温家宝中国国務院総理の訪日は日本で非常に好意的に迎えられました。国会演説で、これまでの日本のお詫びと反省を積極的に評価すると述べたことは画期的だと思います。中国側の対日関係改善に向けた強い意思を感じました。


 そういう中、今回の訪日の成果文書として出たのが「日中共同プレス発表 」でした。今回の訪日を取り巻く雰囲気とちょっと離れて、この文書を精査してみたいと思います。ちょっと重箱の隅をつつくようなところもありますがご容赦ください(ただ、お役所の文書として不適切な表現とかは指摘しません。)。以下をじっくり読むにはプレス発表本文を参照していただくのがいいと思います。


● 文書の性質
 基本的に「共同プレス発表」というのは、出される文書のレベルとしてはあまり高いものではないという理解でいいと思います。私が想像するに、もう少し格調高い文書を目指したのだが、あまり真新しいところもないので止めたということではないかと思います。文書でビシッとしたものを作るのは胡錦涛訪日時ということなのかもしれません。


● 文書全体
 こういう文書では「何が書いてあるか」と同じくらいに(いや、それ以上に)「何が書いてないか」が重要です。今回の文書で特筆されるのは「歴史認識」と「台湾問題」が極めてあっさりとしか出てきません。江沢民訪日時に作られた1998年の日中共同宣言 はどこか刺々しいトーンで覆われています。そういうところが全くありません。それ自体が今回の成果といえば成果なのかもしれませんし、逆にいえば、その程度だからこそ「共同プレス発表」というレベルに留まったということもできます。


● 3.について
 台湾問題についてチョコッとだけ触れてあります。台湾問題については1972年の日中共同声明 と1998年の日中共同宣言 がベースになります。大体、以下のような感じです。
-- 日本は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認。(日中共同声明第二項)
-- 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の不可分の一部であると表明。日本はこの立場を十分理解・尊重(注:本当はその後にポツダム宣言への言及があるのですが種々の事情によりここでは省略しました。)。(日中共同声明第三項)
-- 日本は、改めて中国は一つであるとの認識を表明。(日中共同宣言)

 今回のプレス発表で注目されるのは、日本側は「日中共同声明において表明した」立場を堅持する旨表明したと書いてあることです。日中共同宣言への言及が落ちています。日中共同宣言で折角中国が確保した「中国は一つである」という文言はあまり重視していないのかな?という気になります。中国は一つというのは、日中共同声明で表明された立場の中に完全に包含されるから別に拘泥しないということかなとも思います。報道では、中国側は台湾問題でできるだけ多くのものを取ろうとしたとあったのですが、結果として既存の立場以下のものしか取れていないということもできます。何なんでしょうね、これ。
 ちなみに、アメリカはクリントン訪中時に、中国は一つ(二つの中国は認めない)、台湾独立は支持しない、台湾の国際機関加盟は認めないという「3つのノー」まで行っています(今のブッシュ政権がそれを踏襲しているかは不明ですが)。それと比較すると日本は本件ではなかなか手堅いのです。


● 4.(2)(イ)について
 「両国の政府、議会、『政党』間の交流と対話を拡大し深化させる」とあります。あまり「政党間」というのは聞かないですね。特に中国との文書で「政党間の交流と対話」なんていう表現あったかなあと疑問になります。別に何が悪いということではないのですが、事実上の一党制の中国との間での政党間交流をあえて書くというのはどういうインパクトがあるのかなと悩んでいます。中国側が日本における政権交代を見据えて、与野党問わず付き合わせていただきますよという意図表明なのかなという邪推もあり得るところです。


● 4.(2)(ホ)について
 東アジア協力について「開放性、透明性、包含性」という原則が掲げられています。これは日本が主張していることですが、ともすればアメリカを入れるとか、台湾をどうするかとか、中国にとっては微妙なテーマを含んでいるような気がするんですが・・・。透明性については中国も反対しないでしょうけど、開放性や包含性については争いがありそうな気がします。逆に言うと、北朝鮮を排除しないというタマに使えるということもあるよな、なんてことが頭を巡ります。


● 5.(1)(イ)について
 首脳レベルで頻繁な往来を「維持」、国際会議の場で「引き続き」頻繁に会談とあります。これは「これまでも頻繁だったけどこれからもね」という意味合いがあります。ここ数年そんなに頻繁だったかな、安倍総理になってからの良好な雰囲気演出をサポートする意図があるのかな、それとも小泉総理時代も含めて日中関係は悪くなかったという演出なのかな、どちらかからの単なるイヤミなのかな、関心は尽きません。それにしても、ちょっと現実とはずれがあるんじゃないかという印象は拭えません。


● 5.(1)(ホ)について
 「総計2万人規模の訪問団」とあります。日本から中国への訪問と中国から日本への訪問と内訳はどうなっているのか、日本から中国に行くのが18000人、中国から日本が2000人とかいった不均衡はないと信じたいですが。あと中国から日本に来る訪問団の費用負担が日本政府ということはないよね、と確認したいところです。
 あと、今回の文書でも幾つか出てくるスタイルとして、日本が支援の意図表明をして、それに対して中国が歓迎するだけというのがありますが、ここはそういうスタイルになっています。折角、日本が中国の高校生をたくさん招聘すると言っているのに、中国は単に「歓迎」するだけです。これは日本が勝手にやってくれるんだけど、まあ、やってくれるんなら歓迎してやるよ、くらいの意味合いです。謝辞もなければ、感謝もない、単に「別にこちらから頼んだわけではないけど、君がやりたいというなら歓迎してやるよ」ということです。こういう日本をバカにした表現は本来受け入れちゃあいかんと思います。


● 5.(2)(ロ)について
 あたかも、中国が日本産米の輸入再開に「無条件に」同意したかのような印象を与えますし、報道もそうなっていますが、事態はそう簡単ではありません。よく読んでみると「中国の検疫基準に合致する」という留保が付いています。今、日本産米が輸入禁止になっているのは、2003年2月にカツオブシムシという害虫が発見されて以来ですから、検疫が問題になっていたわけです。結局、これまでは日本産米は「中国の検疫基準に合致」しないと判断されていたわけです。今回の文書で日本産米が「中国の検疫基準に合致」していると判断したわけではありません。勿論、前向きな意義を認めることはできますが、中国側の感覚ではあまり大きく立場を変更したというわけではないのかもしれません。


● 5.(2)(ニ)について
 ここでも折角、日本が協力してあげようといっているのに、中国側の対応は「よしよし、日本が何かやってくれるのであれば歓迎してあげよう」くらいの応答です。繰り返しになりますが、この程度の評価しかしない相手にこちらが積極的にやってあげる必要はないと思います。


● 5.(2)(ホ)について
 ここは知的財産権で中国の制度改善を一生懸命求めようとした跡が見て取れますが、最終的には「相互尊重、互恵で双方が利益を得るとの基礎の上に」という留保がつきました。つまり「知的財産権保護で措置を講ずることに吝かではないが、中国に利益のないようなことは一切やらない」ということです。現状維持的な要素が強いなあという印象です。


● 5.(2)(ヘ)について
 今回の文書で唯一「全く意味不明」の部分です。他の部分は疑問点があっただけですが、ここは意味が理解できないのです。日本は中小企業博覧会において主賓国という立場ですからお客様に当たるはずです。しかし、その直後に日本と中国が共同で主催することが書いてあります。同じ会議でお客様であり、主催者であるということがここにはかかれています。もうさっぱり分かりません。経済産業省が書いた文章だと思いますが、意味不明度が最高潮に達する部分です。


● 5.(2)(ト)及び(チ)について
 はっきり言って無駄な部分です。何の意義もありません。好意的に解釈すれば、もう少し中身のある文面からスタートしたけど、中国があまり乗ってこないので結局この程度の全く無駄な内容の文章で落ち着いたということなのかもしれません。ただ、正直なところ、この2つのパラグラフは全くの蛇足です。


● 5.(3)(イ)について
 日本としては、「中国側は、日本が『国連において』一層大きな建設的な・・・」と書きたかったところでしょう。しかし、中国はそういう譲歩は絶対にしません。日本の安保理入りを含む安保理改革については一切のコミットを避けたということです。


● 5.(3)(ロ)について
 前段は「『初期段階の措置』に関する共同文書を六者が共に努力して全面的に実施すべきであるとの認識で一致」とありますが、これは中国側から「エネルギー支援に参加しろよ」という圧力と見ることもできます。ただ、とてもやんわりとした書き方なのであまり日本としても気にしなくてもいいでしょう。
 後段は日本では「拉致問題で中国が協力」と報じられていますが、そうストレートに言えるかどうかは少し疑問が残ります。よく見てみましょう。日本が行ったことは、自己の立場を中国に説明しただけです。中国は、(1) 日本国民の人道的関心に対する理解と同情の表明、(2) 拉致問題の早期解決を希望、(3) 日朝関係進展への期待の表明をしました。そして、「このため」必要な協力とあります。ここで言う「この」とは何を指すのでしょうか。もしかしたら「日朝関係進展」だけかもしれません。勿論、日朝関係進展のためには拉致問題の早期解決が必要なのでしょうが、中国は拉致問題についての協力は直接コミットしていないという立場なのかもしれません。本当に拉致問題への協力にコミットしているのなら、ここは「・・・理解と同情を示し、この問題(注:拉致問題)を早期に解決した上で日朝関係が進展することへの期待を表明し、このため必要な協力を・・・」とするでしょう。これなら拉致問題への協力というコミットは明らかです。そこまで行ってないと見たほうがいいような気がします。


● 5.(3)(ハ)について
 ここも「共に利益を得る」という文言で、「日本の思うがままに投資環境を整えることはしませんからね。あくまでも中国にメリットがなきゃダメなのよ。」という留保をつけています。ここも現状維持的な要素が強いです。


● 6.について
 東シナ海の資源開発についてですが、簡単に気付きの点を書いておきます。
-- 今の春暁ガス田の開発を止めるとはどこにも書いていない。
-- 「双方の海洋法に関する諸問題についての立場を損なわない」とあるが、「双方の海洋法上得ることのできる利益を損なわない」とは書いていない。しかも、「互恵の原則」まで書いてある。中国は現在の開発を止めたり、立場を譲歩したりすることは考えていない。
-- だから、広い海域での共同開発となっている。広い海域を対象とすれば、その中で利益の調整をやりやすくなり、現在の春暁油田での中国の利権をそのまま守れる。
-- とどのところ、中国は少なくとも現在の開発行為を止めるつもりは全くない。

 まあ、そういうふうに読むのが妥当でしょう。それでもここまで持ってきた外務省と経産省はなかなか頑張っていると思います。本来の国際法の相場観から言えば、大陸棚を画定する起点が中国側は大陸、日本は島嶼ですから、とてもとても不利なのです。国際海洋法裁判所や国際司法裁判所に素直に行けば春暁ガス田などすべて中国のものとする判断が出る可能性は高いのです。それを少なくとも共同開発まで漕ぎ着けたのは、私は正当に評価すべきだと思います。
 ただ、広い海域の共同開発という言葉には注意が必要です。日本が相当持ち出しになる可能性があります。海域設定、海域内での利益配分、いずれにおいても日本が不利にならないようにしていくことが求められます。大変な作業ですが頑張ってほしいと思います。


● 7.について
 「中国における日本の遺棄化学兵器に関する日中連合機構」って、どういう組織なんだろ?という疑問がすぐに浮かんできます。まさか、某国会議員に食い物にされたロシア支援委員会みたいに、日本と中国で作る怪しげなエセ国際機関じゃないよなという一抹の不安が残ります。これが何なのか、もうちょっとよく見ていく必要があるでしょう。どうせ日本がお金を出すのでしょうから、少しでも効率的に運営して、日本の納税者に不要な負担をかけることのない機構であってほしいと思います。


 あれこれ書きました。あまりに細かいことを書いていて、ウンザリした方もおられると思います。しかし、中国と議論するときはこれくらい(いや、これ以上)のしつこさがないと細部をいじられて負けてしまいます。「細部に悪魔は潜む」、よく言ったものだと思います。全く同感です、特に中国(やロシア)との関係では。