる行為が何がいけないのか、普通の方はそう思うでしょう。実は「地雷を除去するような機械は『武器』に該当するので武器輸出三原則に引っ掛かる」ということなのです。つまりは「埋まった地雷を難なく取り除けるということになれば、戦時においても自軍の進撃を助けるために活用できる『武器』となり得る」ということなんだと思います。例えば、ローラーで地雷を踏み潰しても全然壊れない車両(工事現場でよくアスファルトを均している車両をイメージください)があると仮定しましょう。たしかにその車両が地雷をドカドカ踏んで潰していけば、その戦いは自軍に有利に進めることができるかもしれません。ある意味、戦車よりも怖いでしょう。


 この理屈を追求すると、1回地雷を除去(切断して爆破、踏み潰して爆破等)する度に手入れが必要になるようなものでないといけないということになります。技術的には「100個連続で除去しても大丈夫」なところまで高めることができるとしても、それだと「武器」に当たるからダメだということになります。実際、経済産業省の担当部局の見解は多分、それに相当近いものでしょう。


 この件は「たしかにそうだ。地雷が簡単に除去できる機械がタリバーンに渡ったら、アフガンでの戦局は不利になるから、そんな機械はアフガニスタンに渡さないほうがいい。」という見方もあるかもしれません。それは理屈としてはパーフェクトです。しかし、何となく私は違うような気がするんですよね。地雷をどんどん潰しても壊れないだけの高い技術があるのなら、それを人類が少しでも平和に近付くために積極的に活用していこうという発想があってもいいんじゃないかな、あまり「武器」の概念をこと本件に関しては狭く解してもいいんじゃないかな、そんなことを思います。


 ただ、高技術な「武器」が拡散することへの懸念もあるでしょう。日本は折角地雷除去で頑張ろうとしているのですから、その方策として何処までやるのがいいのか、政治のレベルでも少し真摯に議論していいと思います。