財政赤字、これってとてつもない数字です。私が政治家を目指そうと思った最大の理由です。外交も重要なのですが、色々な統計で財政赤字の数字を見ていると目が眩みそうになります。「絶対に今のままでは日本は破産する」、そう思うと居ても立ってもいられない気分になります。我々は持続可能な世界に生きてないのではないか、今の日本の繁栄は今後長続きしないのではないか、そういう思いが私の根底にあります。


 よく人は言います、「財政再建至上主義は財務省の論理であって、それだけではダメ。景気浮揚も考えないといけない。」と。たしかに財務省は財政再建を強く主張しています。ただ、今の日本は財政再建を主張しないでいれる程悠長な状況ではないのです。 「財務省が主張している議論に乗るのがけしからん」のではなくて、「財務省が先頭で旗振りをしなきゃいけないくらい感覚が鈍いことがけしからん」のです。


 ●●兆円とかいう数字が出てくるとピンと来ないので、概ね金額を1000万分の1に縮小して考えてみると、一般家庭の1年の家計と似たような数字になります。少し雑ですが、年収500万円(税収)の家庭が300万の借金(公債金収入)をして800万円の収入、ローン支払い(国債費)が200万円、郷里への仕送り(地方交付税交付金)が150万円、自分と郷里の借金を足し合わせると8000万円のローン残高(国と地方自治体の公債残高。国だけでも5500万円程度。)。普通の家庭なら絶対に首が回らない状況でしょう。役所にいたときの私の年収が税込みで800万円くらいでしたが、仮に8000万も借金があったら毎日を過ごしていけないと思います。


 私はまぎれもなく「財政再建主義者」です。このことについて、何をどう批判されても絶対に怯みません。というか、今の日本で財政再建主義者にならない人がいるとしたら、あまりの金額の大きさに実感が湧かない鈍感な人か、問題の所在は分かっているけど政治的な思惑で「いえいえ、私はお金を切り詰めるだけの人じゃないですよ。使う時はバンバン使いますよ。」というポピュリズムに走っている人かのどちらかだと思います。いずれにしても、そういう人は「年収の10数倍のローンが何を意味し、それを抱え込む苦しみが理解できない人」だと思っています。


 「まずは景気浮揚。景気がよくなれば税収が増える。」、そういう反論もあるでしょう。しかし、1兆円の公共投資や減税をしても、1兆円税収が増えることはないでしょう。かつてのように乗数効果が高い時代(高度成長期には公共投資が景気に及ぼす乗数が5を超えていたという研究もあるようです)ならまだしも、今や1兆円を政府が市場に流し込んでも1兆円が国庫に戻ってくることはまずありません。大体、今は比較的好景気だといわれていますが、それでも財政黒字には程遠い状況です。経済学における賢人政治の道(ハーベイ・ロード)は、景気の悪い時には減税・公共投資で景気を浮揚するけど、景気の良い時には財政黒字を実現しなくてはならないはずです。その原則が成り立たない今、「景気浮揚のために公共投資をガンガン投入する」なんてことを言うのは亡国への途です。


 以下のようなジョークを聞いたことがあるでしょうか(以下の文そのものは2ちゃんねるで見つけたのですが、中身は有名なジョークです。)


アメリカ人が、ロンドンに行った。

すると、イギリス人の男が二人、片方が穴を掘り、

もう片方が穴を埋め戻すという作業を延々と行っていた。

アメリカ人が、一体何をやっているのかと尋ねると、彼らはこう答えた。

「ケインズ経済学では、穴を掘って埋めることも有効需要のひとつなんだ。」


アメリカ人が、ソ連に行った。

すると、ロシア人の男が二人、片方が穴を掘り、

もう片方が穴を埋め戻すという作業を延々と行っていた。

アメリカ人が、一体何をやっているのかと尋ねると、彼らはこう答えた。

「俺たちは植木屋だ。で、俺は穴を掘る役、こいつは穴を埋め戻す役。

 で、あと一人、木を植える仕事の奴がいるんだが、今日は休みなんだ。」


 真偽のほどは定かではありませんが、「穴を掘って埋める」はケインズ自身の言葉とも言われています。別に私は公共投資が「穴を掘って埋める」だけだというつもりはありませんが、いくつかのルールをきちんと作って(コスト・ベネフィット、市場の失敗等)抑制していく必要があるでしょう。


 最近、時事評論家と名乗る人が書いた文章を読んだのですが、「日本国の発行する国債の保有者は、大半が日本人。しかし、日本人が保有する総資産は1500兆円。まだまだゆとりがある。今の水準の財政赤字は恐れることはない。」とありました。私は「これは悪いジョークだ」と思ったのですが、いやいや、この手の議論、実は手を変え、データを変え、表現を変え、結構罷り通っていて、一定の支持者もいるのです。国民が持っている国債なら踏み倒してもいいのか、国民は資産を取り崩して国の借金棒引きを受け入れるのか、その時、日本国の信用が暴落することはないのか、そもそも、国は国民の資産を担保に当て込んで借金することができるのか(それを世界の投資家はまともに取り合うか)などなど、とてもまともに取り上げる価値はないと思います。このお金が自由に動くグローバライズされた時代に、自由経済と個人主義に立脚した世界で、こういう暴論をぶつ人がいるのが私にはとても不思議です。


 まあ、このテーマは論点が多岐にわたるので細かいことはおいおい書いていくつもりです。この危機感、是非多くの人に共有してほしいと思っています。